S-12  ビルケナウ

 

3人は魔法を禁じられ、四輪馬車に乗せられた。
移動途中、馬車に積み込まれていたアコーディオンでクルトがロシア民謡を演奏すると、随伴する赤軍兵士から歓声が上がった。

特に大きなドイツ軍の反撃はなかった。
一日に何十キロも進軍するスピードで、夜通し突き進んだ。

ドイツ軍の遺棄した兵器の残骸、炎上する独ソ双方の車両、崩れた民家の瓦礫、累々と続く死体。
中にはまだ若い、5、6歳ぐらいしか違わないであろう若者、自分の父親より歳をとった初老の男性の遺体もあった。
徴兵されろくに軍事訓練も施されていない、国民突撃隊員だった。
16歳〜60歳の民間人男子と退院したての傷病兵の寄せ集めで、生き残ったのは一割以下といわれている。

心は痛んだ。でも自分も生き残るのに必死のとき、死体を見ても冷静になれる己が不思議だった。
平時ならば、怪我人の血を見ただけで大騒ぎしていたに違いないのに。

何日かかけて行き着いたのは、チェコに近いポーランド南部、ビルケナウ。
それは後世もっとも悪名高くなる、解放されたばかりのユダヤ人絶滅収容所だった。

「これは魔族の仕業なのか」
「いや、魔族とは関係ないさ。これは、人間の所業だ」

中世、ドイツ各地で起こった魔女狩りは、何の罪もない人々が嫌疑をかけられ、処刑された。
そして第二次世界大戦頃に起こった魔女狩りとも呼べるものが、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺であった。

事実を目の当たりにした3人は泣きだしてしまった。

「科学が…医学がこんなことに使われるなんて!!」

クルトが頭を抱え、しゃがみ込む。
人間の油脂から製造された石鹸、髪の毛で編まれた洋服。
「原料」を調達・出荷するための鉄道線路まで引きこまれ、高度に効率化された人間処理工場。
それが科学技術の進歩を追い求めた、人類の末路だったというのか。

「残念だが、死者を蘇生する魔法はないのでな」

そう言うイグナートの懐に、アンディが顔を伏せて飛び込んだ。

「なんか、残酷なおとぎ話の世界にいるみたいだよ!もう何も信じられないかもしれない…」
「魔法使いだって、おとぎ話の世界だと思ってる奴らがいる。
 我々や君らの国の指導者が、それぞれ信奉してるイデオロギーだって、ともにおとぎ話のシロモノでしかないのかも知れん。
 権力者はそれを道具として国民を駆り立てて、世界で何百万人も殺しあってるんだぜ?」

アンディを抱きとめ、肩をさすってやるイグナート。

「ああ…人間は魔族なんかよりよほどケダモノになれるのかも知れない。意外と簡単にね」

クルトの小さな拳の中で、爪が手のひらに突き刺さる。

SS将校でユダヤ人虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは後にこう語っている。
『一人の死は悲劇だが、数百万人の死は統計に過ぎない』と。

「魔法協会が大昔に、戦争の魔法利用を禁じたのも、人間の愚かさを見せつけられてきたからなのだろう。
 が、きみたちは魔法を戦争に使ったのだ。そのこと自体わが軍に大した損害はなかったが、よく意味を考えることだ」

建物の壁に、魔法陣にも使われる六芒星の落書きが残っているのを見つけた。
最期の時を悟ったユダヤ人が、神にすがりつく思いを込めて描いたダビデの星であろうか?
ユダヤの象徴と化していたこの記号は、少年たちが物心ついた頃には北欧近辺の魔法協会でも使われなくなっていた。

「まずは犠牲者に祈りを捧げよう…」

4人は頭を垂れ、手を組んで鎮魂を祈った。


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それはどのくらい続いたのかは分からなかった。

「まもなく戦争は終わる…」

沈黙を破ったのはイグナートだった。

戦争は遠からず終わる。君らみたいな年端もいかない子供が借り出されるようになっちゃ、終(しま)いさ。
けれど君らにはまだやるべきことがある。これからは国のためではなく、魔法協会そして地球の未来のために戦うんだ。
混乱の中で、魔法に関する書物やテクノロジーが為政者に渡らなくするための仕事さ。見ただろう?
追い詰められたナチが何をしでかすか分からん。現に、きみたちは戦争に利用された。
奴らから魔道書や、隠れた魔法使いたちを守るのだ。

「ふふっ、茶番だな」

アンディが肩を震わせる。

「こんなの、ボリシェヴィキの戯言だ! オレたちを仲違いさせようとしているのか? それとも懐柔しようとしているのか!? ジークベルト! クルトも目を覚ませ!」
「おいおいっ、アンディってばぁ…」

再びアンディの瞳から涙がポロポロと零れ落ちる。

「すまないっ、このまま認めたんじゃあ、鉄十字を信じて戦い、祖国のために死んでいった人たちに申し訳が立たなかったから!」

声がひっくり返り、うわあああああっと地面に泣き崩れてしまった。

「ああっ、アンディ!指揮官が泣いちゃだめだよ。ぼくまでまた泣きたくなっちゃうじゃないか」

ジークベルトもしゃがんで、アンディの背中をさする。

「無理もないさ。物心ついた頃から信じてきたものが崩されたのだから。でも…私の言葉に嘘がないことだけは信じて欲しいのだ。魔法協会の絆にかけて」

イグナートは続けた。

「本当は、私たち大人が始末つけなきゃならないことのはずだ。きみたちにツケを負わせて、申し訳ないと思っている。
 でも、最早いかなる権力を持ってしても制御が不可能なくらい、事態は勝手に動いてきてしまった…」

「アンディ。なっちまったものは仕方ないよ。僕らにはどうすることもできなかったんだから嫌でも受け容れるしかない。
 だけど、これからどうするかが大事じゃないのか」

クルトも泣き伏すアンディの肩を抱いた。

「この光景をよく眼に焼き付けておくんだ。魔界への扉は人間の心のうちにもある。まずは我々の内側に潜む魔族と戦うことだ…」

イグナートが言うと、

「そうだね。皆を守り、希望を授けるのが魔法使いの役割なのだから」

ジークベルトも同調した。
ようやく顔を上げたアンディが友の顔を見回した。

「わかったよ、いつまでも泣いちゃいられねぇ。オレたちが戦おう。ドイツ中の魔法使いを探して魔道書を守ろう。
 仮にナチのやったことを、連合国側がやらないとも限らないんだ。魔法はスターリンにも渡しちゃだめだ。もちろんアメリカにも英国にも」

「戦時下、魔法使いが減って、我々にも手が足りないのだ。頼んだからな」
「おやおや、いいのかい? オレらをこのまま放ったりなんかしてさ」
「わたしは君たちの素直な瞳を信じるよ」
「はははっ!ボリシェヴィキにお願いされちゃったよ」

へへん、と鼻を鳴らし、アンディは立ち上がった。

「ではZ隊各員に言う。我々は古いドイツのために死ぬべきではない。
 たった今からをもって、新しいドイツと、魔法協会と、そして世界のために義務を果たすものとする。
 今こそオレらがヨーロッパの守り手となるんだ。Z隊は今を持って解散し、ここに新たにドイツ魔法騎士団を結成する」

3人の掲げた剣のレプリカが宙に星を描いた。

「新しく生まれ変わったドイツのためにバースデーパーティーを開こ? とびっきりでかいケーキでね」

とジークベルト。

「わがガーベルシュタイン家には代々、魔道書を追跡する能力がある。魔道書の多くはうちで管理してきたが、
 それ以外は戦争でドイツあちこちに散らばっているかもしれない。ケルンの本家に行けば、魔道書のリストがあるはずだ」

3人は地図を囲んで体育座りすると、ほっそりした背中を丸めて相談を始めた。
引き締まったお腹は一重の弛みもなく、長く細い手足を胸元に引き寄せ、やや窮屈そうに収めている。

「まずはベルリンへ行って、魔法協会プロイセン支部の協力を仰ぐのを先にするか。距離的にもケルンへ行ってからベルリンへ戻るのは時間のロスだし」
「そのあと、ケルンのクルトのお家へ行って、魔道書のリストを取って、行動開始すればいいんだね?」
「グリモワールも取ってくる。ナルツィッセの封印はこないだマグレでできたけど、魔道書の追跡にはやはりグリモワールが必要だし」

自分の肉体の中で起こる奇跡を信じ、おちんちんを扱いていては身も精ももたないしね。

3人はまず、今いるビルケナウから首都ベルリンのプロイセン支部へ向かい、その後クルトの本家のあるケルンへと向かうことが決まった。

「でも…、ベルリンまで歩いてたら何日あっても足りないよね」
「ってか、果たして辿りつけるのだろうか?」

「イグナート、騎馬を一頭、譲ってくれないか?」

とアンディ。

「アンディってば、馬乗れるの?」
「こう見たって乗馬は得意なんだぞ? 昔、親父に叩き込まれたから」

クルトだけ後ろを向いている。

「ボクはご免こうむる。馬から振り落とされた苦い思い出が…」
「んなこと言ってる場合か。乗馬を克服するチャンスと思え」
「いや、今の格好で馬は目立ちすぎるよ。それにドイツ軍は橋を爆破し、落としている可能性が高い」
「クルトなら知ってんだろ? 背中に羽根が生えて飛べる魔法とか」
「わぁー、それいい!天使みたいに空が飛べるなんて」

羽根の生えた少年騎士3人が大空を飛ぶ光景を瞼の裏側に夢見るジークベルト。

「あのなぁ…」
「もっと、いいものがあるぞ」

イグナートが持ってきたのは、古風な箒だった。

「うわっ、うちの納屋に置いてあったのよりボロい箒…」

アンディは顔をしかめるが、クルトは興味深げにまじまじと見つめる。

「竹箒じゃなくて、巻かれているのは木の根っこのようだ」
「あっ、これ、昔うちにあった箒とよく似た…」

ジークベルトが飛びつく。

「こいつでベルリンまで飛んでけ。レーダーに映らず聴音器にも捕捉されない便利な乗り物だ。
 乗り手によっちゃ、その速度は戦闘機も凌駕するって話だぜ?」

「これ、たぶん僕なら操縦できます。お兄ちゃんに少し、乗り方を教わりましたから」


3人は縦に並んで箒に跨った。
ジークベルトを先頭に、バランス感覚に慣れないクルトを挟み込んで、一番後ろがアンディの順。
クルトはジークベルト肩につかまるように身を抱き寄せ、アンディもまたクルトの胴を支えるように抱え込む。

「くれぐれも気をつけてな。わたしも連合国側の魔法使いに連絡して、注意しておく」

少年たちとイグナートは名残惜しげに、互いの顔を見つめていた。

「イグナート。あなたに会えて、良かった」

3人はまた箒から降り、イグナートの手を握り、抱き合った。
イグナートは涙をこぼす三人をいとおしげに抱きしめた。

「さあ坊やたち、早く私の前から失せて、仕事しろ。魔法協会そして地球の未来のために。
 魔法使い同士で殺し合いをするほど愚かなことは、したくないのでな」

「じゃ…行きます」

ジークベルトが箒に魔力を込めると、束ねられた細い木の根が、あたかも日光を浴びたウランガラスのように淡く輝き始めた。

「全てが終わったら、いつかまた会おう。その時は笑って、ゆっくり話せるといいな」

箒がふわりと浮かび上がり、最初ふらつきながらも徐々に加速を始めた。

(たのんだぞ、きみたちはまだ穢れていない。子供の可能性に、わたしはドイツの、そして地球の未来を賭けようと思う)

そして遠い眼差しをした。


アンディ、大きくなったな。
戦争が始まる前、親父さんと会ったことがあったよ。
あのとき、きみはまだ赤子だった。
あの日出会い、またこうしてめぐり合ったのもまた、何かの運命だったのかも知れん。
小さな背中に、過酷な使命を背負わせることになろうとは思いもしなかったが、やり遂げてくれることを信じてるよ…

イグナートはだんだん小さくなっていく、箒の3人を見上げた。


しかし、ソ連軍の野営地に戻ったときには、もとの赤軍将校の顔に戻っていた。

「捕虜は殺すな!! 労働力としてシベリアへ輸送しておけ」

配下の赤軍兵士たちに向き直ると、冷厳に言い放った。捕虜は来る道中で拾ってきたドイツ軍の投降兵たちだった。

すまないな、アンディ。わたしは立場のある大人だから。
ナチに対する、部下たちの怒りも分かるのだ。
それに、私はまだ生き残らなければならない。
生き残って、NKVDやスメルシュからソ連国内の魔法使いを守る役目があるのだ。
今はこうすることが、魔法使いとしての身の上を隠すことにもつながる。
ソ・フィン戦争の前、西欧的価値観を身につけた有能な将校を、自分の地位を脅かすかもしれないという理由で多数銃殺にしたスターリンのことだ。
魔法使いの存在がばれたら、どうなるか分からんからな…。

ちなみに少し後のナチス崩壊後、スターリンが1953年に死ぬまで、ソ連・東欧諸国内においてもユダヤ人の迫害政策がとられることになる。
イグナートの祖国でも、魔女狩りは繰り返されたのである。


筆者注・・・内容に関する但し書き

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