『ボクと魔王とキ妙な学者 2』 <前へ> <続く>


「遠い、遠いわ、湖が…! すぐそこに見えてるっていうのに!」
 振り下ろした拳が砂をざん、と割った。そのまま、「ああもう」と呻いて女勇者は膝を折り座り込む。

 とっぷりと暮れた空に星がまたたく。ほかに光といえば、古代遺物の『図書像』…開かれた本を模した石像が、緑の燐光を漂わせているばかり。その光は人の往来を困難にする魔物、通称「オバケ」を寄せ付けない効力を持っていた。なので付近は、野外での貴重な安全地帯である。
 しかし、像がなければ吹きさらしの平原。一応崖際とはいえ見晴らしがよすぎる場所に、適当に薄い布をひき枕代わりの荷物を転がして、今宵の一行は野宿確定である。
 ロザリーが、ばっと顔を上げた。そして金髪をかきむしり、遠く暗い湖面をにらみつけて吼える。
「だいたい、あたしは被害者なのよ!? それがどーしてここまでしなきゃいけないわけ!? せめてさっさと終わらせようってのにオバケは大量発生するし! なんなの! だれかあたしに恨みでもあんの!?」
「オラ、目尻垂れ女!」
「ちょっとエセ魔王誰がなんですって!?」
「……えーっと。ロザリーさぁん、ごはんですよー」
「さっきからギャアギャアとやかましい! そんなに体力が余ってるのなら走って来ればよい、一人わびしくあの水平線までな!」
「はあ!? 誰のせいで愚痴ってると思ってんの!? そう言うあんたがあっち行きなさいよ! しっ、しっ!」
「……。ええと……ごはん……」
 静かな宵をだいなしにしてわめき散らす二人を前に、ルカは所在無くおたまで鍋の中身をかきまぜた。
焚き火がぱちぱちと爆ぜ、鉄台に乗せ火にかけられた小鍋からは薄く湯気がたっている。
「あのーう、ロザリーさーん、ごはん、できましたってばぁー……」
 鍋のスープを木製カップに注ぎながら精一杯発した声は、だが怒鳴りあい真っ只中の耳には届かなかったようだ。足元からつながってゴムひものごとく長く伸びている影魔王にすら一顧だにされず、これは直接呼びに行くしかないかと少年はため息をつき、おたまを適当に置く。
 背後ではキスリングが像の傍らで、
「一度じっくりこの光を観察してみたかったんだよ! おお、なんと美しく不可思議なのか! やはりこれはルシフェリンルシフェラーゼによる冷光反応によるものか、はたまた燐か、それともプラズマ!? 燃えるね!!」
 と独り言にしては大きすぎる声と派手なリアクションで暴れていたので、少年はそっと見なかったふりをした。


「ふん、だから言わんこっちゃない! キサマがお手軽に奇人学者の気まぐれを許すからこうなるのだ、どれだけ己が低脳か思い知ったか頭からっぽ女!」
「もうっ、一度決まったことをえんえんえんえんしっつこいわねえ! 器のちっささがよくわかるわ典型的女性に嫌われ男バカスタン、アンタそれでよく大魔王だなんて名乗れたもんね、ほんっと小物! わかる? 小物よコ・モ・ノ!」
「ぐぬっ!? …い、いや、フ、フフフ、語るに落ちたな、偉大なる余の世界征服の旅にコバンザメ状態金魚のフン女が!!」
「はぁ!? あたしのどこがコバンザメなのよ! 自分こそルカ君の寄生虫なんじゃないの!?」
「なにをぅ!?」
「へーんだ、悔しかったら言い返してみなさいよ、この寄生虫寄生虫寄生虫寄生虫寄生虫!!」
「やかましいコバンザメコバンザメコバンザメコバンザメ!!!」
「いやあ、すばらしいねこの見事な対立構造は! なかなかお目にかかれるものではないよ!?」
 目に温かな焚き火を囲んで展開されるのは、叫び声の隙間にカップをすすり固パンをかじる、戦場のような食事風景である。ルカは本日何度目かわからないため息をこぼした。貧弱な具しか用意できず、多目の胡椒でごまかしたせいで渋いスープが、手元で揺れた。既に冷めている。
 もういろいろと諦めてさっさと飲んでしまおうと、少年はカップをあおって中身を飲み下しかけ、
「ちょっとどう思うルカ君、最悪じゃないこのスカタン!?」
「こ〜ぶ〜ん〜、よもやこの魚並み女の味方なぞせんだろうな!?」
「んっっぐ、う、ゲホゲホ!」
 気管に胡椒の直撃をくらって、激しくむせかえった。


「はー、なんかもう疲れちゃったわ……あとお願い……」
 それでもどうにか食事を終えた後、燃え尽きた女勇者が早々に寝床に潜ってしまったので、
もろもろの後始末はすべて少年の地道な作業となった。張り合いがないのか、魔王も影の内側にひっこんでしまったので、これ幸いと、ひたすら黙って体を動かす。
 火の始末をし、川で洗いものをすませて戻ってくると、旅慣れたロザリーは深く寝入っている様子だった。キスリングはといえば相変わらず図書像に張り付いて、メモをとりつつほくそえんでいるのでスルー案件である。
 ふあ、とあくびをひとつこぼしながら、ルカも自分用の布の上に座り、ほっと息をついた、その時。
「ククク……さぁて。邪魔者はいなくなったな?」
「……え? ッムグっ!?」
 休んだとばかり思っていた男の低い笑いが耳をかすめた。少年はあわてて振り向き、そのまま口に平たい指をつっこまれ、もう片方の手で胸板を押され。
「っ!?」
 勢いで仰向けに倒れ、くぐもった悲鳴が喉から漏れ、そして。
 口に詰め込まれたものが抜けたので、衝撃にとっさに閉じた目を、おそるおそる開くと。
 鼻がぶつかりそうな距離でのしかかる影の中央に、あざやかな黄色の目がらんらんと見開かれていて、ルカは息を飲んで硬直した。
「洗いざらいしゃべってもらおうか、子分。昨晩、あの女の無礼の後、何を持ちかけられたのだ?」
「え、なに……って」
 ルカは身じろいだ。目線が、顔の角度がすーいと正面からそれていく。震える声が告げた、
「こ、これから僕らについて行くからそのつもりでって、それだけ……」
「ふん、嘘がヘタだな」
 あからさまなそれに魔王はせせら笑い、あさっての方を向いていた少年のあごをつかみ、真正面にひき戻す。
「それまでは何くれとなく余を呼び出しておったというのに、今日はなしのつぶてだったではないか、ええ、子分?」
「それ、は……」
 声色でなじってやると、返答はさらに弱々しくたじろいだ。
「なあ? あれだけ余が取り立ててやったというのに、全く恩知らずなやつよ。余を裏切ればどうなるか、一度思い知らせてやらねばな?」
 影の指にぐっと力がこもった瞬間、びくんと少年の体が勝手に跳ねた。一瞬だったが、燃えるような感覚が彼の内側に走ったのだ。
「ひっ!? な、に……!?」
「ほんの少し、魔力を流し込んだだけだ、だが…意地でも口を割らないなら、余にも考えがあるぞ?」
 嗜虐の喜びに満ちて輝く目が、すうっと細くなる。ルカは青ざめた。『ほんの少し』でこれだ。より長く、強く、ねじこまれたら?
「あ……う……」
 おびえた目に、クククと心底愉快そうに、魔王は三日月のような口もとを吊り上げる。
「さあ……」
 顎をくいと持ち上げる力に、少年はたまらず目をつぶる。それに、さらに迫ろうとして。スタンはふと気づいた。

 じー。

 かぶりつきそうな近くで黒目がぱちくりと瞬く。
 スケッチでもしているのか、しゃっしゃかと軽やかにペンが動く。
「あ、気にしないで続けてくれたまえ!」
「できるかァ!!」
 気さくに片手をあげて笑う学者に、スタンは全力で突っ込んだ。


 その後、さんざん学者をこき下ろしたあげく「あー今日はもういい余はつかれた! おぼえてろ子分!」と魔王は今度こそ引っ込んでしまい、にこにこ笑う学者と戸惑う少年とが残され、その場に沈黙が落ちる。なんともしがたい空気の中、とにかく助かったのには変わりはないと思い、ルカは口火を切った。が、
「き、キスリングさん。ええと、その、ありが」
「ふむ、意外にシャイだな彼は。もっとこっそり観察していれば最後まで見れたかもしれなかったのに。いや〜もったいないことしたなあ、失敗失敗!」
「いやあのさいごって」
「ん?なにか言ったかね?」
「……い、いえ……おやすみなさい……」
「おお、じゃーねー!」
 これ以上考えるのよくない、と即座に撤退を決めこんだ。


 少年は半ば放心状態で床につく。と、枕にしようと動かしたリュックサックの中から、油紙の包みがひとつ転がり出た。
「……?」
 怪訝に思いつつ、かさかさと開いていくと、
「あ」
 それはパウダーシュガーをまぶしたキャラメルだった。ところどころに見えるクリーム色のかたまりは、おそらく体力回復用の木の実を砕いたものだろう。どこの家庭でも作るような、普通のお菓子だった。
「おばあちゃんかな?」
 ルカは、変わり者だが穏やかな祖母を思い出しながら口にする。緊張だらけの一日で疲れきった体に、木の実の渋みとキャラメルの甘みが優しく染み込んでいく。自然と頬が緩んだ。
「ん、おいし」
 ゆっくりと楽しんでから、水筒の水で口をすすぐ。そして、背中で砂がきしむのを感じつつ布の上に身を横たえた。野宿が生まれて初めての少年は、目前に広がる星々をしばし目を丸くして眺めていたが、疲れもあってかすぐに寝息をたてはじめた。
 だから、横目で様子を窺い、無言で親指を立てた学者に気づくことはなかった。






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