玻璃の器
 

 牛車に乗り込む所まで見送りにきた時の大輔は、俺はこのままここに泊まるよと朗らかに笑ってみせた。馨君が乗り込むのをそばで待っていた冬の君を見ると、時の大輔はいいから先に乗っていなさいと優しく言ってから馨君の腕をつかんで牛車から離れた。
「…すまない。やはり椿と冬の君を会わせるのではなかった」
「え?」
 馨君が驚いて時の大輔を見ると、時の大輔は目を伏せて馨君から手を離した。
「椿は冬の君を自分の稚児のように扱っていたようだ。目の行き届かぬことで…本当にすまぬ」
「稚…! それで…椿の宮さまは…?」
「今は眠っているが…俺は冬の君の方が心配で。今日のことで冬の君がまた塞ぎ込まねばいいが」
「…分かった。しばらく様子を見よう。時の大輔どのは」
「俺は始末をつけてから兵部宮邸へ戻る。鳴のことも心配だし…腹が大きいからな」
 ニッと笑った時の大輔にほんの少しホッとして、馨君は頷いた。馨君がまた明日、内裏でと声をかけると、時の大輔は一瞬黙り込み、それから口を開いた。
「明日は参内しないかもしれない」
「なぜ」
 馨君が時の大輔を見ると、時の大輔はジッと馨君を見つめて答えた。
「椿を高野へ入れようと思う」
「…時の大輔どの! それはご出家させるつもりじゃありますまいな!?」
 青ざめて馨君が時の大輔の腕をつかむと、時の大輔は笑って首を横に振った。
「まさか。いくら何でもそれは早急すぎよう。父上の縁者の僧都が高野で修行しているから、そこへ預けようと思ってる。俗人のままでも修行を積めば功徳はあるだろうし…その僧都が、なかなかの楽達者なのだ」
「しかし、北の方さまが賛成しないでしょう。あれほど椿の宮さまを可愛がっておいでなのに」
 馨君がヒソヒソと言うと、時の大輔も声を潜めて答えた。
「これから父上に申し上げて来ようと思ってる。一刻も早く元服させ、高野へ向かわせるようにと。それが椿のためと心を尽くして説明申し上げれば、父上も母上も分かって下さるはず」
「…椿の宮さまは」
「嫌だと言ったら、ぐるぐる巻きにして牛車で送り込むさ。あいつは甘ったれすぎるから、少しは叩かれた方がいいのさ」
 笑いながら言った時の大輔に、馨君はお強いことだとため息をついた。椿の宮さまにくれぐれもよろしくと伝えてくれ。そう言って時の大輔の手を取ると、ギュッと握ってから馨君は時の大輔の手を離した。
 帰る道すがら、冬の君はずっと口を閉ざしたままぼんやりと手に持った笛を眺めていて、馨君も同じように黙ったまま御簾から外の景色を見ていた。三条邸でございます。牛車が止まって熾森が声をかけると、牛が牛車から外され、馨君は先に降りて振り返った。
「冬の君…手を」
「いえ、大丈夫です」
「いいから手を貸しなさい」
 馨君が言うと、冬の君は馨君の手をつかんで牛車から降りた。ありがとう。牛飼い童にも声をかけると、冬の君は熾森を見上げてニコリと笑った。
「遅くなってしまってごめんなさい。今日はもう下がって、ゆっくり休んで下さい」
 冬の君の言葉にありがとうございますと頭を下げた熾森に、馨君は明日も頼むと声をかけた。まだ少し顔色の悪い冬の君を見ると、馨君は目を伏せ、それから明るい声で話しかけた。
「冬の君も疲れただろう。今日はゆっくりお眠り。そうだ、母上と一緒に眠るといい。内裏の様子を話して差し上げたら」
「はい…でも」
「遠慮しなくて大丈夫だよ。任大臣の宴も終わったのだし、新嘗祭までは少し落ち着くだろう」
「じゃあ、そうします」
 ニコリと笑って冬の君が答えた。女房に頼んで楽子の所へ使いを出すと、馨君はぐっすり眠るといいと言って冬の君の頭をなでた。

 
(c)渡辺キリ