左大臣家に新しく来たという二の君の話は、三条邸にいる女房の双海からの文で東一条邸にも詳しく伝わっていた。内裏で聞いた話は本当だったんだな。若葉が読み上げた双海からの文の内容を聞いて、水良は脇息に頬杖をついた。
「内裏って水良さま、やはり馨君さまから直接聞いたのではございませんの?」
若葉が尋ねると、水良はうんと素直に頷いてからため息をついた。馨君からは一度文が来ただけで、いくらぼーっとしている水良でも縹の持つ意味を考えると、馨君から自分に会いに来てくれるとは考えにくかった。
「新しい弟ができて、弟は二人もいらぬということだろうか」
ボソッと呟いて水良がごろりと寝転ぶと、若葉は困ったように元気を出して下さいませよと声をかけた。馨君から水良宛てに文が来たことは知っていたけれど、本人が一向に来ないのでは。直衣の首元を緩めて目を閉じた水良を見ると、若葉はため息まじりに言った。
「そのようなことはございませんわ。あれほどかいがいしくお世話していたのですから、今も水良さまのことは忘れていらっしゃいませんわよ。ただ、すこおし忙しいだけですわ」
若葉の言葉に、目を閉じていた水良はふうと息をついた。そうじゃないんだ。そうじゃなくて。
馨君からの文には、これまでもこの先も水良をどうしても弟としか見られないと書いてあった。水良にとってはそれが世界のすべてで、以前から分かっていたことなのに実際に馨君から言われると目の前が暗くなった。
大内で見かけても…もう俺には笑顔を見せてくれない。
どうしても馨君の口から気持ちを聞きたくて、右近衛の陣まで尋ねて行ったのに、馨君は水良の姿を見ただけでサッとどこかへ行ってしまった。その態度に衝撃を受けてしまって、後を追えなかった。馨君を抱きしめたあの夜よりも、ずっと自分の恋愛が絶望的になったことを見せつけられた。避けているのだ、自分を。
…俺にはどうすることもできない。嫌がる馨君に無理矢理口づけてしまったのだから…嫌われて当然だ。自分の腕を枕にして寝返りを打つと、水良は目を開いた。どうして抱きしめてしまったんだろう。そればかりが頭をよぎった。
「若葉、三条邸に帰りたい者がいれば、遠慮なく帰ってもいいんだぞ。お前も」
水良が言うと、若葉は怒ったようにそのような者は一人もおりませんわと答えた。事実、馨君の訪れがないことには不安に思いながらも、馨君から若葉に届いた心を込めて水良に仕えてほしいという言葉に忠実に、馨君付きの女房だった者たちはみな東一条邸を盛りたてていこうと話していた。熾森が代わりに東一条邸に来て、ご苦労だねと馨君のように声をかけて回っているのも功を奏していた。
「何を拗ねていらっしゃるのかは分かりませんが、馨君さまなら放っておいてもそのうちまたいらっしゃいますわよ。水良さま、そのようにお邸に閉じこもってばかりでは、藤壺さまや春宮さまにもご心配をおかけしますでしょうに。少し出かけられてはどうですか」
「もう、落ち込んでる時ぐらい自己嫌悪に浸らせてくれよ」
思わず言って水良が起き上がると、若葉はやっぱり若君さまと何かあったんですのねと尋ねた。何かあった訳ではない。強い口調で答えると、水良は立ち上がって母屋を出ていった。
「水良さま、どこへ?」
慌てて廂に出て若葉が声をかけると、水良は振り向いて、うるさい女房のいない所と答えた。まあ、ご心配申し上げてますのに。ムッとして言った若葉の声を背中に受けながら、水良は早足でスタスタと歩いた。
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