玻璃の器
 

   7

 月見の宴が終わると、馨君の東一条邸への訪れがぱたりと留まってしまった。
 水良と若葉から別々に文が届けられ、三条邸の自室で文を広げて馨君はため息をついた。三条邸から佐保宮へ移した若君さま付きの女房たちはいかがいたしましょう。そう尋ねる若葉の文に、みな私の腹心の者ばかりなのだから、もうしばらく水良さまを私と思って大切にお仕えしてほしいと綴った文を返した。
 ゆったりとした筆遣いの男らしい水良の字は何度見ても涙が込み上げて、馨君は文を胸に抱いて手で目尻を押さえた。俺は水良を好きだったんだな。ずっと…いつの頃からか、好きだったんだ。文に頬を押しつけて目を閉じると、馨君は覚えるほど見た文面にもう一度視線を走らせた。
 水良の文には、あの夜の自分の心ない振る舞いを許してほしいということと、あの時話した言葉に偽りはないということが書かれていた。ずっと子供の頃から馨君を思っていたこと、会うたびに愛おしさが増していったこと。それではいけない、馨君以外のことにも目を向けようと、書を習ったり会恵から絵の手ほどきを受けたり、あちこちに出かけてみたりしてもやっぱり諦めきれなかったことなどが書き綴られていた。
 それが嬉しかった。けれど、同時に恐ろしかった。
 もし惟彰さまがこのことを知ったら。名残惜しそうに文をたたむと、馨君は硯に水を入れてすりはじめた。惟彰さまがどうこうするとか、そんな心ない方だとは思わないけれど…世間では惟彰さまと共に、水良のことも準東宮として扱っているではないか。少なくとも公卿たちはそうだ。わずかに眉をピリッと震わせると、若葉の代わりに若葉と仲のいい双海という女房をそばに置いていた馨君は、下がらせていた双海を呼んで縹色の紙を出すように頼んだ。
「花薄のかさねにしてくれ」
「地味すぎませんか。縹色だなんて、喪の色ですわよ」
「いいんだ」
 変心の意味を持つ縹を白の後ろに挿して文を書くと、それを折りたたんで馨君はこれを佐保宮さまへと言付けた。そのまま文を持って行こうとした双海を呼び止めると、馨君は文箱の中から昔、水良にもらった桜の押し花を取り出してもう一度文を開いた。
「落とさぬように持って行ってくれ」
 結び文にして、馨君は双海の手にそれを握らせた。元気のない馨君の表情を見て眉を寄せると、双海は分かりましたと答えてさやさやと衣の音をさせながらそこを離れた。
 水良はどう思うだろうか。
 …どう思うも何も、俺は水良に好きだと言った訳じゃないんだから。カタンと音をたてて格子を上げると、真っ暗な庭を眺めて馨君は手のひらで目をこすった。せめて水良を傷つけないためにも、好きだと告げなかったことだけが救いだったのかもしれない。

 
(c)渡辺キリ