虎徹がバーナビーを誘うことはあっても、バーナビーから虎徹を誘ってくることは珍しい。
だから帰り際に「飲みにいきませんか」とバーナビーから声をかけられたとき、虎徹は少し驚いた。虎徹がヒーローに復帰してからは初めてかもしれなかった。
だがバーナビーの顔を見て、すぐに虎徹は納得する。人形のように整った顔には、複雑そうな表情が浮かんでいて、彼がまだ昼間の一件を引きずっていることがよくわかった。隠そう、とはしているのだろう。だがしかし、うまくいっているとはとてもいえない。
明るい緑の目は、バーナビー自身が思うよりもずっと雄弁に、彼の気持ちを映し出してしまう。
コンビを組んだばかりの頃は、クールなイメージが強かったこの相棒が、案外感情的であることを虎徹はもう知っている。クールどころか、バーナビーは虎徹よりもよほど激情家なのだ。そして一度持った強い感情を、コントロールする術をまだきちんと身につけていない。
感情の切り替えがうまくいかず、それを持て余すとき、バーナビーは不安定になる。
だから、飲みにいきませんか、なのだ。
これは要するに、彼なりの甘えなのだろう。
虎徹は、もちろん二つ返事で了承すると、バーナビーの車に乗りこんだ。
他のヒーロー達と違って顔バレしているバーナビーと、寛いで飲める店はそれほど多くない。適当な店で、というのがバーナビーとは出来ないのだ。
だから彼と外で飲むときはいつも、ゴールドステージにある会員制のバーか、または互いの家になることが多かった。
今日は、外で飲みたい気分だったのだろう。バーナビーは虎徹を一人ではとても入る気にはなれない、敷居の高い店に連れて行った。
静かな音楽が流れる中、奥の個室へと案内される。個室からはすばらしい夜景が見渡せ、女性でも連れ込めは喜びそうだったが、残念ながらいるのは疲れたヒーロー二人である。
いくつかのつまみと、あとは上等な酒を何本も頼んで、片っ端から飲んだ。虎徹はアルコールと名のつくものなら大抵はいけるので、酒を選ぶのはバーナビーだ。以前はロゼばかりを好んで飲んだバーナビーも、この一年で飲める種類を広げたらしい。途中で日本酒を頼みだしたのには、驚いた。
「バニーちゃん、日本酒飲めるの」
「飲めるようになりました」
そんな臭いもの、よく飲めますね、なんて言っていたバーナビーの成長に、虎徹はいたく感激し、そこからは日本酒三昧である。
酒の合間に喋るのは、他愛もないくだらないことばかりだ。
バーナビーが恐らく胸に詰まらせている昼間の件には、どちらも触れない。喋りたくなったらバーナビーから喋るだろうし、そうでないならば虎徹が口出しすることでもないからだ。
いつもならば途中で「まだ飲むんですか?」等と言って虎徹を止めるバーナビーが、今夜は何も言わなかった。それどころか随分ハイペースで飲んでいたことに虎徹が気づいたのは、バーナビーが完璧に潰れた後だった。
テーブルに突っ伏し、ぴくりとも動かなくなったバーナビーを見て、虎徹も流石に我に返る。
「え。ば……バニーちゃん?」
声をかけるが反応はない。肩を軽く揺すっても同じである。何度か繰り返してみたが、バーナビーが意識を取り戻す気配はなかった。
顔色は悪くなかったし、苦しげでもなかったので、単純に泥酔しているだけだろう。
「あー……どうするんだ、これ」
虎徹は手の中のグラスを揺らして、呻いた。
酒の場では、酔いつぶれたもののほうが勝ちだ。素面でいる者には、酔っ払いの介抱という苦行が待ち構えている。
虎徹は決して酒に弱くはなかったが、飲む酒量が半端ないため、大抵介抱されることのほうが多かった。こうやって置いてきぼりにされるのは、久しぶりのことである。
暫く一人で飲んだ後、バーナビーが目覚めないことを悟ると、虎徹は諦めて立ち上がった。店の人間を呼んで、タクシーを回してもらう。勘定はバーナビーの口座から直接引き落としになっているらしく、請求されなかったのは助かった。虎徹の財布の中身では、恐らく払いきれなかっただろう。
冷たい水を一杯貰い、少しだけ酔いをさました後、虎徹はバーナビーを肩に担いだ。お姫様抱っこでもしてやろうかと一瞬思ったが、酒が入った今の状態で、ハンドレットパワーなしに自分と同じほどの体格の青年を持ち上げて歩くのは、どう考えても無理だった。
店の人間の手を借りて、バーナビーをタクシーに詰め込む。住所だけ言って放り出すわけにもいかないので、少し迷った後、一緒に乗ってバーナビーの家へ向かってもらった。ここからブロンズステージにある虎徹の家へ行くよりは、同じゴールドステージにあるバーナビーの家のほうが遥かに近いからだ。
バーナビーはよほど深く眠っているのか、タクシーの中でも目覚め気配はまるでなかった。
マンションの下でおろしてもらい、また肩に担いでエレベーターで最上階に上がる。意識のない人間の体は重く、結構な重労働である。
「おい、バニー。鍵! どこだっ」
エレベーターから降り、寝ているバーナビーを何とか起こして、ポケットからカードキーを取り出す。
玄関から中にバーナビーを運び入れ、寝室のベッドに寝せたところで、虎徹はやれやれと溜息を吐いた。そのままベッドの端に腰掛ける。
……疲れた。
素面であれば何ということもない作業でも、酒が入っている体ではつらい。いつの間にかすっかり酔いも冷めていた。
明日のことを考えれば、さっさと帰って、シャワーを浴び、ベッドにもぐりこむべきだろう。
「バニー、俺は帰るからな。鍵はここに置いておくぞ。明日、遅刻すんなよ?」
バーナビーからの返事はない。眠っている顔は安らかで、いつもより幼く見えて、虎徹は小さく笑う。手を伸ばしてくしゃりとバーナビーの頭を撫でた後、虎徹はベッドから立ち上がろうとした。
したのだが、ぐいと背中を引っ張られて、ベッドに再び戻される。
何だ、と見れば服の端を、バーナビーの手が掴んでいた。
「バニー?」
起きたのか、と思ったがバーナビーは目を閉じたままだった。
「……寝ぼけてんのか?」
呆れて言い、バーナビーの手を外させようと触れたときだった。バーナビーが目を閉じたまま、呟くように言った。
「僕だって……虎徹さんの能力が、戻るものなら戻ってほしいと思ってるんですよ」
明らかにアルコールの回った、酔っ払いの声だった。
寝言か、と思いそうになってしまうくらい。
けれども少しだけ力の篭もったバーナビーの手に、そうではないのだとわかる。
一体いつから起きていたのだろう、と思う。
「でも、能力があっても、なくても、虎徹さんは虎徹さんでしょう。……だから、僕は、」
バーナビーは言葉を切った。そしてどれだけ待っても、彼がその先を口にすることはなかった。
耳を澄ませば、規則正しいバーナビーの寝息が聞こえてくる。
虎徹は肩から力を抜く。いつの間にか少し緊張していたようだった。手を伸ばし、何となくバーナビーの頭を撫でた。日差しの下できらきらと輝くバーナビーの髪が、虎徹は好きだった。
明日の朝バーナビーは、今日のことを覚えているだろうか。言葉の続きを教えてくれるだろうか。
ないな、と虎徹は苦笑する。――もし覚えていたとしても、バーナビーはきっと口にはしない。虎徹がさっきの言葉の続きを、聞くことは出来ない。
バーナビーはそういう奴だ。
再び眠ったはずのバーナビーは、けれどもしっかりと虎徹の服を掴んで離さず、虎徹はどうしようかと考える。強引に離させることはできないわけではなかったが、何故かそうするのが可哀想に思えた。
以前であれば、きっとこんなときバーナビーの手は虎徹をもっと強く捉えただろう。その体を使って、ベッドに組み敷いただろう。
けれど今のバーナビーは、ただ虎徹の服を握るだけだ。
虎徹とバーナビーの間にはもう、セックスはない。友人であり、相棒であり、そして先輩と後輩としてただ隣にいるだけだ。
けれど、こういうのもいいな、と虎徹は思う。
以前のような近さはないかわりに、緊張感もない程よい距離。
何事も、少しもの足りないくらいが丁度いいのだ、と虎徹の歳になるとわかる。
今の虎徹には、寂しいと思う感覚さえも、心地よかった。
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