玻璃の器
 

 夜が明けてから時の右衛門佐とその従者が戻ってくると、水良や馨君は会恵と火桶を挟んで話していた。遅くなってすまないと言って右衛門佐が頭を軽く下げると、馨君は色に手慣れた右衛門佐どのらしくないなとからかった。
「誰も束帯の着付けを知らないのだから、仕方がないだろう。女の家の弟君の狩衣をようやく借りて、束帯は持ち帰ってきたよ」
 そう言って、右衛門佐は昨日泊まった女の話を始めた。従者の幼なじみであるその女は父親が元文章家で、二年ほど前にその父親も亡くなり、今は落ちぶれて細々と暮らしていた。粗末な家だったが、なかなか風情があったよ。真顔で言うと、右衛門佐は会恵に硯と筆を貸していただきたいのだがと願い出た。
「マメなことだな。出先でも後朝の歌か」
「世話をしてやろうと約束しましたから、安心させてやらねば。これまで見たことのないような、浮ついた所のない気のきいたいい女でしたので」
「宇治は遠いぞ」
「屋敷に戻ったら、七条辺りに小さな家を用意しますよ」
「お盛んなことだ」
 会恵が笑うと、馨君も声を立てて笑った。一人、微妙な顔をしていた水良は、墨をすりはじめた右衛門佐を横目に立ち上がった。
「それでは、私は先においとまいたします」
「え?」
 馨君が驚いて顔を上げると、会恵は心得ていたのか、それがよかろうと頷いて立ち上がった。つられて馨君も立つと会恵は言った。
「水良の心づかいだ。お前たちは半刻遅れて出ろ」
「なぜ? 水良さまも俺たちと一緒に戻った方が…」
「お前たちが共に内裏へ戻れば、水良が勝手に元服してしまった責を共に負わされよう」
「それなら尚更、水良さま一人で帰す訳にはいきません!」
 赤くなって馨君が言うと、水良は馨君の肩をポンと叩いて答えた。
「俺一人なら少し絞られただけで済むだろうけど、お前たちが一緒にいると、他の臣下の手前、母上や父上も罰なしに済ませることができなくなってしまう。お前を可愛がっている母上には、それも辛かろう」
「水良…」
「俺は夕べの内に出立して、羅城門の手前で宿を取ったことにする。お前たちは俺とは入れ違いになり、会恵さまの庵に泊まったことにしてくれ。時の宮、頼んだぞ」
 まだ腑に落ちないような表情の馨君を見て水良が苦笑すると、右衛門佐は仕方がありませんなと答えて息をついた。連れてきた小舎人を呼んでくれ。そばに控えていた小坊主に頼んで、まだ着慣れない直衣の襟を正した水良を見上げると、馨君は心配そうな表情で気をつけてと呟いた。

 
(c)渡辺キリ