重陽節(ちょうようのせち)が終わって二条の方の服喪が明け、内裏がいつもと同じ様子に戻っても、尼御前の喪のために梨壺だけは鈍色のままだった。穢れをいただいてはいけないからと梨壺に寄ることもできず、馨君はただ冬の君の元服式の準備に没頭する日々が続いた。
冬の君は冬の君でどこか憂い顔で、土砂降りの雨で暑さも遠のき涼しい風が吹いた日、馨君は寝殿の冬の君を訪ねてどうかしたのと声をかけた。それまで笛を吹いていた冬の君は、上座を馨君に譲って女房が作った下座に腰を下ろしながら答えた。
「いいえ、何も…ただ少し、不安で」
「出仕のこと?」
「ええ、それもあるんですけど」
そう言いながら懐に手をやると、そっとそこから手を離して冬の君は馨君を見上げた。
「父上が私に、元服の添臥しをと仰せなのです。右大臣どのの孫姫さまがちょうど私の一つ年上で、似合いの夫婦になろうと仰って…でも、私にはまだ早すぎるような気がして」
「そうか…きっと私で失敗したので、冬の君には早めにしかるべき姫君をとお考えなのだろう」
苦笑いして蝙蝠を取り出すと、馨君はそれをポンポンと手で打って答えた。喪が明ければすぐにでも萩の宮姫の元へ通い、婚礼の体裁を整えねばと張り切っていた兼長を思い出すと、馨君は思わず息をついた。
どうしても足が向かない。
あちらに不義理をしてはいけないと、頭では分かっているのに。俺は…水良が四の姫を抱くことに悋気を覚えていながら、同じように萩の宮姫を抱くのか。どうしても気持ちの整理がつかず、二条の方の死以来、どうしても心が沈んでと言い訳をして、萩の宮姫には立派な調度や袿などを贈っていた。
「けれど、早すぎるということはないだろう。右大臣どのは冬の君をいい子だと言ってお気に召して下さっているし、あちらでもそれ相応の仕度はして下さっているのだろうし、いいご縁だとは思うが…」
「ええ…兄上」
そう呟いて、冬の君は懐に入れた柘植の櫛を思った。あの方も春宮さまの元へ入られるというし、椿の宮さまも未だ都には戻らないまま…私も、別の道を歩むしかないのだろうか。
いくら思った所で…叶わぬ契りなら。椿の宮さま…あなたも。
「冬の君、他に思う方がおいでなの?」
ふいに馨君が尋ねた。冬の君が顔を上げると、馨君は心配そうに冬の君を見ていた。私を見つけ、優しくして下さった兄上…馨君さまのためには、私が右大臣どのの孫姫さまの元へ通った方がいいに違いない。父上だってそうお考えなのだろう。
いつか恩返しをしようと思っていた。
私にできることがあれば、何でも。
「いいえ、そういう訳ではございません」
妙にきっぱりと言った冬の君に、馨君は本当に?とまだ心配気に繰り返し尋ねた。考え過ぎですよ、兄上。冬の君が笑うと、馨君はそれならいいけどと言ってようやくほっとしたように笑みを浮かべた。
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