玻璃の器
 

 馨君が三条邸へ戻るとすでに中は喪に服す準備が済んでいて、馨君も寝殿の母屋で服喪を表す鈍色の無文の直衣に着替えた。おばあさまが亡くなられたって、本当なのか。着替えながらも信じられずに馨君が尋ねると、そばにいた女房が頷いて、今、兼長さまが参りますとだけ言いおいて下がって行った。
 中の調度も服喪のために、御簾や几帳、畳までもが墨染めに変わっていた。それでも二条の方の急死が信じられずに呆然としていると、同じように素服(喪服)を着た女房の先導で兼長が母屋に入って上座に座った。
「呼び戻して済まぬ。今宵が三日目なら、お前には知らせずにいる所なのだが、喪に服せば続けて通えぬゆえ、それでは蛍宮さまにも申し訳が立たぬ」
「父上、おばあさまが亡くなられたって」
 顔を真っ赤にして馨君が尋ねると、兼長は目を伏せて頷いた。そんな…。馨君が呟いてその場に座り込むと、脇に控えていた女房が慌てて馨君を支えた。白湯を持ってきて馨君に飲ませている女房に、気つけに酒をと命じて兼長は眉を寄せたまま答えた。
「ちょうど東宮妃入内が行われている頃、眠るように亡くなられたそうだ。四月に入ってからはずっと臥せっておいでだったのだが、こちらにも内裏にも知らせぬようにと固く言われていたらしい…一の君」
「…はい」
「そなたは年初めに母上とお会いしていたな。どのようなご様子だった」
 兼長は憔悴しきっていて、すでに出家している母とは言え二条の方に頼っていた心の内が手に取るように分かった。顔色の悪い兼長の表情を見ると、馨君はその場に座り直してうなだれたまま答えた。
「はい…少しお元気がないように見受けられましたけれど、昔と変わらずお美しい祖母上でございました。私のことを、おじいさまの唯一の直系の君だと、それが誇らしいと…」
 俯いて、ぼやけた視界に馨君は袖でグイと涙を拭った。周りに控えていた女房たちも、三条邸に何度か訪れては女房の一人一人に優しく声をかけていた二条の方を思い出して、袖で顔を隠して声を殺して泣き出した。内裏へもう知らせたのですか。馨君が尋ねると、兼長は頷いた。
「藤壺さま(芳姫)はもちろん、主上にとっても新梨壺さま(四の姫)にとっても祖母上に当たられる方。内裏も長月までは喪に服さねばならぬ。春宮さまは今宵が初夜となるゆえ、おそらく三日夜が明ければ所露をするだろうが。申し訳ないことだ…我が同胞の姫が入内した途端に喪に服さねばならぬとは」
 ドキンとして、馨君は顔を上げた。胸が痛い…本当に痛い。思わず胸を押さえて息を殺すと、馨君は床に手をついてその場に崩れ落ちた。おばあさまが亡くなられた…あの優しかったおばあさまが。息もできずに薄れゆく意識の中で、兼長と女房たちが呼ぶ声がかすかに聞こえたような気がした。

 
(c)渡辺キリ