玻璃の器
 

 宇治にある会恵の庵は簡素で、会恵は普段僧都(そうず)として属している真言宗派の大寺院と宇治の庵を行き来して過ごしていた。会恵は画僧としても有名で、偏屈な性質から滅多に注文を受けないという噂だったが、実弟である主上からの依頼には渋々と応じているようだった。
 水良が会恵と初めて会ったのも、僧都として内裏にやってきた会恵と主上が歓談している所に同席し、会恵の描いた絵巻物を見た時だった。会恵が京内に留まる間、絵を習いに日参していた水良を会恵の方も熱心によく教えていた。
「全く、私がここにいなかったらどうするつもりだったのだか」
 まだブツブツ言いながら、会恵は法師とは思えないような大股歩きで庵の一室に入った。その後について会恵の向かいにあぐらを組んで座ると、水良は苦笑して答えた。
「おらねば庭先の松でも燃やして、暖を取るつもりでした。夜は冷え込みますから」
「何を言うか…それで何だ、突然。そのなりでは主上の使いという訳でもないのだろう」
 小坊主が出した白湯を飲むと、会恵はため息まじりに尋ねた。主上の使いの時の正装とは違い、水良は普段と同じ小狩衣を着ていた。黙り込んで少し考えると、水良は重い口を開いた。
「元服と共に添臥しの姫の話が出たんです」
「ほう…お前もそのような年になったか。春宮が元服したのが昨日のことのようだが」
「母上はそれほど乗り気じゃないんですが、権大納言どのから母上に、ご自分の姫を添臥しにと話が出たそうなんです」
「権大納言と言えば今は行忠どのか。なるほど。直接、藤壺どのへ話があったということは、水面下では根回しが進んでいような」
 ふふっと笑って会恵が言うと、水良はムッとして笑い事ではごさいませんと答えた。視線を伏せた水良に、会恵は傍らの火桶の炭を火箸でついて口を開いた。
「春宮はすでに三人も妃を持っていると言うし、真面目な顔で澄ましておるのに、お前との縁談話を聞いた途端、入内する前の梨壺どのの几帳をどけさせて契ろうとしたという噂ではないか」
「そんなことまでご存じなんですか。どこから聞くんですか、そんな話」
「バカもの。高野(こうや)の狐は口さがないのを知らぬのか。女房の噂よりも早く千里を駆けるぞ」
 目尻の皺を深めて爆笑すると、食事の準備ができましてございますと告げた小坊主に運んでくれと答えて会恵は表情を改めた。それでも薄く笑みを目元に浮かべて、会恵は縹色の法衣の袖を払った。
「もし春宮に皇子が生まれねば、お前が皇太弟として立つのだからと白梅院どのから言われたろう」
「…言われました。いずれにせよ、妃は大勢娶らねばならんと」
「責任は果たさねばならんと?」
「はい。前麗景殿の母上もそれを望んでいようと」
「まあ…そうであろうな」
 膳を運んできた小坊主に気づいて、会恵は立ち上がり、円座を自分で持って膳を置くために前を開けた。
「とりあえず食え。腹が減ったろう…私はもう済ませたが、お前に付き合おう」
「ありがとうございます。涙が出るほど嬉しゅうございます」
 自分が食いたかっただけじゃないのか。こっちは胸が重くて食欲もないのに。呆れたように会恵を見た水良に、食べながら話そうと言って会恵は箸を手に取った。
「で、なぜ妃はいらん?」
「…」
「誰もそれを聞かんのだろうな。あそこはそういう所だからなあ…」
「伯父上も妃を娶らず、若くして出家したと伺いました。伯父上なら、俺の頼みを聞いてくれるんじゃないかと思って参上しました」
 箸を手に取ってはまた置いて、水良が言葉を押し出すように言った。頼みとは何だ。会恵が箸を止めて尋ねると、水良はしばらく黙り込み、それから思いきったように顔を上げた。

 
(c)渡辺キリ