玻璃の器
 

 結局、夜半を過ぎて迎えにきた熾森に連れられ、馨君は三条邸に戻った。
 宴途中でいなくなった馨君は、こういう時こそ他の公卿や殿上人と親睦を図るのだと兼長からお小言をくらいながらも、久しぶりに水良とゆっくり過ごせたためか機嫌がよかった。子供っぽい独占欲を持つわがままな自分を水良が優しく迎えてくれたことで、ようやく吹っ切れたような気がした。
 いくら俺が、いつまでもそのままでいてほしいと思っても、水良にとっては迷惑な話。
 …どうせ、いつかは誰かを娶らねばならないのなら、俺が心を込めてよい姫を選ぼう。そして主上に奏上しよう。そう考え、熾森や為資にも、従者や家司の間でよい家柄の年頃の姫の噂は聞いていないかと尋ねた。
「私は、水良さまより馨君さまの姫探しをしとうございます。どこぞの宮腹の姫がよろしゅうございますな。おっとりとして見目麗しい姫が」
 ムッとして答えた熾森に、馨君はまず水良さまだと強く言って熾森の額を小突いた。よろしいのですか? 熾森が尋ねると、馨君はその大きな目で熾森を見上げ、それから何がと答えた。
「急に元気になったなあ。何かいいことでも?」
 初霜が降りた日の夜、退出後に三条邸を訪れた時の右衛門佐がニヤニヤと笑った。時の右衛門佐を軽くニラむと、簀子に出て庭を肴に二人で夕食を取りながら馨君が言った。
「何かもう悩んでいてもしょうがないっていうか…それより、こないだの話」
 馨君が索餅(さくべい)を手に取りながら言うと、時の右衛門佐は女房に酒をついでもらいながら答えた。
「おっとりとした宮姫ねえ。お前にはもっとしっかりとした姫の方がよかろうと思うんだけど」
「だから、俺の話じゃないんだって。とある方の…」
「とある方ねえ」
 自分と同年代で、位が高くて、おっとりとした気性のよい姫はいないだろうか。そう尋ねた馨君に、てっきり自分の嫁探しをしているのだと思い込んだ右衛門佐は、腕を組んで首を傾げた。
「中務卿の孫姫は、おっとりとしていると聞くがなあ」
「その方はおいくつなんだ?」
「御年八歳」
「もう少し上にはいないのか」
 今年来年の話なのに、八歳では話にならないと馨君がため息をつくと、右衛門佐はふうんと呻いてから口を開いた。
「実は、うちの姉上が」
「え?」
 馨君が顔を上げると、右衛門佐は魚を箸でほぐしながら答えた。
「御年十七歳であられるんだが、父上が箱入りに育ててしまったものだから、裳着もまだなのだ。いや、我が姉ながら性格はおっとりしていて髪も豊かだし、父上の手ほどきで琵琶も達者だし、お前や梨壺さまのように冴え渡るような美人とは言いがたいが、優しくて気だてのよい姫なんだ」
「右衛門佐どの、姉上なんていたっけ? 兵部卿宮邸でもそんな話になったことはないけど」
「いるが、本当にいい男に通ってもらいたいから、あまり人に話したことないんだ。母上はそろそろよい殿御に通ってもらわねばと焦っているようだが…」
 十七歳なら…十二歳の水良とギリギリ合わないことはない。右衛門佐どのは少し軽薄な所もあるけど、根は正直で男気もあるし、蛍光親王さまも楽を愛するもの静かで素晴らしいお方だし…出仕はなさらないけど、先々帝さまの御子さまだし財力も悪くない。水良だって前麗景殿さまの荘園を譲り受けているはずだし。頭の中で素早く計算をすると、馨君は白湯を口に含んでうーんと目を閉じた。下手に権力ありありの家の姫君を迎えるより、ずっと水良の望みに応えられるんじゃないだろうか。
「あのさあ」
 考え込んだ馨君の横顔を見ると、右衛門佐は組んでいた腕を解いて今度は自分の膝をグッとつかんだ。え? 馨君が右衛門佐を見ると、右衛門佐は真剣な表情で口を開いた。
「馨君、お前、うちの姉上に通う気はないか?」
「…は!?」
 あまりに突然のことで馨君が声を上げると、そばに控えていた若葉も驚いて右衛門佐さまと名を呼んだ。その表情を見てはああと息をつくと、額をなでて右衛門佐は苦笑いした。
「自分の恋なら勝手にやるけど、こういうことはどう言っていいのかまるきり分からないなあ。まあ、とにかく弟の自分が言うのもなんだけど、うちの姉上は本当に人の好い姫だよ。おっとりしているかと思ったらしっかりしている所もあるし…」
「ちょ…ちょっと待ってくれ! 俺はまだ姫の所に通う気は」
「姫探しをしているんだろ?」
「それは俺のことじゃなくて、水良さまのことだ!」
 思わず言って、馨君は口をつぐんだ。そばにいた若葉の目がさらに真ん丸くなった。は? 水良さま? 思っても見なかった名前が出て右衛門佐が尋ね返すと、顔を真っ赤にして馨君は目を伏せた。
「こないだ父上からも、伴大輔どのからも、俺から妃を娶るよう水良さまに勧めてくれって言われたんだ。それでずっとどうしようか考えてたんだけど、やっぱり水良は小さい頃からおっとりとしている所があるから、おっとりした姫がいいんじゃないかと思って」
 夢中で言って、水良を呼び捨てにした自分にも気づかず馨君は目を伏せた。唖然とした右衛門佐が、マジマジと馨君の横顔を見つめた。馨君さま、よろしいんですの? 若葉がそっと囁くと、馨君は顔を上げて何が?と尋ねた。
「…水良さまか。水良さまの元服などまだ先だと思ってたが、もう話が出てるんだなあ。藤壺さまが承知すまいと思っていたが」
「藤壺さまが何て言おうと、主上から話が出れば進めずにはいられないだろう。そうなれば準備を進めるのは父上だろうし、やはり俺も手伝わなきゃ」
「そうかあ。それなら、大納言殿の妾腹にも姫は大勢いるだろう。中には見目麗しい姫もいるんじゃないのか」
 右衛門佐が尋ねると、馨君は黙り込んだ。自分の血縁は嫌なのか…俺が馨君の立場なら、真っ先に同腹の姫をお薦めする所だが。右衛門佐も黙って返事を待つと、馨君は目を伏せたまま白湯を口に含んだ。
「ともかく…それなら右衛門佐どのの姉姫の話を出してもいいだろうか? 水良さまなら、きっと姉姫も気に入られると思うのだが」
 改まった口調で馨君が言うと、右衛門佐はそりゃあいいけど…と言葉を濁した。他にも妃候補となる姫は多かろうな。考えながら魚の身をほぐして、それから右衛門佐は憂いを含んだ馨君の横顔にチラリと視線を向けた。

 
(c)渡辺キリ