玻璃の器
 

 三月は瞬く間に過ぎた。
 四月に入るとすぐ、東宮妃入内の時よりも更に綺羅びやかな行列で、今度は女御として芳姫は入内した。年若ながら左大臣家の姫として、そして皇太后の姪として堂々とした居姿で藤壺に入ると、都の人々は下々までやはり梨壺さまは藤壺の主になられたかと話し合った。
「久方ぶりにございます。主上、あなたさまの御代が千代に八千代に続きますよう、お祈り申し上げておりました」
 女御入内で藤壺に入ってからすぐに夜の御座に召された芳姫は、ゆったりと平伏してから惟彰を見上げてニコリと笑った。その表情は明るく艶やかで、惟彰はホッとしてよく戻ってきてくれたねと声をかけた。
「あなたがいないと、やはり内裏は火が消えたようだ。あなたに花宴を見せたかったな。それはもう派手やかで素晴らしい宴だったのだよ」
「ええ、兄上から聞きましたわ。それに皇太后さまからもお文をいただいて。主上、私、主上がおいでと言って下されば、内裏どころか天竺までも忍んで参りましてよ」
 いたずらっぽく言った芳姫に声を上げて笑うと、芳姫の手を握って惟彰は目を細めた。お会いしとうございました。熱っぽく囁いた芳姫にしっとりと口づけると、惟彰はありがとうと囁き返して芳姫を抱きしめた。
「ああ、本当に寂しかったよ。主上なんて寂しいものだ…水良が春宮として戻ってきてくれたというのに、顔を合わせる暇もないよ」
「あら…先に入内された方がいるではありませんの」
 少し拗ねたように答えて芳姫の顔を見ると、惟彰はドキンとして気にしておられるのと尋ねた。確かにあれから、東宮時代よりも弘徽殿と分かり合えたような気がして、以前に比べると幾度か弘徽殿を訪ねたり、夜の御座へ召したりしていた。ただ無口だと思っていた濃姫は、以前よりも色っぽく女らしくなり、芳姫の健康的な色香とは違った淫靡な雰囲気を漂わせていて、惟彰が何かお聞きになられたのかなと芳姫を見つめると、当たりですの?とムッとして芳姫は身を引こうとした。
「それも芳姫、あなたがいない内裏でのこと」
「私が戻ってくれば、私だけだと仰いますの」
「私の心はずっとあなたのものだよ」
 笑いながら言った惟彰に、芳姫は息をついて惟彰の肩にもたれた。私、あなたのその単衣にさえヤキモチを妬いているのよ。そう呟いて、芳姫は惟彰の単衣の袖を引いた。
「だって、私よりもずっとあなたと一緒に、あなたの近くにいるんですもの」
「なら、私は来世ではあなたの単衣になろう。そうすればずっと一緒にいられるからね」
 おかしそうにクスクスと笑うと、惟彰は芳姫を抱きしめて身を横たえた。お帰りなさい。そう言った惟彰の首筋に笑って腕を絡ませると、芳姫は目を閉じて惟彰の愛撫を受けた。
「…ねえ、春宮さまはお元気?」
「今、他の男の名を出すのかい」
「あ、ごめんなさい」
「冗談だよ…元気だ。兄上から何も聞いていないの?」
 惟彰が芳姫の懐をはだけながら尋ねると、芳姫は頷いて惟彰の頬を指先で何度も辿った。
「水良さまが内裏へ戻られてから、ぱたりと水良さまの話をしなくなったのよ。また喧嘩でもなさったのかしらと思ったのだけど…私も水良さまとは筒井筒ですもの。気になるわ」
「そう…でも何でもないんだよ。春宮には私からも藤壺に顔を見せるように言っておこう。もうすぐ東宮妃入内も行われることだし」
「東宮妃と言えば、行忠どのの三の姫さまは内裏へおいでだったのでしょう?」
「そのようだね。でも、もうすでに戻られたよ。あちらも入内の準備をされているのだろう」
 それだけ言って、惟彰は芳姫の唇を吸い上げた。お喋りな唇は塞いでしまおう。そう言ってまた笑うと、赤くなった芳姫を抱きしめて惟彰はその白い頬に優しく口づけた。

 
(c)渡辺キリ