玻璃の器
 

 一通りの儀式が終わって雅楽寮の楽人たちの舞が始まり、兼長自らが冬の君を連れて来賓の元へ紹介に回っていた。兼長の一の君としてずっと隣に座っていた馨君はホッと気が抜けて、公卿や皇族の主だった人たちに挨拶に行ってから兵部卿宮の下座側に座っていた時の大輔に声をかけた。
「今日、蛍宮さまは」
 蛍宮の人のいい笑顔が見当たらず馨君が尋ねると、時の大輔は苦笑してひそひそと小さな声で答えた。
「こないだ琴を弾いてたら夢中になってしまって、二刻ぶりに立ち上がったら背中を痛めてしまったそうなんだ。今、海老のように丸まって寝ておられるよ」
「本当ですか。知らなかったな、お見舞いに伺わなければ」
「そうしてくれるか。俺が行ったら随分暇しておられてさ、冬の君に会いたいと言っておられたし」
「じゃあ、冬の君も連れて一緒に伺いますよ」
 ニコニコと笑いながら馨君が言うと、そばにいた兵部卿宮もにこやかな笑みを浮かべて馨君に杯を渡した。
「私の邸にもぜひ遊びにおいで。実は姫が懐妊してね、新年には時の大輔どのとの子が生まれる予定なのだ」
「えっ、本当ですか? それはおめでとうございます」
 赤くなって頭を下げた馨君を見て、時の大輔はニヤニヤと笑った。人が悪いな、時の大輔どのも。教えて下さらないんだから。馨君が眉を寄せると、時の大輔は忙しかったからなと答えて馨君の杯に酒をついだ。
「鳴も寂しがっているから、ぜひ来てくれよ。そうだ、佐保宮さまにも声をかけておくから一緒に酒でも酌み交わそう。最近、会ってないんじゃないのか?」
「…ええ、まあ」
 馨君が目を伏せて答えると、何だ、何かあったのかと尋ねて時の大輔は馨君の顔を覗き込んだ。何と言う訳ではないのですがと呟いて、馨君はチラリと水良の方へ視線を向けた。水良は行忠と兼長、それに前左大臣入道に挟まれて愛想笑いで答えていた。
 また、妃の話をしてるんだろうか。
 …父上も姫をお薦めしてるんだろうか。異腹にはなるが妹には違いない、水良さまの元へ嫁がせるなら養女にしても構わんと仰って。何となく胸がムカムカとして、馨君は時の大輔につがれた酒をあおった。相変わらず行忠どのは三の姫を推しているし、前左大臣入道どのも孫姫を養女に迎えると仰っているし。
 水良なんて…水良なんて、春宮さまと違ってワガママだし子供っぽいし、すぐ拗ねるし自分勝手だし、いっつもボーッとして何を考えてるか分からないじゃないか。
 たった一回、断られたぐらいで諦めたりして…やっぱり宮さまだから根性が足んないんだよ。
「返杯返杯。今日は飲みましょう」
 馨君が華やかに笑みを浮かべて言うと、時の大輔は珍しいな、馨君から飲もうって言うなんてとからかうように杯を出した。今日が終われば、新嘗祭まで少し落ち着きますからね。馨君が答えると、兵部卿宮は女房に酒を頼んでから尋ねた。
「馨君にはまだ通う姫はいないとか。本当かな、もう十六だろう」
「あ、はい。年が明けたらそうなります」
 酔って目の縁を赤くして馨君が答えると、兵部卿宮は私が言わなくてもいろんな方から言われてるのだろうなあと言って笑った。馨君がはあと答えて首筋をかくと、まだよい姫は見つかりませんかと兵部卿宮が尋ねた。
「私にもう一人年頃の姫がおれば、ぜひ馨君に差し上げたい所だが、後はもう男君しか残っておりません。あ、そうだ。時の大輔どのの姉君などどうです。お父上に似て穏やかで、琵琶が達者なよい姫君ですよ」
「そうなんですか。まだお伺いしたことはありませんが」
「一度会ってるぞ。葵祭で」
 すかさず時の大輔が口添えすると、馨君はあっと思わず声を上げた。そうだった、すみません。赤くなって馨君が謝ると、申し訳なく思うなら、一度、一緒に姉上を訪ねて行こうと言って時の大輔は笑った。

 
(c)渡辺キリ