玻璃の器
 

 若葉に頼んで料紙を出してもらうと、馨君は水良が眠っているそばに置いた脇息を文机代わりに三条邸と梨壺宛てに文を書いた。
 三条邸へはしばらく戻れないが、東一条邸から出仕するので心配しないで下さいと父兼長と女房の双海に似たような文を書き、熾森には冬の君の参内のお伴をするように命じた。代わりに束帯と別の従者を寄越すように熾森に口頭で頼んで、それから少し考え、惟彰宛てに文をしたためた。
 水良に妃を勧めるのは、如月になるまで待ってほしいということ。
 それから、自分と水良の惟彰に対する真心を信じてほしいということ、ただそれだけを書いてきちんと折りたたんだ。若葉を呼んで待たせていた熾森と共に簀子に座らせると、馨君は梨壺宛ての文を若葉に渡した。
「しばらくここから参内する。熾森、もし三条邸や大内で理由を聞かれても、水良のことは言わず、こちらの方が大内に近いので東一条邸の一室を借りているとだけ答えてくれ。若葉」
「はい、若君さま」
「俺が出仕している間、水良をよく見ていてくれ。しばらくは様子がおかしいかもしれないが、できるだけここに出入りする人間を抑えてくれ。女房もだ。信頼できる者以外は近づけてはならぬ」
「分かりました」
「若君」
 さっきから何か聞きたげにしていた熾森が、眉を寄せたまま馨君を見た。馨君が視線を向けると、熾森は口ごもり、それから思いきったように口を開いた。
「本来なれば、あなたさまも水良さまもすでに女人を娶られ、子の一人いてもおかしくはないし、またそうせねばならぬお立場にございます。それは、水良さまよりもお年上であり、また左大臣家の一の君である若君から水良さまに申し上げねばならぬことにございましょう」
「…分かっている。でも、今しばらく…頼む」
 目を伏せて馨君が答えると、熾森は黙ったまま平伏した。二人を下げると、馨君は水良の枕元に座ってジッとその表情を眺めた。
 水良の本当の父上。
 主上が水良に位を譲るべきだったと言ったということは…水良の血が紛うことなき君主の血だということ。
 考え過ぎだろうか。それでも、一度浮かんだ考えは容易に消すことはできなかった。前麗景殿さまの形見の蝙蝠を水良に渡した人、君主の血を持つお方。
 白梅院さま、かの方が…水良の父上なのでは。
 それなら水良を可愛がる理由も、水良に芳姫を嫁がせたがった理由も分かる。白梅院さまは水良に皇位を継がせたかったのだ。主上の後になるか、惟彰さまの後になるかそれは分からない…だけど、自らの血を色濃く持つ水良をこのまま二の宮として終わらせることが忍びなかったのではないのか。
 しかし…水良の額を優しくなでると、馨君は小さく息をついた。
 しかし、前麗景殿さまは白梅院さまのお年の離れた異母妹ではないか。
 そんなことが。
 うん…と小さく呻いて、ふいに水良が目を覚ました。馨君がニコリと笑みを浮かべると、水良は馨君を見上げて笑みを返した。三条邸に戻らなくてもいいのか? 水良が尋ねると、馨君は頷いて水良の乱れた鬢を直して答えた。
「惟彰さまにも文を書いた。しばらくここから参内するって」
「そうか…それなら、お前は東の対へ戻れ。ここはいいから」
「水良?」
 馨君がその顔を覗き込むと、水良は馨君の手をつかんだ。
「お前がここにいたら、抱きたくなるから。そうしたら二度と兄上に顔向けができぬ」
「呆れたな。そんな元気がまだ残ってるのか」
 馨君が言うと、水良はふふっと声を立てて笑った。目を閉じた水良の唇に自分の唇を重ねると、そのまま寝入ってしまった水良のはだけた衾を直して馨君はジッとその顔立ちを眺めた。

 
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