玻璃の器
 

 馨君が成長するにつれ、その美しさと気性の素直さは京中に噂となって広まった。まだ元服前だというのに、早くも父兼長にそれとなく結婚の打診をする公卿も現れ、実際には噂よりもずっとまだまだ子供っぽい振る舞いをしている馨君を思うと、兼長はますます頭を痛めた。
 それと同じくして、あれほど美しい若君の妹なのだから、芳姫も美しいのだろうという噂も立ち、同時に東宮惟彰が芳姫にご執心で、何度も文を取り交わし、すでに結婚も決まっているという話も口さがない人々の間で上っていた。それを聞いた白梅院が、再び兼長を呼びつけてどうなっているのかと問いただしたこともあり、胃を痛めた兼長はとりあえず馨君の元服だけでも済ませて山積みの問題を片づけようと、準備を整え始めた。
「馨君って、そんなに可愛らしいのかなあ」
 宮中から南東に位置する蛍宮邸でも、女房たちが従者から聞きつけて来た馨君の噂で華やいでいて、直接は関係ないだろうにと苦笑しながらその様子を見て、蛍宮の二の宮である椿の宮が呟いた。宮中へ出仕すれば、同じ年だし嫌でも顔を合わせるだろうな。兄宮である時の宮が笑いながら言っていたことを思い出して、椿の宮は振り向いた。
 そこには父方の遠縁に当たる冬の君が鎮座していた。去年、母を亡くしたばかりで、縁者をたらい回しにされた後、血縁をたどって財力に余裕のある蛍宮家へ引き取られて来た冬の君は、椿の宮より二歳年下の九歳だった。小柄で愛らしい顔立ちなのにすでにどこか大人びた表情をしていて、黙って座っていると何だかこちらが見透かされているような気持ちになる。
「まだお目にかかったことがございませんゆえ、何とも」
 軽い笑みを浮かべて言った冬の君に、椿の宮はそれもそうだなと呟いた。父、蛍宮は引き取ったのも何かの縁と、心を開かず子供らしくない冬の君には穏やかに優しく接して、時間をかけてその心を解きほぐしてやろうと考えているようだった。とりあえず年近な椿の宮の部屋に近い場所に、実子と同じような一室を与え、年若い姉のような女房たちをつけた。
 毎朝、勉強が終わると、女房の一人が冬の君を連れて椿の宮の元を訪れる。
 冬の君付きの女房たちが、この小さな冬の君を疎ましく思っていると父上たちが知ったら、どう思うだろうな。そりゃ、この家の実子でもない冬の君付きになった所で、誰に自慢できる訳でもないし…。椿の宮は、冬の君がぼんやりと御簾越しに枯れ庭を見ている横顔を眺めているのが好きだった。馨君さまとかいう大納言家の若君も愛らしいかもしれないけど、冬の君だって黙って座っていれば、愛らしいつぶらな瞳をしている。
 そのことに初めに気づいたのは椿の宮だった。
 お前の母上はよほど綺麗な方だったんだろうな。椿の宮が尋ねると、冬の君は庭を眺める視線をそのままに、さあ…と呟いた。
「父上は何をしておいでなの? 母上が亡くなられた時、誰か知らせに行っただろう?」
「いつも忍んでおいででしたので、誰も父上の邸を知らなかったのです。母上が亡くなられたのも急なことでしたし、主だった女房もすぐに散ってしまいました…それに、最近はお忙しいのか、ひと月に一度訪れがあればよい方でしたので」
「薄情な方だな」
「お優しい父上でしたよ」
「…俺なら、お前を放っておいたりしない」
 椿の宮が怒ったように言うと、冬の君は初めて振り向いて椿の宮を見つめた。ありがとうございます。そう言って、珍しく笑ってみせた。でも、父上のことは恨んでいませんから。そう付け加えて冬の君はまた庭を眺めた。

 
(c)渡辺キリ