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総司は、いつから己のことを、『歳さん』とは呼ばず、『土方さん』とのみ、呼ぶようになっていたのかと、歳三は思い出そうとしていた。 試衛館に居た頃は、『歳さん、歳さん』と纏わりついていた。 京に上ってからも、人前ではともかく、二人になれば『歳さん』と、呼んでいた筈だ。 それが、いつからか、二人きりのときも『歳さん』とは、呼ばなくなり。 如何なるときも、『土方さん』と呼ばれることに、淋しさを感じるようになったのは、いつのことか。 いくら思い出そうとして、思い返してみても、歳三には思い当たらなかった。 そんな素振りは何一つなかったのだ。 総司はいつでも、自分の傍らで笑っていたから。 それが、どこか遠くに感じるようになったのは、総司のあり様が変わったのか、それとも自分が変わったのか、歳三にはわからなかった。 総司や、近藤、井上といった天然理心流の者たちには、自分が何をしてもわかってくれるという、どこか甘えがあったのは確かだが、それでも離れてゆくことなど、一度たりとも考えて見なかったのだ。 総司に女が居ると知ったのは、山南が死んですぐのことだった。 総司が山南の介錯をして、しばらく経ってから、女の元へと通うようになったのだ。 それまでにも、総司が女の通う医者で、時折逢引めいた行為をしているのは、知っていた。 知っていたが、歳三は黙っていた。 何故そうしたのかは、今でも分からない。 分からないが、黙っていたのだ。 そして、総司が女の家へ通いだしたのは、山南の死後だ。 総司に山南の後を独り追わせ、連れ戻させて、介錯までをさせた。 山南を慕っていた総司に、そんなこくな役目を負わしたことを、歳三は後悔していた。 口さがない者が、山南を逃がすこともせず連れ帰った総司を、陰で罵っていたとも聞いた。 総司が女の元で、その心の傷を癒しているのかと思うと、歳三は負い目に似たものを感じ、総司に何も言えなくなっていた。 だから、総司と女のことは、一切見て見ぬ振りをした。 女の名さえ、知ろうとはしなかった。 そう、二年もの間。 その結果が、これだった。 女の死。 女は一体総司のうちで、どんな位置を、占めていたのだろう。 夫婦になる相手に渡す鈴を、女はどんな想いを、総司に託したのだろう。 総司の手の内の、鳴らない鈴を見ていると、歳三の胸の内には、何故かチリチリと、痛みが響いていた。 |
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