正月行事が終わると、すぐに絢子が中宮に立った。
これまでに一人も中宮がいなかったことの方が不思議で、兼長どのが左大臣になるのを主上が待っていたというのもあながち嘘ではないのかもと、宮中のみなが噂していた。それはやがて貴族に仕える女房や従者たちにも伝わっていき、主上の絢子への寵愛の深さを羨む声も現れた。
「私も、唯一この方という男君から、今生で無二という位を与えられてみたいものですわ」
密やかな女が夜の闇に囁いた。寝物語に藤壺中宮の話をしていた伴義蔵が、腕の中に女房を抱いて笑った。
「栗駒は望みが高い。さすがは白梅院さまのご寵愛を受けているだけあるな」
「あら、そうやって混ぜっ返しておしまいになられますの」
「中宮になどなった所で、気苦労も多く、並の女人には務まるまい。そなたには俺ぐらいの男が似合いだということだ」
そう言って、栗駒の長く艶やかな髪に手を突っ込んで、伴右大弁はまた声を潜めて笑った。あなたさまも私には過ぎたご立派な殿方でございますわよ。そう答えて色っぽく含み笑いをもらすと、栗駒は伴右大弁のたくましい体に腕を回した。
「白梅院さまももうお年ですもの…私は所詮、愛人の一人。先々の望みぐらい持っていなければ、生きていく甲斐もございませんわ」
「なるほど、それで佐保宮さまに言い寄ったという訳か。佐保宮さまならいずれ主上となられるやもしれぬお方、中宮は無理でも尚侍ぐらいにはしてもらえるかもな」
「…いじわるなお方ね」
「それが好きなのだろう」
ゴソゴソと衣擦れの音が響いた。あっと吐息混じりのくぐもった声が響いた。しばらく呼吸が続いた後、ふいにまた栗駒の声が響いた。
「けれど、佐保宮さまには権大納言さまの三の姫君がおられますもの」
「ああ、行忠どのか…」
暗闇の中、腕を枕にしてぼんやりと呟いた伴右大弁に、栗駒は尋ねた。
「ご事情なら、あなたさまの方が詳しいんじゃなくて? 柾目さまと共に権大納言さまのお邸へ出入りしていると伺っておりますわ…どなたがお目当てか存じませんけど」
「何だ、それはさっきの仕返しのつもりか?」
「多情な方と申し上げたのでございますわ」
「だから、そなたと気が合うのだろう…だが、あちらの女もすでに別の男から通われているし、三の姫付きとなってからは忍び込むことも叶わぬ」
「伴右大弁さまらしくないお言葉ですのね。ここへ通われる度胸がおありなら、権大納言さまの三の姫に通うこともおできになるのでは?」
栗駒の言葉に、右大弁はふむ…と呟いて栗駒の乳房を弄びながら目を閉じた。三の姫か…まだ一の姫についていた頃の栄から聞いた噂では、三の姫は男勝りの荒くれ姫で、女房や北の方ですら手を焼いているじゃじゃ馬だとか。
「なるほど、面白いやもしれぬな。俺とてこのまま浮ついてばかりもおられぬ。権大納言どのなら次の除目で大納言昇進も決まっておるし、末は大臣にも昇られようというお方。その婿君ともなれば、このまま右大弁で終わるということもなかろう」
「本気ですの? 佐保宮さまの妃候補ですのよ?」
「だからこそさ。次代の主上の妃候補を娶れば箔もつく。幸い俺には柾目という悪友もいることだし」
「呆れた方」
ため息まじりに言った栗駒に、伴右大弁は妬くな妬くなと言って笑った。もし権大納言どのの婿君となり公卿にでもなれば、そなたを側室に迎えてやろう。耳元で熱い吐息混じりに囁いた右大弁の言葉に、栗駒は期待しないでお待ち申し上げておりますわと答えた。
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