氷点



(拾)


ある夜、斎藤は秘密裏に土方に呼び出された。
屯所から少し離れた、一軒家だった。
土方が自分を屯所の外へ呼ぶなど、可笑しなこともあるものだと思いながら、斎藤は指定された場所に向かった。
土方が斎藤を罠に嵌めるとは、思ってもいないようだ。



屋敷に着くと、土方しかおらぬようだった。
他に人の気配はない。
「誰もいない。内密の話だといっただろう」
周囲を見渡す斎藤に、土方は憮然とした面持ちで、とりあえず座れ、と命じた。
「で、一体なんの用件です?」
「お前、伊東を探れ」
「伊東を?」
一体何故と言う顔で、斎藤が土方を見れば、
「あいつの言動は、勤皇かぶれと一緒だ。新撰組の為にはならねぇ」
確かに、折角捕らえた長州よりの人間を、論をもってして解放したり、隊内で殊更勤皇を説いたりといった行動を、伊東は起こしていた。
山南がいる頃は、そんな素振りも見せなかったくせに、今は近藤や土方の意に反することを訴えることも度々である。
「それは、間者になれ、ということですか?」
「そうだ」
重々しく土方が頷いた。
「私に白羽の矢を、立てたのは?」
「永倉は、一本気すぎて使えねぇ。原田は、全く向いてねぇだろうが」
「残るのは、私しか居なかったと?」
藤堂は既に伊東に引き込まれたかのような行動をしているし、井上は朴訥すぎて向いていない。
まして、沖田に間者のような真似事をさせることなど、土方には論外だろう。
となれば、試衛館以来の人間で、あとは斎藤しか居なかったが。
その言葉を、そのまま鵜呑みにするほど、斎藤はお人好しではない。
その名目でもって、沖田から斎藤を引き剥がすのが、土方の目的だろう。
そこまでして、自分を沖田の傍から引き剥がしたいのかと思えば、斎藤は哂うしかなかった。



それで、斎藤が受けるとでも、土方は思っているのだろうか。
己の真意を見抜かれていることぐらい、聡い土方には分かっているはずだが。
「私が引き受けると、本気で土方さんはお思いで?」
皮肉を込めて斎藤が言うと、
「引き受けるだろうよ、おめぇは」
土方は確信を込めて言った。
「何故?」
「これは、総司の為でもある」
「…………」
沖田の為と言われ、無言で土方の言葉の先を、斎藤は促した。
「伊東の腹は、組の乗っ取りにあると見ている」
組を脱すれば切腹なのは、総長たる山南の死で明らかだ。
そうである以上、脱退せずに乗っ取るほうが、利口であるだろう。
「近藤さんや俺を廃し、そっくり組を乗っ取って、勤皇側へ寝返れれば、これほどの手柄はねぇだろう」
第一、脱隊となればどれ程の人間が、伊東にくっ付いていくか分からぬが、乗っ取ればそっくりそのままの人数を、手に入れることが出来るのだから。
「が、そうなれば、総司の居場所は如何なる?」
二人がいなくなり、伊東が牛耳った新撰組での沖田の立場は、微妙だろう。
いや、芹沢亡き後、切腹させられた野口と、同等の結末が待っているに違いない。
「あいつには、近藤さんと俺の傍にしか、居場所はねぇ」
そうだろうと思う、そうだと思えばこそ斎藤は、土方から沖田を奪いはしなかった。
もっとも、土方はそんな斎藤の心情を、理解しなかったが。
「それに、病だ。隠してはいやがるが、随分悪くなってる。同室のお前には、分かってるだろうが、な」
ここのところ、沖田は夜に熱を出す。
誰にも黙ってていてくれと懇願されて、斎藤は黙っていたが、土方は気付いていたらしい。
もっとも、今も肌を合わせているようだから、気付かぬほうがどうかしているだろう。
「俺は、総司には安らかで安心できる居場所を、作ってやりてぇ。それには余計な揉め事を持ち込む、伊東は邪魔なんだよ」
派閥に興味のない斎藤の眼から見ても、伊東の動きは露骨だった。
「おめぇも、総司を余計なことで、煩わせたくねぇだろうが」
斎藤には沖田の名を出せば意のままになると、土方は読んでいたのだろうが、それは沖田を慮って大人しくしていた斎藤を読み誤っていた。



斎藤は押し黙ったままだったが、蝋燭の揺らめく焔を映した土方の白皙の顔を見ていて、ふと面白い考えが浮かんだ。
もし、この唐突に浮かんだ思惑を、土方に提案すれば、一体如何するのか、わくわくするような気がした。
「私には新撰組など、どうなろうとも良い。あんたと違ってな」
敢えて土方の真意には触れず、
「あんたらに、何かあれば、私が沖田を守ってやる」
そう言い放った。
その上で、間者になっても良いと、譲歩した。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「そうだ。それによっては、間者になってもいい」
「…………。言ってみろ」
「まず、沖田には、私が間者になることを、知っててもらう」
「…………」
「沖田の為でもあるんだろう? なら、それを知らずに、恨まれたくはないな」
「ふんっ、駄目だ」
言われると予測していたのだろう、土方は拒絶した。
「何故?」
「お前が伊東の間者になることは、極秘中の極秘だ。どこから漏れるか知れねぇ。言ってもらっては困るな」
「沖田が、漏らすとでも?」
「総司が漏らすわけはねぇ。が、それをお前が告げるとき、どう漏れるか知れねぇ。万に一つも間違いは許されねぇんだ。絶対に駄目だ」
土方の建前はそうでも、本音から言えば、斎藤が間者になることを告げて、沖田にいらぬ同情心を抱いて欲しくないといったところだろう。
もっと言えば、近藤を裏切るに等しい行為をして見せなければならぬ斎藤を、沖田が憎んで欲しいところだろうか。
斎藤も許可されるとは思ってもいなかったから、ここはあっさりと引いた。
それよりも先程浮かんだ条件の方を言った時の、土方の反応を想像するだけで、ぞくぞくとした。
「よかろう。では、別の条件だ」
言葉を区切った斎藤に、土方は先を促した。
「何だ?」
「あんたを抱かせてもらおう」
「なに?」
一瞬意味が掴めなかったのか、土方が聞き直した。
「だから、間者になっている間、あんたを抱かせてもらう。それが条件だ」
「気が違ったか? 斎藤」
まるで、狂人でも見るかのように、土方は眉を顰めて斎藤を見た。
「いいや、正気だよ。充分に」
「なら……」
「別にあんたに興味があるわけじゃない。沖田の抱く、その躯に興味がある。それだけだ」
「…………」
「沖田が抱く相手が、あんたでなければ、あんたの躯を要求しはしない」
そう、沖田の抱く相手が、土方だから要求したのだ。それ以外になんの興味もない。
「構わんだろう? 何も沖田を抱かせろと、言ってる訳でなし。」
駄目押しのように言えば、斎藤をどうとでも、沖田から引き剥がしたい土方に、選択肢はなかろう。
「それも嫌だと言うなら、あんたが私を江戸から追い出した、そのことを話そうか?」
斎藤はうっそりと笑みを深くして、土方に迫った。




やっと、間者になってくれましたよ〜(溜息)。
これで、斎藤×土方に突入です。



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