玻璃の器
 

 蛍宮家では得難い宝玉を手に入れたかのように、馨君を丁重に迎えた。
 中将どのを婿君と呼べることがどんなにか嬉しいことかと北の方に言われ、馨君は控えめに笑みを浮かべてありがとうございますと答えた。萩の宮姫を選んだ自分の心持ちが、自分を迎え入れてくれた姫や義父母の心持ちに比べると薄汚く思えた。どうしようもない嫌悪感に苛まれていた。
「…それで、二の宮が年明けにこちらへ戻れることになったので、内輪だけでの管弦を催そうかと父上が仰って。二の宮の笛が聞きたいと、まるで子供のように駄々をこねられて。まあ、男の方というものは、年を取るごとに子供に戻られるものなのかしら」
 扇の内で笑った萩の宮姫に、馨君はそうですかと笑みを浮かべて答えた。寝殿で蛍宮に挨拶をすませた後、萩の宮姫の対へ向かうのがこの頃の常だった。初めて会った頃の輝くばかりの明るさは影を潜め、どこか憂いた表情で目を伏せる馨君に、萩の宮姫も懸命に話していた言葉を失って馨君を心配げに見つめた。また内裏のことで何かお悩みなのかしら。宮中のことでは、私は話を聞いて差し上げるぐらいのことしかできない。
「…そう言えば、鳴姫さまが持っている絵巻を、一の宮が持ってきてくれて」
「そうですか。時の宮さまにも最近、お会いしていないが…お元気そうでしたか」
「ええ。先にお生まれになった赤子は兵部卿宮さまの北の方さまにお任せして、鳴姫さまのお世話で大変だとか。姫君が生まれれば、弘徽殿さまがお生み遊ばされる皇子さまにぜひ差し上げたいなんて、今から言っておかしいの」
「時の中将どのは、政に向いておられるから」
 苦笑して馨君が手に持った扇を何気なく鳴らすと、女房たちが気を利かせて次々と下がっていった。赤くなった萩の宮姫と下がっていった女房たちに気づくと、これは…と馨君もうろたえて肩を縮めた。
「すみません。そんなつもりではなかったのですが」
「いいえ…もう夜も更けましたもの。お休みになって」
 蚊の鳴くような声で言った萩の宮姫を見て、馨君は立ち上がった。お手伝いいたしますわ。そう言って萩の宮姫も立ち上がって馨君の着替えを手伝った。まるで子供のようにされるがままになっている馨君を見上げると、萩の宮姫は困ったように息をひそめた。
 やはり、私に魅力がないのだわ。
 未だ契りを交わしていないなどと…父上にも母上にも言えない。共寝をしても疲れておられるのか、まるで子供のように寝入ってしまわれて。それとも、こんなものなのかしら。馨君さまは大病をされたのだし、今はまだ…そんなことは考えられないのかもしれないわ。
「…姫、ごめんなさい」
 馨君の低い声が響いて、萩の宮姫は驚いて顔を上げた。甘えてばかりで。そう言って萩の宮姫の手を取ると、馨君はそこに口づけを落とした。もう少しだけ…時を下さい。今のままではこうして触れることもためらわれる。
「お気になさらないで。お待ち申し上げておりますから」
 そう言った萩の宮姫に、馨君は涙を見せまいと顔を背けた。このように何の憂いもなく綺羅綺羅しい方に見えるのに、何か深い思いに沈まれている。背を見せた馨君を後ろからそっと柔らかく抱きしめると、萩の宮姫はお待ち申し上げておりますと囁いてジッと目を閉じた。
 単衣姿になって衾に入ると、馨君の寝息がすぐに響いた。その顔を覗き込むと、ホッとして萩の宮姫も眠りについた。しばらくして萩の宮姫の規則正しい寝息が耳に届くと、馨君は目を開いて身を起こし、そっと衾を抜け出して格子を上げ、庭を眺めた。月明かりが驚くほど明るく庭の松を照らしていた。

 
(c)渡辺キリ