玻璃の器
 

 驚いた。
 息が止まるかと思った。結局、楽の話で夜更けまで蛍宮邸に滞在した馨君は、東の対の一室に泊まることになった。三条邸へ使いをやってから、女房に手伝ってもらって束帯を脱いでいると、烏帽子をかぶり、紅色の単衣の上に袿を肩にかけただけの気軽な格好をした右衛門佐が御簾をめくって入ってきた。
「今日は久しぶりに父上たちの楽を耳にできて、楽しかったな。お前、しばらくここへ通うんだろ?」
「うん。参内と佐保宮修理の合間を縫ってな。蛍宮さまから琵琶の手ほどきを受けられるなんて、本当に嬉しいよ」
 にこにこと笑いながら言った馨君に、右衛門佐はふいに思い出したように尋ねた。
「さっき、冬の君を見て驚いていたようだけど、知り合いだったのか?」
「え?」
 馨君が振り返ると、右衛門佐は女房に座をしつらえさせてそこに座った。
「椿を見た時と、あからさまに表情が違ったからさ。父上からはよく見えなかっただろうが」
 右衛門佐が腕を組んで言うと、馨君はうん…と呟いてあぐらを組んで座った。その場に控えていた女房に下がるように告げると、二人になった所で馨君は右衛門佐を見た。
「知っている方にそっくりなんだ」
 少し言葉を選んでから馨君が言うと、右衛門佐は眉を寄せ、それから誰と?と尋ねた。誰とって…。言いかけて口ごもると、馨君は思いきって口を開いた。
「藤壺さまのお顔をご覧になった方は、大内でも少ないと思うが」
「藤壺さま? そりゃあ主上や春宮さま以外には、見たものはほとんどいないだろうな」
「あの冬の君の顔は、藤壺さまにそっくりなんだよ。俺も目が藤壺さまに少し似ていると言われるんだけど、そんなものじゃないな。本当にそっくりなんだ」
「おい、まさか…藤壺さまのお種だなんて言うんじゃないだろうな」
 右衛門佐が尋ねると、馨君は赤くなって、そんな訳ないだろと言い返した。
「藤壺さまは御裳着と同時に入内された方だ。それはないだろうと思うが…他人の空似だろうか」
 ふうと長いため息をつくと、馨君は憂いた表情で視線を下げた。うーんと呻いて同じように頭を垂れると、右衛門佐はふいに苦笑いした。
「せっかく馨君に来てもらって、姉上にも紹介しようと思っていたのに、何だかそれどころじゃなくなっちゃったなあ」
「え、ごめん。でももう遅いし、姉君に失礼だよ」
 水良の元服前に、馨君に姉君をと右衛門佐が話していたことをコロッと忘れているのか、馨君はそう言ってまた今度伺った時でいいよと答えた。全く、いつまでもねんねえなんだからなあ。今度、また藤壺さまの所に遊びに行こうかと話しはじめた馨君に、右衛門佐はうーんと組んだ腕に力を込めて馨君の大きな目を眺めた。

 
(c)渡辺キリ