玻璃の器
 

 馨君の元服が近づくと、父兼長が思い沈んでいる姿を見かけるようになった。何悩んでんだろ。根っからの楽天家で、なるようになるだろうと考えて呑気にすごしていた馨君も、そんな父親の姿を見ると、せめて自分が心配をかけるのはやめようと部屋で書を読みながら大人しく過ごすようになった。
 元服で重要な役目である加冠役は、考え抜いた末、白梅院に頼んだ。東宮から先に文が来ている以上、それを無視して水良さまに芳姫を差し上げる訳にはいかんからな。機嫌を取っておかねば…痛めた胃のせいで酒を控えていた兼長は、白湯を口に含みながら北の方の前ではああと大きなため息をついた。
「楽子」
「はい」
 美人とは言えないけれど宮腹で、深窓の姫で世間知らずで、占い好きで、子供っぽい所のある楽子を、兼長はそれなりに愛していた。自分が守ってやらねばなあと、早いうちに通い婚をやめて三条邸に妻子を迎えたのも、正室であると共に愛情のなせる技であった。
 これまで側室も子供も何人かいたものの、それはみな女ばかりで、身分も様々なら年齢も様々である。裳着の済んだ娘にはそれなりの男を通わせ、まだの娘にもそれなりの援助をし、それなりに慈しんで来たけれど…。
「一の君がまごうことなくワシにとっての初めての男の子で、元気に明るく育ってくれたことを感謝しておるよ」
 しみじみ言った兼長に、楽子は首を傾げて兼長のセイウチのようなお腹を眺めた。何か悪い物でも食べたのかしら。それとも、腹の虫が悪さをしておるのでは…?
「殿!! 今すぐに陰陽師を呼んで参りますゆえ、お待ち下さいませよ!」
「は?」
「そのような気弱なお言葉は、きっと何か悪い虫が言わせているに違いありませんわ! 物忌み(ものいみ)なれば御身を浄めねば!」
「おい、楽子。ワシの話を…おいって!」
 あわてて立って、女房に陰陽師を呼ぶよう言いつけた楽子に、兼長はあわてて腰を浮かした。全く、人の話を聞けっちゅうに。急にバタバタと騒がしくなった中でどっかりと円座にあぐらを組むと、兼長は杯についだ白湯を飲んで大きなため息をついた。

 
(c)渡辺キリ