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一体何が如何してこういうことになったのか。 さっぱり覚えがなかったが、きっと原田といつになく過ごした酒のせいに違いない。 酔いが醒めて気がつけば、何故か俺は太夫の豪華絢爛な衣装を身に纏っていた。 紅い地に、鳳と凰の一対が鮮やかに刺繍で施された絢爛たる衣装だ。 頭も重い。少し動くだけで、しゃらしゃらと、髪に飾られた飾りが鳴る。 「おいっ! 左之! これは一体如何いうことだよっ」 俺が叫べば、原田はけろりとして、 「あれぇ〜、歳さん何言ってんだ? 約束だろう?」 と言ってくれた。 「約束?」 「そう。賭けに負けたら、何でも言うことを聞くって」 「賭けって何だ?」 賭け? そんな賭けを俺は一体いつしたんだ?! 「覚えない訳?」 「覚えてねぇよっ」 原田の嘘だろうと、俺は怒鳴ったが、原田にはとんと応えていず、 「強かに酔ってたからねぇ。まぁ、いいじゃん。負けたのは事実なんだから」 あっけらかんと悪びれずに言われてしまった。ああ、お前はそういう奴だよ! 「それに、もうその格好してるんだから、諦めなよ」 そう言われても、諦めきれるもんじゃない。第一一体どんな賭けをしたのかさえ、俺は覚えていない。しかも、新撰組の鬼副長が、太夫の格好をしているなど。誰かにばれたら如何する。副長の威厳も何も在ったものじゃないか。 「苦労したんだぜ。酔っ払って正体のないあんたを、着飾らせるのに」 そんなこと俺の知ったことじゃない! 脱いでやる! そう思って、立ち上がり脱ごうとする俺を、原田ときたら、逃がさぬとばかりに、俺が動く前にがっしりと掴み、恐ろしいことを言ってくれた。 「駄目だよ。まだ脱いじゃぁ。総司が来るまでその格好でいてくれなくちゃ」 なにっ! 総司が来るのか? 何でだよ! 言葉にならない俺の思いが伝わったのか、原田はにしゃっ、と人の悪い笑みを浮かべた。 「そりゃ、折角頑張って、しかも本物の太夫もかくや、って仕上がりなんだ。俺だけしか見ないのは勿体無いだろう?」 そんな問題か?! 違うだろう。第一、お前が頑張ったわけじゃないだろうが! 「だから、総司を呼んだんだ」 胸を張って、仰け反りながら応えられて、 「だから、って何だ。何で総司なんだよ」 俺はがっくりと膝をついた。 「さあ〜。何でだろうなぁ」 ああ! そういう男だよ! お前は。 「賭けは、今日一日、俺の言うこと、聞くって約束だから。日付が変わるまで絶〜対に、駄目だぜ。男に二言はないだろう?」 男に二言、そう言われて、俺はぐっと言葉に詰まった。この野郎、俺がその言葉に弱いのを知っていての、確信犯だな。覚えてないとは言え、それを盾に逃げ出すことが出来なくなった。 だが、総司が来ると聞いて、俺の胸は早鐘のように乱打されていた。 それもその筈、俺は総司を好いていたからだ。勿論、兄が弟を好くようなものではなく、情を交わしたいという類のものだった。 総司に対する自分の感情に気付いたのは、もう随分と昔になる。 もっとも、9つも年上で、しかも男である俺は、その想いをずっと胸に秘めていて、誰にも気付かせなかったが。もしかして、こいつ気付いているんじゃないだろうな? 妙に聡いところがあるからなぁ。 「総司が、ここへ来るわけないだろうが」 総司は、こういう場所が好きではない。仕事が絡まなければ、こんな場所へと来るわけがない。まして、原田の呼び出しなら、尚のこと。 そう思って、一縷の望みをかけて言えば、 「い〜〜や。絶対来るさ。なんせ、あんたの用事があるから、って呼びに行かせたからな」 俺?! ちっ、こういうことは頭が廻りやがる。総司が俺の呼び出しを受けて、来ないはずがない事を見抜いてやがる。 「あいつは、あんたのことなら、どこでも来るさ」 そう断言されたのが、憎らしい。 女の格好をした俺に、総司が気付くのか否か。 どんな格好でも、俺だと気付いて欲しい気持ち半分。こんな格好をしているのを知られたくない気持ち半分。 そういった複雑な心境で、俺は半刻ほどじっと襖が開くのを、原田が酒を飲むのを横目で見ながら待っていた。俺は、もう酒は懲り懲りだ。 そうして待つうちに、その時が来て欲しいのか、欲しくないのか、俺は段々分からなくなってきた。 そのうち、足音が聞こえてきた。 「言葉使いと声色、気をつけなよ。じゃないと、すぐにばれるぜ」 そう原田に言われて、俺が反論する間もなく、すらりと襖が開いた。 おかっぱ頭の禿がまず見えて、その後ろにすらりとした長身の男が続いて見えた。 「お待ちのお方がお見えどすぅ」 鈴を転がしたような禿の声がして、客の男を中に招きいれた。 黒の着物をすっきりと着こなした総司だったが、俺は恥ずかしさの余り顔を上げられず、近寄ってくる総司の足元ばかりを見ていた。 「どうぞ、ごゆっくり」 そう言って、原田に言い含められていたのだろう禿が、俺たちを残し襖を閉めると、総司は原田に促されるまま、俺の隣に座った。 「如何したんですか? こんなところに呼び出して。それに肝心の土方さんは?」 きょろきょろと、室内を見渡して、俺がいないのを確かめて、総司は原田に聞いていた。俺はここにいるが、この姿だからな。 「ああ、用事があったのは、土方さんなんだが、酔い潰れちまってな。別室で休んでるよ」 「そうですか。仕方がないですねぇ」 隣で総司が、酒に弱いのに、と苦笑しながら言うのを、俺は原田に内心悪態を吐きながら、聞いていた。 「でも、何のようだったんでしょうね? 屯所で話せない話なんて」 「さぁ、なあ。俺は聞いてないからな。起こしてこようか?」 「いえ、いいですよ。休んでいるのなら、休ませてあげましょうよ。このところ忙しくて、疲れているだろうから」 総司の優しい心配りに、俺は嬉しさが込み上げて来た。 「そうか。でも、今日は十五夜だろう? お前とも一緒に、飲みたかったんじゃないか?」 「そんなこと、土方さん言ってたんですか?」 「お前と約束があったとか、そんなことを言ってたぞ」 確かに、原田の言うとおり、総司と屯所で月見をしながら酒でもと、言っていたのだが、生憎と会津との会合がここで急遽開かれることになって、ご破算になってしまったのだ。その会合が、漸くお開きとなり、帰るところで偶然にも原田にとっ捕まって、酔いつぶれた俺は、こんな格好をさせられて、ここにいる羽目になっていた。 「へぇ。そうだと嬉しいですけど……」 総司は、そんなことを言いながら、邪気なくにっこり笑った。 「太夫。その男が沖田総司。新撰組の筆頭の組頭で、一番の遣い手だ」 原田が、わざわざ総司に俺を紹介して、 「さあさあ、酒を注いでやって呉れよ」 俺を促したから、俺は仕方なく前に置かれている徳利を手にして、ばれないように声を作って、 「どうぞ」 と、総司に注いでやった。 精一杯作ったその声も、手も震えていたが、総司は気付かないのか、俺の酒を受けて一口飲んだ。 しかし、紅い衣装から覗くその手は、化粧で白く塗られて、まるで俺の手じゃないようだ。 「ありがとう」 総司は、にっこりと俺に笑いかけながら、更に酒を注がれて猪口を口に運んだ。が、俺は目を会わせられず、すぐに俯いてしまった。 その拍子に、目の前に座る原田のにやにやした笑が目に入った。 「でも、こんな人、この店にいましたか?」 「全部知ってるのか?」 原田は手酌で飲みながら、総司にまさかなぁ、と聞いたが、 「いや、そうじゃないですけど。前に太夫を総揚げしたじゃないですか? その時には、見かけなかったなぁ、と……」 総司は、苦笑しながら原田の疑問に応えてやった。 「ああ、そういや、お前。人の顔覚えるのが得意だったよな」 「ええ。だって、稽古をつける人の顔と名前を、若い塾頭だからと侮られないように、一所懸命覚える工夫をしましたからね。その名残ですよ」 総司は、剣の天稟があり、十代のときに免許を取り、師範代及び塾頭に若くしてなった。だが、若いという総司の外見だけで、判断する奴の何と多かったことか。勿論、そんなことは総司と一度手合わせをしてみれば吹き飛んでしまうのだが、総司も自分よりも年上の人間に稽古をつけることが殆どのため、人間関係に悩んでいた時期もあったようだ。 「もっとも、これだけ綺麗な人だと、私でなくとも一目見たら忘れられないと思いますけど」 にっこりと、総司は俺の手を取り、微笑みかけた。 手を取られて、思わず見上げた総司の顔に、俺は何故かどぎまぎしてしまって、目を伏せちまった。白粉を塗っているから、目立たないだろうが、俺自身は顔が赤らむのが分かった。なんで、総司に見詰められて、こんなに恥ずかしいんだ。くそう。 鏡を見ていないから、どんな顔になっているのか、俺には分からないが、総司はこれだけ俺の近くで、俺の顔を見て俺だと分からないんだろうか? 「太夫の名は、梅ヶ香、って言ってな。先日大坂から移ってきたばかりなんだ」 原田は、口から出任せを言うが、俺はいつ総司に気付かれるかと気が気じゃなかった。 「ここは、誰も知り人がいなくて、寂しいんだと。お前も贔屓にしてやれよ」 「そうなんですか? それは大変ですね。私でよければ、いつでも話し相手ぐらいにはなりますよ」 遊女を相手に言う台詞じゃなかったが、慈しむような総司の視線に、俺は頷くしかなかった。 総司は、誰にでも優しい。それこそ、尊攘浪人に対してもだ。だからこそ、最小限の手傷で、捕縛の命を守る。それなのに、知らない奴はそんな総司を鬼だと罵る。 「そういや、お前好きな奴はいないのかよ?」 唐突に原田が総司に聞いた言葉に、俺の胸はどきりと波打った。 原田の奴、唐突に何を聞きやがる! きっ、と俺は原田を睨むが、あいつはどこ吹く風といった風情で。 「好きな人ですか?」 首を傾げながら、 「そうですねぇ」 総司は曖昧に誤魔化そうとしたが、 「お前、その歳になって、浮いた話の一つもないのは、変だぞ。いるんだろ、好きな奴が」 原田にそこまで言われて、総司は頬に苦笑を刻んだまま、頷いた。 聞きたくないと耳を塞ぎたい思いに駆られながら、しかし俺は制止することも出来ずに、固唾を呑んで総司の言葉を待った。 「好きな人というか。大事な人はいますよ」 総司の台詞に俺は、脈がどくどくと、刻むのを感じた。 総司に好きな奴がいる。そりゃ、総司の年齢ともなって、好きな奴の一人や二人、居ても可笑しくはないが、いままで色恋に疎い子供扱いをしてきた俺には、衝撃的だった。 「おお!! やっぱり!」 原田が膳を押しのけるように、身を乗り出して問いただす。 「一体、どんな風に大事なんだ?」 「自分の総てで、護りたい人ですね。その人の総てを。総ての物事から……」 「ふ〜ん」 原田の眼が、悪戯気に俺を見るのも気付かず、俺は呆然と総司を凝視めた。 総司にそこまで想われている奴が居る。その事実は、俺に眩暈を起こさせた。 「どんな感じの人だ?」 「とっても強くて、でも優しくて、眼のすごく綺麗な人ですよ」 「眼?」 「ええ。まっすぐ前を凝視める眼が、とても綺麗です。きらきらと輝いて……」 「ほほう」 原田は、納得したのか、しきりに頷いていたが、総司は呆然と総司の顔を見ていた俺を、はにかみながらも見て微笑返した。 そうして、結局日付の変わるまで、俺は二人の酒の相手を延々とする羽目になった。 |
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土方さんの女装バージョン。まだこの後、後日の話があります。 |
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