気分が優れないと三月中に内裏を下がって行忠邸へ戻ってきた三の姫は、挨拶に来た行忠にも臥せっているのでと言い訳をして対面せずにいた。
ただ流されるままに右大弁と契りを結んだ己の軽薄さと、右大弁を愛おしく思う気持ちが交差していた。父上に知れればどうなることか。衾にもぐりこんでうとうとと眠りながら、三の姫は何度も右大弁の力強い腕を夢に見た。
水良にとっても義理の祖母にあたる二条の方が亡くなったため、入内も果たせず、喪が明けたらすぐに準備を整えましょうと言い残して行忠は寝殿へ戻っていった。
最早、右大弁以外の誰の所へも嫁ぎたくないと、三の姫は寝所で目を開いて眉を寄せた。初めて自分を女として扱ってくれた右大弁が恋しくて、三の姫は起き上がって栄を呼んだ。
「栄、あの方からお文は来ていなくて?」
三の姫の表情に、栄はまだ来ておりませぬがと答えた。今夜、時間があれば忍んで行くと知らせがあったばかりで、落ち着き遊ばせと言って栄は三の姫の寝所に近づいた。
「そろそろ日も暮れますわ。髪を梳いて、お着替えになりませんと」
「ええ、そうね…そうね」
まだ髪もくしゃくしゃのままで、三の姫は赤くなって寝所から出た。栄に手伝ってもらって桜の汗衫に着替えた。それから紅を引いてもらって、三の姫は少し考えてから櫛笥を片づけていた栄に声をかけた。
「やっぱり袿を出してちょうだい。汗衫では子供っぽいわ」
「そうですか? それでは」
汗衫を脱いだ三の姫に、袿を羽織らせて栄は三の姫の髪を整えた。これほど夢中になってしまわれるなんて、思ってもみなかったわ。三の姫を畳の上に座らせて寝所を整えている栄に、三の姫はおいでになるかしらと尋ねた。
「どうでしょうか」
栄と関係を結んでいた時、来ると言っていながら来なかったことなど何度もあった。栄が取り繕うように笑いながら言うと、三の姫はお忙しいから無理かしらと答えた。
戌の刻を過ぎた頃、夜の闇に紛れて男が一人、行忠邸に入った。急いでいる様子で、誰にも見られないよう庭を回って西の対へ向かうと、母屋の階のそばで女房が袖を振っていた。
「右大弁さま、こちらでございます」
「ありがとう。すまぬ」
短く言って階を上がると、闇に紛れて右大弁は女房の先導について妻戸から中へ入った。お待ちでございます。そう言って女房は右大弁を残して外に出た。妻戸に内から掛け金をかけると、右大弁は遅くなって申し訳ないと言いながら進んだ。
「右大弁さま」
ハッと気づいた三の姫が、振り向いて右大弁を見上げた。灯台の元で見る三の姫の顔はまだ子供っぽさを残しながらも艶やかで、紅を引いた唇も美しかった。右大弁が直衣姿で三の姫を抱きしめると、お会いしとうございましたと言って三の姫は右大弁の背に手を回した。
「父上が今日もおいでになられて、葉月には東宮妃入内に先駆けて私の裳着をすると仰せでしたの」
「本当ですか…早く打ち明けねば、行忠さまも引くに引けぬお立場になってしまう」
もう一度力を込めて三の姫を抱きしめ、右大弁は三の姫に口づけた。初めて抱いた日に胸にひっそりと灯した熱情の炎は、今や大きく燃え上がってその身を焼き尽くさんとしていた。すでに内裏で三日夜の餅を食べ交わした二人は、恋しい思いのままに来世まで契りをと誓い合っていた。
これほど三の姫を愛おしいと思うとは。
頼りない体に似合わない理知的な目を見て、右大弁は気持ちを誤魔化すこともできぬと三の姫の小さな唇に自分の唇を重ねた。すでに、初めは三の姫の身分に引かれて、自分の出世のために近づいたのだと打ち明けていた。それが顔を合わせた途端、不思議なほど三の姫を愛してしまったのだと。
柾目の冷たい視線に捕われていた自分を、三の姫の瞳が暖かく溶かしてくれた。そんな気がした。ただの思い込みかもしれぬが…ただただ純朴な三の姫に、右大弁は何も言えなくなって最後には泣いた。十も年下の三の姫は、まるで母のように右大弁の肩を抱きしめて何度もそこをなでた。
「行忠さまには、明日にでも打ち明けましょう。思えば主上の祖母上がお隠れになったのも、私たちへの天の啓示かもしれぬ」
「まあ、右大弁さま。何でもご自分のよい方にお取りになるのねえ」
おかしそうに笑って、三の姫は右大弁に自分からちゅっと音を立てて口づけた。行忠さえ頷けば、誰も反対する者もいないだろう。三の姫は可愛い室となって、これまでの俺の生き方をすべて洗い流してくれるだろう。愛おしそうに三の姫の腰に手を回すと、右大弁はそのまま三の姫を畳の上に横たえた。
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