後の月見



あれから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
あれからというのは、俺の覚えていない原田との賭けの結果、太夫の格好をさせられて、総司の相方を務めさせられた晩からだ。
あの日は満月で、ぽっかりとひときわ明るい月が、天に架かっていた。
あの時は、原田を前に、総司を横にして、ただ酒の酌をしていただけだった。しかし、それから後、総司の言った言葉が、俺の頭の中をぐるぐると回り、いつになく仕事が手につかなくなっていた。
そうして、今日とても、捗らない仕事に何度目かの溜息を吐き、少しばかりの気分転換をしようと、筆を置こうとした時、ばたばたと慌しい足音が聞こえてきた。
「巡察、終わったぜ」
開けてあった障子の向こうから、原田の大きな声が聞こえ、続いて長身の原田が現れた。
「ああ、ご苦労。特に変わったことは?」
「いんや。別に何もない。一件、上木屋の店で、浪人がいちゃもんつけてたぐらいだな」
「それで、如何した?」
「ああ、俺たちを見て、あっさり逃げ出しやがったが、捕まえて奉行所に引き渡してきた」
「そうか」
でんと、胡坐をかいて座り込むこいつからは、夏が戻ったかのような暑い最中巡察をしたせいだろう。ぷんっ、と男臭い汗の匂いがした。
「ところでよ、土方さん」
頭を掻きながら呼び掛けて、言いにくそうに言葉を切った原田に、俺は訝しげに問い掛けた。珍しいこともあるもんだ、こいつが言いかけて止めるなんざ。
「何だ?」
ところが、こうやって問い掛けたことを、心底後悔する嵌めになろうとは、このときの俺は思っても見なかった。
「明日。また、月見。だよな」
また、という言葉に力を込めて原田に言われ、俺は思わず先程まで考えていた、先月のことを思い出した。
「それが?」
一応、平然と俺は言ったつもりだが、果たしてそう見えたかどうか。
「ほら、今度の月見は、いわゆる『後の月見』だろう?」
「…………」
『後の月見』とは、遊里の紋日の一つで、九月十三夜に遊客が遊女を揚げてともに月見をする風習のことだ。
だが、俺が、何も言わずに黙ってると、
「前のときは、十五夜だったよな」
原田は、ずいっと身を乗り出して来た。
原田のいつになく真剣な顔に、くそっ、思わず身を引いちまったじゃないか!
「だから、なんだ?」
なんとなく、原田の言いたいことが見えてきた。こいつ、もしかして……。
「また、前の格好してみないか?」
やっぱり!! なんで、そうなる!
「なんで、俺がそんなことをしなくちゃ、なんねぇんだよっ」
「だって、さっきも言ったろ。前の時は、『十五夜』で、明日は『後の月見』じゃないか。だったら、さ……」
『十五夜』の八月一五日と『後の月見』の九月一三日の両日はともに紋日で、客が一方の日だけに登楼することを片見月といって忌みきらい、必ず両日に登楼するならわしがある。
「また、総司と過ごさなくちゃ、だろ」
しかし、だからと言って、なんで俺が遊女の格好をして、また総司と過ごさなくちゃならねぇ。しかも、あそこは島原だぞ。吉原とは風習が違うだろうが。
だが、原田はいつになく強気で、またずいっと俺の方に身を乗り出してきた。
「気になってんだろう?」
その迫力に押されて、俺は更に身を引きながら、
「何を……」
「だから、『総司の大事な人』って奴を、よ」
「何で、俺が……」
思わず、反論の声を俺は出したが、微かに掠れているのが俺自身はっきりと分かる。
「見てりゃ、分かるって。あれから、なんか心此処に非ずって、雰囲気だぜ、あんた。気付いてないのか?」
原田にそう言い切られて、俺はぐっと言葉に詰まった。確かにその自覚はある。だが、人の機微に疎い原田に気付かれていたとは……。
「なぁ?」
「…………」
俺の総司に対する感情が、原田にはばれていたのだろうか? 一体いつから? それを聞くに聞けずに、俺は固まったままで。
「土方さん」
「嫌だ!」
だが、俺は原田に呼びかけられた途端、反射的に叫んでた。
「どうしてもしたくない、ってんなら別にいいんだぜ」
えらくあっさり原田が引き下がって、体も後ろに引いて、後ろ手に畳に手を着いた。
俺が拍子抜けしていると、
「けど、前の月見で女装したって、言い触らすからな」
「何っ!」
俺が声を荒げると、にやりと悪党張りの嫌な笑みを浮かべやがった。
「それが嫌なら、またしなよ。そうしたら、ぜ〜んぶ黙っててやるからさ」
なっ、と肩を叩かれて、
「本当にこれっきりだし……。もう二度としろとは、言わねえよ」
俺は、がっくりと肩を落とした。こいつなら、言い出したらやりかねねぇ。




ちょーっと、時機を逸しましたが、まぁいいか。というわけで。
まだ、総司バージョンも、あります。お楽しみくださいませ。



土方バージョン 『十五夜』 総司バージョン 『二夜の月(2)』
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