玻璃の器
 

 一室を几帳で分ければよかろうと言う馨君に、従者の分を越える訳には参りませんと頑に辞退して熾森や随身の宗近らが別室に控えた。濃萌黄の狩衣を着た馨君が、自分も寒いのか腕をさすりながら隣は冷え込むだろうにと呟くと、時の右衛門佐が隣にも炭櫃(すびつ)を持ってきてもらおうと言って立ち上がった。
「俺はそのまま従者の里帰りについてって、向こうに泊まるよ。明け方には戻るから」
 人がよさそうにニコリと笑って、時の右衛門佐は来た時の武官装束のままささっと出て行ってしまった。この庵には女はいないからな。水良が笑いながら言うと、馨君も苦笑して立ち上がった。
「…二人で寝るのは子供の頃以来だな」
 小坊主が用意してくれた寝所を見て馨君が言うと、そうだなと答えて水良は直衣を脱ごうとした。手伝うよ。あわてて馨君が手を伸ばすと、水良は赤くなっていいよと馨君の手を遮った。
「お前こそ自分で着替えられないんじゃないのか」
 意地悪そうに笑って水良がするりと直衣を脱ぐと、馨君は脇に片膝をついてそれをきちんとシワを伸ばして衣架(いか)に掛けた。
「おばあさまに教えていただいたんだ。一人で着物ぐらい着られるぞ」
「二条の方に? しっかりしたおばあさまだな」
 水良が言うと、馨君は衾の端をめくった。どうぞ、親王さま。おどけて馨君が言うと、水良は赤くなって嫌な奴だなと答えた。
「馨君」
「…何です」
 馨君がそばに控えて答えると、衵(あこめ)姿の水良が馨君の前に向かい合ってあぐらを組んで座った。灯台の芯をしぼった小さな炎がゆらりと揺れた。馨君の大きな黒い瞳が明かりに濡れたようにきらめいて、まるで妖しの者のように色づいていた。その目をジッと見つめると、水良は視線を伏せた。
「覚えてるだろうか。俺が初めて三条邸を訪れた日のことを。俺はまだ四つだったな」
「藤壺さまのご出産で、里下がりをされた日だったっけ。覚えているよ」
「俺は内裏から母上の車に乗せられて、ずっと揺られて退屈だったんだ。内裏ではみんなが俺の出自に遠慮をして、相撲をとっても駆けっこをしても、いつも俺が一番だったし…それが嫌いではなかったし満足はしていたけれど、車を降りた途端、俺の知らない鳥が飛んでいて、俺は上手く息ができないぐらいわくわくしたんだ」
 馨君の手を取ると、それを握りしめて水良は囁いた。馨君の手は疲れているせいか火照っていた。視線を上げてまた馨君を見ると、水良は笑った。
「庭に出たら、お前が姫姿で遣水(やりみず)を覗き込んでいて、それが桜のかさねを着ていたもんだから、俺はてっきり桜の精でも現れたのかと思ったんだ。ちょうど、車の中で母上とそんな話をしていたからな」
「バカだな。俺はただ藤壺さまにお会いするために窮屈な思いをするのが嫌で、芳姫と衣装を交換して逃げ出しただけだったのに」
「そうだったのか? ああ、それであんなカッコしてたんだ」
 声を立てて笑うと、水良は目を細めて馨君を見た。
 懐かしいな。まだ十年もたたないのに、遠い昔の話をしているようだ。
 …遠い昔のことなのかもしれない。少なくとも、自分にとってはあの頃とは違う。
 身も心も。
「俺はあの時、春宮さまが年上の方だと知らなかったから、お前を春宮さまだとてっきり勘違いしてしまった。おかしいな。お互いに何者かも知らないで」
 ククッと笑った馨君に、その手をつかんだまま水良は目を細めた。その表情を見ると、馨君はふいにカアッと赤くなって視線をそらした。さっきは冗談であげ劣りだと言ったけれど、すっきりと耳を出して冠をかぶった水良の姿は、まだ十三歳ながら大人びて立派な公達姿だった。握られた手を取りかえそうとした馨君に、その手をつかむ指先に力を込めて握りしめ、水良は膝で進んで馨君の顔を覗き込んだ。
「馨君…お前がここまで追ってきてくれて、嬉しかった」
「え?」
 思わず少し後ろへ下がって馨君が水良を見上げると、水良は馨君の指に唇を押し当ててから言葉を続けた。
「お前がどこかの宮腹の姫を母上に勧めたと聞いて、それなら一人で元服してしまおうと思い詰めたけど…お前を庭で見た時、生霊でもいいと思った。本物だと分かって…もっと嬉しかった」
「…水良」
「馨君…俺と、共寝を」
 言いかけてカアッと耳まで赤くなると、堪えきれずに手を離して水良はそのまま自分の膝の上で拳を握った。最後まで言えずに水良が黙り込むと、ぽかんとしていた馨君はふいに背を正して答えた。
「いいけど」
「えっ、ホントに!?」
「ここ、寒いし。そう言えば昔、同じ衾で寝たことがあったなあ。お前が内裏へ帰る前の日だ。あの日は眠いのに夜遅くまで起きてしゃべってたっけ。懐かしいなあ」
 自分の衾を持ってきてバサリともう一枚に重ねると、がっくりしている水良を振り向いてどうかしたのか?と馨君が尋ねた。いや、何でもない。そう言って先に衾に潜り込むと、水良はうつぶせになって頬杖をついた。
 添臥しの夢が叶ったっていうのに、色気がないなあ。
 俺が悪かったんだろうか。どこで間違えたんだろう…狩衣を脱いで単衣姿になった馨君が衾の中にゴソゴソと潜り込んで頭を出した。中はふわりと暖かくて、水良の体温を感じるとようやくホッとして馨君は目を細めた。
 よかった…水良が出家したのでなくて、本当によかった。
「…抱きしめてもいい?」
 ふいに水良の声がして、馨君が返事をする間もなくギュッと力強く抱きしめられた。水良の匂いが急に近づいて、馨君は驚いて言葉を失った。馨君のまだ華奢な背を何度もさすると、水良は強く目を閉じてからそっと離した。
「俺の添臥しは、お前だな」
 冗談めかして水良が言うと、馨君は何を言ってるんだと答えて水良に背を向けた。そのまま仰向きになると、水良は鼓動する胸を押さえながら目を閉じた。馨君の気配は、いつまでも水良の腕をくすぐった。その日、明け方近くまで寝返りを繰り返した後、馨君の健やかな寝息を聞きながら水良はゆっくりと眠りに落ちていった。

 
(c)渡辺キリ