年が明け、馨君は十四歳になった。
日を選びに選んでようやく決まった芳姫の裳着は、亥の刻が過ぎてから行われた。馨君の元服同様、藤壺や他の内裏の妃たちを始め、公卿たちからも祝いの品が贈られた。腰結いの左大臣がまだ小柄な芳姫に裳の紐を結び、亡くなった祖父宮さまによく似ておいでだと感嘆の息をもらした。
「一の姫どのの祖父宮さまといえば、兼長どのの北の方の父宮のことだろうか」
裳着の式が終わり、祝いの席に集まった親王や公卿たちの中に紛れて、権大納言行忠が腕を組んで呟いた。宴はたけなわで、隣に座っていた娘婿の柾目がちらりと舅を見た。私はお目にかかったことはございませんがと柾目が言うと、若い頃は立ち居振る舞いが雅でお美しい顔立ちの宮君だったそうだと行忠が答えた。
「一の姫は馨君に大層似ておいでだと噂に聞いていたが、祖父宮さまに似ているのなら、それほどそっくりでもないのだろうな」
「馨君は祖母君によく似ていると言われておりますからね。参内を始めた頃によく大内でお見かけしましたが、本当に愛らしい顔立ちで、二条の方さまに会ってみたくなりましたよ」
にこやかに言った柾目に、兼長どのの母上なれば、会う機会はなかなかあるまいなと苦笑して行忠は女房につがれた酒をあおった。どこからか歌が笑い声と共に流れてきた。左大臣や他の公卿たちからも次々と祝いを述べられて動けなくなっていた馨君が、行忠に気づいてそこに膝をついた。
「行忠どの、このたびは素晴らしい祝いの品の数々、ありがとうございました。妹も喜んでおります」
「侍従の君か。さすが入内を控えた一の姫の御裳着だけあって、立派なものだ。宣耀殿(濃姫)さまの裳着の規模に勝るとも劣りません」
「いえ…これからは宣耀殿さまにもご懇意にしていただく機会が多いかと思います。行忠どのとも力を合わせて主上をお支えしなければと、我が父も申しております…まだまだ若輩で至らぬ所も多いかと思いますが、一の姫をよろしくお願いいたします」
深々と丁寧に頭を下げた馨君に、行忠が思わず目を潤ませた。元服の時にはまだあどけない方だったが、一年でずいぶんと大人になられたものだ。
「我が娘である宣耀殿さまとは同じ内裏の妃同士だ。一の姫に限らず、何か困ったことがあったら、いつでも相談に来なさい」
「ありがとうございます」
面を上げて華やかに笑うと、馨君は行忠の杯に酒をついだ。さっきから強かに飲んですでに赤くなっていた行忠は、馨君の黒い濡れたような大きな目にうっとりと見とれた。返杯を。そう言った行忠に、脇にいた柾目が私がつぎましょうと目を細めて提子(ひさげ)を取り上げた。新しい杯を取り上げた馨君をジッと見つめながら、柾目はほうと息をついた。すでにどこかで酒を薦められたのか、馨君の目の縁がほんのりと桜色に染まっていた。その顔は灯籠に照らされて、はかなげで美しく、いただきますと言って杯を傾けて馨君はふーっと息を吐いた。では、お返しを。そう言って提子を受け取る時、柾目に手を触られて馨君は思わず提子を取り落とした。
「あ! 申し訳ありません。誰か…」
「大丈夫ですよ。かかってませんから」
床に流れた酒を、周りにいた女房があわてて拭いた。すみません。もう一度、行忠と柾目に頭を下げると、新しく持ってこさせた提子を受け取り、馨君はどうぞと言って柾目の杯になみなみと酒をついだ。
「ちょっと失礼」
腰結い役だった左大臣が座に現れて、行忠が立ち上がった。ふらりふらりと歩いて左大臣ににこやかに挨拶している行忠を横目で見ると、柾目は酒の肴にしていた零余子の入った器を懸盤(かけばん)から取り上げ、馨君に差し出した。
「馨君とはゆっくりと話してみたいと思いながら、宮中ではなかなか話しかけられずにいました。これを機会に、私とも懇意にしていただけますか?」
宮筋らしいおっとりとした口調で、柾目はにこりと笑った。喜んで。口元で笑い返して馨君が零余子に箸を伸ばすと、誰かが催馬楽(さいばら)の『総角』を歌いだした。それは少年少女の恋の歌で、首筋まで真っ赤になった馨君をそっと盗み見て柾目は目を細めた。
|