玻璃の器
 

「あ、おじいさま」
 パッと顔を輝かせて、それまで東宮傅の源頼善の講義を聞いていた惟彰が腰を浮かした。続けなさい。そう言ってちょいちょいと手を下ろすと、白梅院は女房がしつらえた座に腰を下ろした。
「お久しぶりでございます。お元気そうで何よりでございます」
「春宮も元気そうで何よりだ…ほう、もうこんな物を読んでいるのか」
 平伏している東宮傅に面を上げよと言うと、惟彰が読んでいた書を取り上げて白梅院は感心したように言った。まだ形ばかりにございます。惟彰がピンと背筋を伸ばして言うと、白梅院はしっかり頑張りなさいと言ってから惟彰を見つめた。
「この前会った時は、まだ幼子の面影があったのに、もうすっかり大人になってしまったな」
「私など…まだまだ未熟者です。おじいさま、水良にはもう会われましたか」
「まだだが、水良はどこに?」
「多分、梅壺におりますよ。最近はすっかりあそこがお気に入りで」
 笑いながら言った惟彰に、そうかと目を細めて白梅院は開いていた書を東宮傅に返した。水良は相変わらず、書を読むよりも鳥と花か。白梅院が苦笑すると、控えていた東宮傅が穏やかな口調でにこやかに答えた。
「恐れながら、水良さまは四季を愛でる心が強いお方にございますれば。最近では北山や宇治へも伴を連れておでかけになられます」
「本当か!? まだ童姿の水良が…」
「私などよりよほど活動的ですよ、水良は。前の秋も嵐山の紅葉だと言って、両手に抱えるほど燃えるような紅葉を拾って来てくれました」
 おかしそうに笑って言うと、惟彰は水良にも会って行かれるのでしょう?と尋ねた。そのつもりだと答えると、白梅院は東宮傅に講義の風景を見せてくれるよう頼んだ。

 
(c)渡辺キリ