玻璃の器
 

 服喪以来沈んでいた兼長邸の重い空気を打ち払うように、冬の君の元服式が盛大に行われた。
 加冠は右大臣が行い、孫娘の婿として冬の君を迎える右大臣は、まだあどけなく子供のような顔をした冬の君の冠姿に、まるで本当に雛のようじゃと目を細めて喜んだ。儀式中、ふと不安げに視線を上げた冬の君と目が合って、馨君は小さく頷くと、冬の君も頷き返してぎこちなく微笑んだ。
 すでに殿上童として内裏へ出入りしていた冬の君は、内裏の女房や公卿たちからも大人しくて気だてのいい子だと可愛がられていた。馨君の実弟ということで、少し無口過ぎる性格も控えめで思慮深いと好意的に取られているようだった。兼長の二の君の元服の宴には多くの親王家や公卿、殿上人たちが出席していて、みなが口々に祝いの言葉を述べた。そのたびに照れくさそうに視線を伏せて、冬の君はよろしくご指導下さいと頭を下げた。
「あ、あの…大納言どの」
 右大臣の隣で祝辞を聞いていた冬の君は、帰ろうとしていた大納言に気づいてタタタッと軽い足取りで駆け寄った。今日は柾目はいなかった。お呼びですかな。意外そうな表情で行忠が尋ねると、冬の君は赤い顔をして口ごもった。
 父、兼長との関係で、冬の君は行忠とはほとんど話したことがなかった。三の姫さまはどうしておられますか。言おうとして、聞けずに口ごもった。赤くなった冬の君を見ると、行忠はポンと小さな肩を叩いて笑った。
「今日はご立派でしたな、二の君さま。私には息子がおりませんが、今日ほどそれが悔やまれた日はございませんでしたよ」
「あ…ありがとうございます」
「これから内裏へ出仕すれば、官位をいただきましょう。大変なこともあろうが…あなたには馨中将どのもおられる。本当に羨ましいことです。春宮さまとのご縁がなければ、ぜひ三の姫は中将どのに差し上げたかったが」
 ドキンとして冬の君が行忠を見上げると、行忠は苦笑して兼長どのが許すまいがと付け加えた。冠姿も本当にお似合いだと言って冬の君の肩から手を離すと、礼をしてから行忠は宴を辞した。
「冬の君。そろそろ…」
 舅となった右大臣が、冬の君に気づいて声をかけた。はい。頷いて振り返りながら戻ると、何を話していたのかねと右大臣から尋ねられ、冬の君は言葉を選んでから兄上の話を少しと答えた。
 右大臣の孫娘は十人並みの器量で、右大臣家へ向かって姫のいる対へ案内され、単衣姿で向き合うと、冬の君は何となくあの日の朱子を思い出して目を伏せた。顔はあまり覚えてないけど、細くてキュッと締まった鹿のような足をしていたな。櫛を渡してくれた手が、温かかった。そこまで考えて、冬の君はハッと我に返った。これから自分の室となる姫を前にして、他の姫のことを考えるなんて。赤くなって目を伏せると、冬の君はもじもじと膝を手で擦って尋ねた。
「あの…あなたのお名前は。聞いても構いませんか」
 烏帽子に単衣姿の冬の君は、美しいと評判の皇太后にそっくりなだけあって、大人しい性格とは反対に涼やかで艶やかだった。気後れして姫が黙っていると、冬の君は返事もいただけないのかと黙り込んだ。
 どうしよう。
 もう寝てしまった方がいいのかな…分からない。
 笛でも吹いてみようかと冬の君が視線を上げると、右大臣の孫姫は袖で口元を隠したままうっとりと冬の君を見ていた。何かついてますか。冬の君が尋ね返すと、孫姫は真っ赤になって首を横に振った。
「いいえ、けれど…とてもお美しい婿君なので、本当に私の婿君なのかと訝っておりました。私…あまり美しくなくて、がっかりなさったでしょう。ごめんなさい…」
 そう言って俯いた顔に髪がはらりとかかって、冬の君は驚いて孫姫を見つめた。そんなことを考えているなんて、思ってもみなかった。顔を上げて下さい。そう答えて、冬の君は孫姫の手をそっとつかんだ。
「私の方こそ、頼りなくてごめんなさい。あの…もっと立派な男がよかったでしょうに」
「いいえ…私、おじいさまからあなたのことを伺ってから、今日の日を楽しみにしておりました」
 恥ずかしそうに俯いた孫姫に、冬の君は目を伏せた。この姫は…自分を慈しみ、愛してくれるかもしれない。私も、この姫を慈しみ、そして愛そう。右大臣家との絆を結び、父上と兄上がますます栄えていけるように手助けしよう。
「…お名前を」
 冬の君が尋ねると、孫姫は緊張で手を震わせながら小さな声で嬉子と答えた。

 
(c)渡辺キリ