氷点



(玖)


池田屋、禁門の変と、新撰組の名を知らしめる行動が続き、その後、近藤が増長したと言って永倉たちが、会津公に建白書を提出しようと言い出した。
助勤である斎藤にも、当然声が掛けられた。
その結果、顔ぶれは永倉・原田・斎藤・尾関雅次郎・島田魁・葛山武八郎の六名。
流石に、沖田や井上には声を掛けれなかったらしい。
谷や武田は、永倉が嫌っていたから当然だが。
その分、尾関や島田といった古参に、永倉は声を掛けた。
斎藤も参加したが、近藤の増長振りは、何もこれが最初ではないだろうに、と思う。
初めて会津公に目通りした後も、鼻高々な態度は見られたのだ。
少し煽てられれば、鼻が高くなる。それも近藤の愛すべき態度だと、斎藤には思えるのだが。
だから、斎藤が永倉たちの話に同調したのは、近藤を糾弾するためではない。
自分がこの話に参加することによって、土方の態度を見極めたいと思ったからだ。
土方にとって、邪魔な斎藤をどう処断するか。
近藤に叛旗を翻したようなこの行動は、土方にとっては何よりの朗報だろう。
大手を振って、斎藤を処断してしまえるのだから。
だが、斎藤を含め幹部三名と、監察の島田を含めた古参三名。
一体どういった基準で処断するのか。
幹部の中で、気に入らぬ斎藤だけを処断すれば、それは明らかに片手落ちだろう。
斎藤は、興味津々の態で、建白書に署名をし、近藤と土方の出方を待った。



近藤は哀れなほどだった。
まさか、幹部三人に、こういった形で叛かれるとは、思っても見なかったのだろう。
しかも、試衛館以来の同志たちだ。
がっくりと肩を落としていたが、それでも会津公の前では気丈に振舞っていた。
その上で、自分の振る舞いを詫び、会津公を煩わせた不手際を詫び、斎藤たちには今後も力を貸して欲しいと、頭を下げた。
それで、気をよくした永倉たちは、振舞われた酒を飲み屯所に帰営したのだが、斎藤には近藤はともかく、土方が黙っているとは到底思えなかった。



案の定、土方は近藤に首謀者の処断を迫った。
「近藤さん、今度の件はどう処分をするつもりだ?」
「処分? そんなのはしないさ。すれば永倉たち試衛館以来の同志を、失うことになる」
近藤は覇気を失い、項垂れたままだ。
「だが、これは叛乱だぜ。処分しなけりゃ、第二第三の永倉たちが出る」
局長を糾弾する隊士など、そのままにしていては、隊の運営など出来ない。
「しかし、歳……」
土方の言うことに一理あるのは分かっていても、近藤には躊躇いがある。
「あんたが、全員を処断したくないって言うなら、それも良いさ」
土方は、近藤の前でぞんざいに胡坐を組み、決断を迫った。
「けど、誰か一人でも人身御供にしなけりゃ、収まりはつかないんだよ」
近藤は苦渋の表情で、土方を見た。
「…………」
近藤の脳裏には、首謀者である永倉の顔が、きっとあることだろう。
だが、土方が考えている処断の相手は、永倉ではない。
「まぁ、俺に任せてくれ。あんたの気持ちを踏みにじるような真似はしねぇ」
幹部の誰かに責任を取って腹を斬らせるなら、それは斎藤が一番だろう。
斎藤も試衛館に出入りしていたとは言え、日も浅く一番馴染みが薄い。
近藤の痛みも、薄かろうと思う。
それになにより、土方には斎藤が邪魔だった。
沖田の周りをうろつく斎藤が。勿論、斎藤の沖田への想いも。
沖田が懐くように仲が良いのも腹立たしかった。
いつか、仲を引き裂いてやると、思っていたのだ。
それがこんな形で転がり込んでくるとは、土方には思いも寄らぬことだった。



帰営してから、永倉たちがそれぞれ謹慎している部屋のうち、斎藤が謹慎している部屋へと、土方は処分を告げるべく向かった。
近藤には、昨日斎藤の処分を下すことを告げてある。
斎藤と沖田の仲の良さを憂い、沖田が悲しむと近藤は言ったが、なんとか納得させた。
斎藤の部屋へと歩きながら、邪魔者を処分できる嬉しさから、土方はつい北叟笑みそうになってしまった。
表情を引き締めて、部屋の前まで来ると、中から楽しそうな声が聞こえてくる。
それを聞いて、土方のこめかみが、ぴくりと引き攣った。
沖田の声だ。
謹慎処分にも拘らず、沖田は気にせず、斎藤の部屋を訪れたらしい。
憎憎しげな表情を一瞬浮かべたものの、土方は気を落ち着かせるために、一度深呼吸をして、それからおもむろに障子を引き明けた。
「あっ、土方さん」
土方の姿を認めた沖田が、嬉しそうな声をあげる。
沖田は自分の好きな人間が、一緒に居る姿を見るのが好きらしい。
この時も、好きな斎藤の部屋に、土方が来たことが単純に嬉しかったようだ。
土方が何を斎藤に告げに来たかなど、考えても見ないようだった。
そんなことは、思いもしないのだろう。
だが、土方は沖田と斎藤を交互に見比べてから、その沖田に出て行くように言った。
「え〜、如何してですか? 折角、土方さんが来たのに……」
「斎藤と重要な話がある」
そう低い声で言えば、沖田はぶつぶつと文句を言っていたが、渋々出て行った。



沖田が未練ありげに出て行った後、部屋に残ったのは、それぞれの思惑を孕んだ土方と斎藤のみ。
二人向かい合って対峙し、暫く睨み合っていたが、土方が漸く口を開いた。
「処分が決まったぜ。建白書の一件の……」
「そうですか」
斎藤はまるで人事のように、淡々と受ける。
土方がこの部屋を訪れた以上、その意味するところは分かっているだろうに。
「斎藤、お前に全責任を負って、自決してもらう」
「…………」
想像通りの展開に、斎藤はうっすらと哂った。
「可笑しいか? 自分の死がそれほど」
「いえ。思ったとおりの展開に、つい……」
土方が斎藤の態度と言葉に、目を細めた。
「つまり、土方さんにとって、目障りな私を、建白書の件に託けて、処分しようという腹でしょう?」
「言ってる意味が、よくわかんねえなぁ?」
「そんなことは、ないでしょう? この一件を聞いて、何よりあなたは喜んだはずだ」
「…………」
「違うんですか?」
沈黙を持って応える土方の目を見据えて、
「それほど、邪魔ですか? 私が。沖田に近づく私が……」
斎藤が問い質す。
「俺は何もしてねぇ。自分が墓穴を掘ったんだろう」
「確かに、今回は、ね」
『今回』という言葉に、力を込めて斎藤は言った。
それに土方の秀麗な眉が寄せられた。
「ですが、前の時は、仕組んだでしょう?」
「前の時? 一体何のことだ?」
土方は白々しく惚けたが、それで追及を緩める気は斎藤になかった。
「私が出奔した時ですよ。私が人を斬り殺した、あれを仕組んだのはあなたでしょう?」
今でさえ、沖田の関心を引こうとする人間を遠ざけるのだ、あの当時の土方には斎藤ほど目障りなものは居なかったに違いない。
「あなたは沖田の目の前をうろちょろとする、私の死の望み。私を痛めつけたかった男を焚きつけた」
京でのこの男の計算高い頭の働きを身近に見ていれば、容易に察しがつこうというものだった。
「計算違いで、私が人を斬って、姿を晦まさざるを得なかったが、それでも沖田の前から居なくなって、さぞ満足したんでしょう」
「そんな証拠が何処にある?」
斎藤の話を聞いていた土方は、鼻でせせら哂ったが、
「証拠などありませんよ。ですが、あなたがその言い様が、いい証拠ですよ」
斎藤はそう断言し、
「もし、それを沖田に言えば、どうなるでしょうねぇ」
嘲笑の笑みを、にんまりと浮かべた。
見る間に土方の顔色が変わる。
「斎藤」
低く唸るような土方の声が、斎藤には心地よかった。
「ふふふ、沖田にだけは、そんな浅ましい自分を、知られたくはないでしょう?」
「総司が、お前の言い分を信じるとでも……」
「信じるかどうかは、言ってみないと、なんとも……」
一旦言葉を区切りながら、土方の反応を楽しむように続けた。
「ですが、ね。一時でもそんな眼で沖田に見られることに、あなたは堪えられないでしょう?」
ぎりぎりと、土方の奥歯を噛み締める音が、聞こえてきそうだ。
「私からの話は、それだけですよ、土方さん。よく考えてみることですね」
くっくっ、と喉の奥で、斎藤は楽しそうに哂った。



結局、斎藤には処分は下されなかった。
建白書を提出した六名のうち、一番軽輩の葛山が責を負った。
土方が近藤に、一体なんと言って自分の処分を撤回したのか、斎藤は考えるだけで可笑しかった。




なんか、段々話が長くなっていくぞ〜。こんな話が入るはずじゃなかったんだが。



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