盗賊がねぐらにしているという羅城門を急いで越え、宇治に住んでいたという時の右衛門佐の従者を道案内にして馬を走らせていると、ふいに三条邸で随身(ずいじん)をしている宗近が少し緩めて下さりませ!と白い息を吐きながら馨君に叫んだ。馨君が馬の速度を緩めると、宗近はこの暗さの中をそんな速さで走らせては馬が参ってしまいますると言った。宮中から退出して三条邸へ寄った馨君は、盗賊に狙われないようそれまで着ていた束帯を脱いで、濃萌黄の狩衣に着替えていた。同じ盗賊よけの理由で武官の束帯をがっちりと着込んだ時の右衛門佐が大丈夫かと声をかけた。
「ゴメン。気が急いてしまって…」
「宇治までもう少しだ、焦らなくても大丈夫だぞ」
右衛門佐の言葉に頷くと、馬を止めて五人が一所に固まった。熾森が手に持っていた松明の炎の元で、馨君は額の汗をぬぐった。水良、ちゃんと会恵さまの庵にいるんだろうな。まだドキドキしている胸を手で押さえて馨君が視線を伏せると、隣にいた熾森が口を開いた。
「まさかとは思いますが」
「何だ、熾森」
右衛門佐が尋ねると、熾森は細い目で右衛門佐を見ながら言った。
「水良さまはなぜ突然、藤壺の女房にも告げずに宇治へおいでになったのでしょうな」
「…なぜって」
考えてもみなかったことを言われて右衛門佐が言葉をなくすと、馨君も不安げに眉をひそめて熾森を見上げた。何も仰せではなかったのでございますか。熾森が逆に尋ね返すと、右衛門佐が思い出しながら答えた。
「内裏を出る前、梨壺でご自分の元服の話をされていたと、梨壺の女房が言っていたが」
「なれば…最近、ずっと水良さまのご元服に合わせて添臥しを選ばねばならぬと、話が出ていたのでしょう。水良さまもお悩みだったとか」
「何が言いたいのだ」
暗闇に響く熾森の低い声に心を乱されて右衛門佐が声を荒げると、熾森は落ち着いた様子で答えた。
「もしや、水良さまは…会恵さまの元でご出家される覚悟で内裏を出られたのでは」
「!」
馨君が青くなって顔を上げると、熾森は馨君をちらりと見てから言葉を続けた。
「失礼ながら会恵さまは変人とお噂の高い方、あの方も妃を娶らず元服して、お若いうちに出家なされたという話です。会恵さまならばと考えて、髪を切る覚悟で宇治を訪ねたとしても不思議はありますまい」
「バカな! それほどまで頑迷に妃を娶らぬ理由がある訳ないだろ!!」
「しかし、それ以外にご出奔の目的を思いつきませんが」
相変わらず冷静な口調で言った熾森に、手綱を持つ手を震わせて馨君は唇を白くなるまで噛みしめた。そんな…水良が。血の気の引いた馨君の顔を見ると、右衛門佐があわててその背を支えて声をかけた。
「しっかりしろ。落馬するぞ」
「あ…あ、ゴメン」
「少し休んでから出発しよう。たとえ水良さまが出家を求めて庵を訪ねたとしても、会恵さまはそれにすぐ応じるような浅薄なお方ではない。一晩の猶予はあるはずだ」
「まあ、そうでございましょうな。会恵さまは聡明なお方だと噂にも聞いてございますゆえ」
飄々と熾森が言った。お前な…。軽く熾森をにらんでから、馨君は右衛門佐に続いて馬を降りた。侍従職で文官の馨君は武官の右衛門佐よりも騎馬で移動する機会は少なく、長い道のりを馬で飛ばした経験もほとんどなかった。いててと腰を押さえて木の根元に座り込んだ馨君を見て残りの四人が声を上げて笑うと、ひと事だと思ってとブツブツ言いながらも少しだけ気が緩んで馨君は小さく息を吐いた。
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