玻璃の器
 

 弘徽殿の死は、昭陽北舎にいる三の姫にも衝撃を与えた。内裏中が喪に服している中、妹姫として行忠をなぐさめようと里下がりを願い出ていた三の姫だったが、気鬱が高じて葬送が終わると昭陽北舎で臥せってしまった。
「そなたの好きな干しなつめをたくさんもらったので、持って来たんだ」
 そう言って水良が母屋に入ると、少しでも庭が見えるようにと母屋に畳を敷いてそこに寝ていた三の姫が、よいしょと身を起こして水良を見上げた。自分で持ってきたなつめを脇に置くと、水良は枕元に座って三の姫の顔を眺めた。
「少し顔色が戻って来たようだな。よかった」
「ええ…毎日のように来ていただいて、申し訳ないわ」
 なつめの甘酸っぱい香りが届いて、三の姫は水良を見上げて微笑んだ。
「里下がりをするにしても、少し体力をつけねば。そなたを痩せたまま戻しては、行忠どのに叱られる」
 水良が苦笑して言うと、三の姫はおかしそうにそうかもしれませんわねと答えた。脇に置いたなつめを一つ取ると、三の姫はそれを口にしてからにこりと笑った。
「おいしいわ」
「そう、よかった」
 笑い返した水良に、三の姫はなつめを取って渡した。二人で黙ったままなつめを食べていると、女房たちが仲のおよろしいことにこやかに言った。
 本当はこのように優しくて、根の明るい方なのだわ。
 私はなんて人を見る目がなかったのかしら。水良の横顔を眺めると、三の姫は白湯を持ってくるよう女房に命じた。もし右大弁さまとのことがなければ、きっとこの方をよい夫として添い遂げたに違いないのに。そう考えると申し訳なさで胸が一杯になった。この方が私と右大弁さまとのことを知った時、どのように思われたかしら。
 春宮さまは私に、他に思っている方がいると仰った。
 それは…梨壺さまのことではなさそうだわ。
 お立場ゆえに、耐えていらっしゃるのだろう…女房が持って来た杯を手に取った水良に、三の姫は白湯をついでニコリと笑った。この方が気づかって下さるように、私もこの方に気づかって差し上げたい。せめてお心が軽くなるように。
「私は一度、内裏を出た身。弘徽殿とはほとんど話したこともなかったが…そなたにとってはよい姉上だったのだろうな」
 水良がそう言って白湯を口に含むと、三の姫は目を伏せて微笑んだ。
「ええ、とても優しい方でしたわ。私みたいにおしゃべりじゃありませんでしたけど」
「誠に惜しい方を亡くしたものだ。雅にも通じていらっしゃったというし、藤壺と並んで内裏を盛りたててくれるご器量の持ち主だったが」
 水良が言うと、三の姫は俯いてそっと袖で目元を押さえた。弘徽殿さま…と行忠邸から三の姫についてきた女房たちが涙ぐんだ。私ね。そう呟いて涙をグッと堪えると、三の姫は水良を見上げた。
「この所、毎日姉上と夢でお会いするのです。あんなにもお若くして亡くなられたのだもの。心残りがおありなのでしょうね…」
「そう。弘徽殿は夢の中で何か言ってたの」
 水良が尋ねると、三の姫は首を横に振った。
「いいえ、ただ黙ってこちらをジッと見ていらっしゃるの。何か仰ってと言っても、涙をこぼされるばかりで…父上や赤子のことがきっと気掛かりなのね。私に何かして差し上げることがあればよいのだけれど」
「そうだな。そなたの体がよくなったら、里下がりをする前に弘徽殿の供養に寺社詣でに行こう。私もついていくよ」
 水良が言うと、三の姫はありがとうございますと答えて笑った。

 
(c)渡辺キリ