玻璃の器
 

 磨かれた玉のように一点の曇りもなく、楽天家でいつも笑っている馨君の姿を見ると、凍りついた心がいつの間にかやわやわと溶け出しているような気がした。初めは二の宮に頼まれて笛の合わせを手伝っていた冬の君だったが、馨君が訪れると自ら西の対を出て寝殿を訪ねるようになっていた。
 それを面白くないと思いながらも、椿の宮自身、馨君への憧れが強くて何も言えずにいた。馨君が帰った後、いつの間にか西の対へ行って笛を合わせることが習慣になっていて、今日も馨君を見送った後、二人は笛を持って西の対へ向かった。
 塗籠の中で密やかに甘い匂いを放っていた二人の花は、馨君の訪れによって花を閉じ心の奥底にしまい込まれようとしていた。時の右衛門佐とはまた違う、柔和でありながら機智に富んでよくしゃべる馨君のふっくらとした唇を見るたび、そして内裏や三条邸での華やかな生活を聞くたびに、二人は限られた空間でそれぞれに互いを結んでいた撚り糸が解けるのを感じていた。
 実際、体を合わせるよりも、笛の音を合わせる方が互いの気持ちを理解できるような気がする。
「椿の宮さま…私にも笛を教えて下さいませんか」
 いつものように馨君に一刻ほど笛の手ほどきをした後、笛を持って簀子を歩いていると、冬の君がふいに口を開いた。これまで冬の君が自分から何かをしたいと言い出したことはなかった。椿の宮が立ち止まって冬の君を見ると、冬の君は振り向いた。
「せっかくあなたのそばにいるのだから、教えてもらわねば損をしているような気になってきました」
 そう言って、冬の君はふふっと声を立てて笑った。驚き、そして表情を緩めると、椿の宮は冬の君の小さな背中に腕を回して歩くよう促した。駄目でしょうか。思いきって言った分、不安になったのか、冬の君が白い頬を赤く染めて椿の宮を見上げると、椿の宮は首を横に振ってから笑った。
「自分では思わないかもしれないけど、お前の笛はなかなかのものだよ。馨君と共に笛の手ほどきをすでに受けている上に、その後、必ず俺と笛を合わせてるんだから」
 椿の宮が言うと、冬の君は本当ですかと小さな声で尋ねた。それには答えず黙ったまま歩くと、西の対へ入ってから椿の宮は懐の笛を取り出して吹いた。
 それに合わせて、小さな影も寄り添うように笛の音を鳴らした。
 二人の笛の音が絡み合うと、庭の木々や空の星々までがその音に耳を傾けるように息を潜めた。

 
(c)渡辺キリ