玻璃の器
 

 次の日、梨壺へ行って惟彰に夕べの礼を言った後、藤壺へ寄るかどうか少し迷ってから、馨君はまっすぐ中務省へ向かった。
 水良に会えば、嫌でも元服の話をしなければならない。それが辛くて避けていた。中務と清涼殿を行ったり来たりする侍従の仕事では、昼の御座まで水良が来ることは滅多にないとは言っても、目と鼻の先にある藤壺からいつ出てくるかと、馨君はビクビクしていた。
 侍従の仕事を無難に、しかし口数少なくこなす馨君の様子に気づいているものは中務省にはいなかった。宮中から戻っていつものように湯漬けを食べ、早々に眠ろうと仕度をしていると、いつもはもう休んでいるはずの呉竹が静かな足取りで簀子の前に平伏した。
「馨君さま…おもうさま(お父さん)がお呼びでございますよ」
「え? 父上?」
 ドキッとして振り返ると、馨君は若葉にさっき脱いだ蘇芳の直衣をまた着せてくれるように頼んだ。きちんと直衣を着込んで寝殿へ急ぐと、父兼長が酒を飲みながら馨君を待っていた。
「お呼びと伺いましたが…何かあったんですか?」
 馨君が尋ねると、兼長はうむと呻いてから二、三人の女房を残して下がらせた。大内のことだろうか。俺、何か失敗したのかな…少し緊張した面持ちで女房がしつらえた円座に腰を下ろすと、酒をつごうとする女房に白湯をくれと頼んで馨君は兼長を見た。
「今日、主上や他の公卿たちと、水良さまの話になってな」
 馨君が眉をひそめると、その表情にも気づかず兼長は女房がついだ酒をあおって魚をつついた。
「やはり元服のことが気になっておられるようで、主上がたびたび口になさる。それを横で聞いていた行忠めが、我が娘を添臥しにして、馨君にも負けないぐらいの立派な元服式を上げましょうと言いおった」
「権大納言どのの姫といえば…三の姫のことですか?」
「そうだろうな。惟彰さまに差し上げようと妃教育しておったものを、水良さまにならと、もうもみ手をせんばかりの勢いでな。放っておけば右大臣や左大臣も、わしの姫をと言い出さんばかりの雰囲気になってしもうた。後見は誰か、みな忘れておる!」
「父上でもないでしょう。後見は藤壺さまなんだから」
「何を呑気なことを言っておる! もし万が一、行忠めの三の姫が水良さまに嫁し、もし万が一にでも水良さまが主上とおなりあそばされたら、お前も安穏とはしておられんのだぞ!! 何といっても、力を持つのは同腹の姫なのだから!」
「…」
「惟彰さまだけではなく、水良さまとてわしらが後見して差し上げねばならんのだ。藤壺さまは、水良さまが乗り気でないことと、冠をかぶれば悩みも増えようと元服をためらっておいでだが、それも今年か来年中には行わねばならぬこと。お前も心しておけ。本来なれば、お側近くにおいていただいておるお前が、心を砕いて考えねばならぬことなのだぞ」
「…はい」
 目を伏せたまま答えると、馨君は顔を上げた。何か言おうとして、口をつぐんだ。水良にしかるべき姫を娶らせることは、親友である俺の仕事。言葉は重く黒い固まりになって胸の底に沈んだ。

 
(c)渡辺キリ