『ボクと魔王とキ妙な学者 3』 <前へ> <続く>


「ほらほらルカ君、起きて! さもないと置いてくわよー!」
 砂地と山々と遠い水面に、きらきらと白い光が差すさわやかな景色の中、ロザリーの声が響いた。
 籠手をつけた手が、少年をゆさぶると即座に影が持ち上がり、「やかましい朝っぱらから騒ぐなバカ女!」と叫んだので、「あんたに言ってないわよ!」と怒鳴り返す。荷物によだれを付けつつ「うーん、私の愛しいオバケちゃん……」とほざいた学者は、「はいはい」と敷き布を引っ張られ固い地面に転がされた。


 しかし、女勇者と学者が固パンとチーズをたいらげ、出かける準備が万端整う頃になっても、少年は敷き布の上に横たわったままだった。はじめこそ、疲れのせいだろうと判断したロザリーだったが、
「ルカ君? 聞いてるの? るーかーくーんー!!」
 耳をひっぱってあらん限りの声をはりあげても、彼は微動だにしない。
「やかましいと言っとろうが耳元でわめくなバカ声女!」
「だからぁ、あんたに言ってんじゃないわよ!! ……もう、困ったわね、さすがに今日中にはリシェロに入りたいのに。ねえ……ちょっと、ルカ君? いいかげんにしないとおねーさん怒るわよ?」
 さすがに棘の出てきたトーンで呼びかけ、女勇者はルカの肩を両手をかけて、思い切り揺さぶった。すると、抵抗なく彼の首も大きく振り回される。
「……っ!?」
 少年の顎が、人形のようにかくりとそらされるのを見たロザリーは、ひやりとして息をのんだ。
「まったく、何か知らんが、偉大なる大魔王の子分としてなさけない!
オラオラ、このカメよりのろいナマケモノめ、さっさと起きて余のためにしゃきしゃき働かんか!!」
「待って、おかしいわ!!」
「なにぃ!? 余の言葉のいったい何がおかしいというのだ、おかしいのはキサマの魚でも詰まっていそうなオツムのほうだろが!!」
「なんですってぇ!? ……ってあんたと遊んでる場合じゃないのよ! キスリングさん!!」
「ん? どうかしたかい?」
「ルカ君、なんだかぐったりしてません? もしかして、具合でも悪いんじゃ……」
「……。そうだねえ、私は専門の医者じゃないが……できる限り調べてみようか、原因がわかるかもしれない」
「お願いします……!」
 それから、学者は意外なほどテキパキと指示を出した。勇者はそれに従い、あまった敷布で日よけを作ったり、川から水をくんできたりと動き回る。身動きのかなわない魔王は落ち着きなく「なんだ?」「どういうことだ、おい!」と叫ぶしかなかったが、真剣な面持ちの二人にスルーされて、最後には押し黙った。
 そうして準備が整い、布の影の下座り込んだキスリングは、ルカの呼吸を確認し脈を取り、ノートにメモを書きつけながらつぶやく。
「うーん、異常はないねえ。一見眠ってるだけみたいだが……」
「博士、手馴れてますね……?」
「なに、オバケを研究するには、まずはふつうの動物や人間の体のしくみを理解しなくては、比較しようもないからね」
「へえー……」
「ふむ……本格的に調べてみるか。少し待っててくれたまえ」
 リュックに顔をつっこみ、がさがさと荷物を広げはじめた彼の邪魔にならないよう、女勇者は一歩横にどいた。と、金属靴がふぎゅると柔らかいものを踏む。
「ぐおっ!?」
「きゃあ!?」
 そこには、ルカの足元から伸びて、無言で身を乗り出し学者の手元を見つめていた影魔王。尻餅をついてしまった女勇者を見下ろし、思い出したようにわめきはじめた。
「ええい痛いぞ、何をする無神経デカ尻女!」
「なんであんたそんなところに黙っていんのよ、いつもうるっさいくせに! わかんなかったじゃない!」
「余は余なりに子分がなぜこうなったのか探っておったのだ。それをKY勇者めが邪魔しおって!」
「はあ!? いっそあんたがなんか悪さしたんじゃないの!? だいたい、こんな普通の子が魔王なんかにとりつかれて、無事でいられたのが不思議なくらいじゃない! ああ、そうよ、きっと体に負担がかかっていたのよ! かわいそうに……」
 よよ、と芝居がかった目元を抑えるしぐさに、
「あんだとお! なにを勝手に盛りあがっとるかこの妄想ヨッパライ女が!」
 魔王は逆上し、指をつきつけ平面の肩をいからせるが、浸ったロザリーは目もくれない。
「絶対に、あたしが助けてあげるからね、ルカ君! だから早く王女様を…」
「……む? まて、王女だと? キサマ、何かたくらんでおるな?」
 ふと聞きとがめた男は声を低め、金の目を剣呑に細めた。この自称魔王の顔は福笑いに使えそうなシンプルさだが、それゆえ少しの変化で雰囲気ががらりと変わる。
「っとと、あ、あんたには関係のないことよ!」
「どうもおかしいな。キサマこそ子分に何かしたのではないか? さては、余を暗闇に閉ざしたあの夜に…! 勇者にあるまじき蛮行を!」
「ちょ、人聞きの悪い言い方やめなさいよね! だいたいそんなことしてあたしになんの得があるっての!?」
「余の動きを封じようというのだろう!」
 吊り上げられたハマチのごとく、怒れる魔王は細かく激しく振動した。たしかに、力なく横たわるルカの足元に「繋がれて」いる以上、自由な移動は望めようもない。
「あ、あら。……もしかしてずっとこのままの方が世のため人のためになるんじゃ……」
「んなぬぅっ!?」
「……いいえ、だめよロザリー! 勇者たるもの安きに流れちゃ! だいたい、それじゃあたしの影もこのままになっちゃうし…」
「聞こえているぞジコチュー女! おまえの独善には目を見張るな、素でビックリしたわ! いっそ悪の道が性にあうのではないか、ええ!?」
「んなわけないでしょ! 何よ、ケンカ売ってんの!?」
「こっちの台詞だ!」
「何よ!?」
「やるか!?」
「もしやこれはっ!?」
 と、終始下を向いていた灰色の爆発頭が突如ばさあ、と跳ね上がった。とっさの事に度肝を抜かれた二人を尻目に、学者は書物を見つめ、ヘドバン状態でひとり激しくうなずいている。
「な、何なのだいったい!?」
「博士! 何かわかったの!?」
 早速食いつく二人に目をむけ、キスリングは不敵な笑みを浮かべた。
「うむ! これは可能性のひとつだが、正義の使者たる勇者と、悪の権化たる魔王に挟まれたせいで、呪いに似た効果が発動したかと思ってね! もしそうだとしたら大発見だよ! ああ、興奮するなあ……!」
「の、呪い!?」
「ほほう、悪の権化か……! いい響きだ……!!」
 出会った人々にほぼ大道芸扱いされてきた、あくまで自称魔王のスタンは、前のめりでぐっとこぶしを握る。そして即座に「そんな場合!?」と金属のかかとに蹴り飛ばされ、もんどりうって倒れる。代わりに身を乗り出したロザリーは学者に食ってかかった。
「ちょ、キスリングさんっ、喜んでないで! どうにかして解けないの、それ!?」
「いやー、そうは言ってもまだ確定するに足りる情報がなくてね。なので、一度サンプルを取らせてもらおうかなーと」 
 ほがらかに答えつつ学者が両手に取り出したのは茶色の薬ビンとハンカチだった。ビンを逆さに振って液を布地にふりかけ、それで少年の二の腕を軽くぬぐう。鼻につんと来る薬品独特のにおいが漂った。
 そして、次に取り出したのは。
「き、キサマ、子分になにをするつもりだ!? 場合によってはただではすまさんぞ!」
 学者が握った細長い針に、復活した魔王が即座に気色ばむが、
「いやいや、ちょっと血液を採取するだけだよ。大丈夫大丈夫すぐ終わるから」
 言葉のうちに針は少年の腕に突き立ち、したたり出す赤いものは一片の綿に吸い取られる。学者は赤く染まった綿を試験管に移し、コルクで密封した。最後に先ほどのハンカチで皮膚に残った小さな跡をふいて、
「はい、おしまい。簡単だろう? よければ、ロザリー君も提供してもらえないかな。分析の材料は多いほど正確な答えを出せるものだからね!」
「……しかたないわね、女は度胸よ! でも、変なことに使わないでよね!?」
「もちろんだとも! ……さ、終わったよ?」
「あら、こんなもんなのね」
 ぱちくりと、ロザリーの吊り気味の目がまたたき、不思議そうに腕の跡を眺める。
「うーん、スタン君のも是非分析のために欲しいところだが……」
 疑わしげに様子をうかがっていた魔王は、きらりと針をかざされてずさっと下がった。
「や、やめろ!」
「ふーん、怖いの? こーんなちっちゃい針がおっかないなんて、大した魔王様だこと!」
「ば、ばかもの怖くなどないわ、得体が知れないだけだ! それに影に血は流れとらん!!」
「いやー、やってみないとわからないよっ!?」
「なぜキサマはそんなに嬉しそうなのだああ!!」
 ニヤつくロザリーに抗議し、キスリングの変態ぶりに悲鳴を上げつつ、スタンはじりじりと下がって下がって。ついに背中を岩にぶつけへばりついたところに、
「ふふふ、じゃあこれでどうかなっ? 大丈夫大丈夫すぐ終わるから!」
 今度は銀ぴかに光るはさみをちょきちょきと鳴らし、輝くような笑みを浮かべたまま学者が追いすがる。
「ええいバカにするなっ、仮にも魔王の力のこもった影だぞ!? そんなもので切れてたまるかっ」
「あーら楽しそう。やってみる?」
 さらに、調子に乗った女勇者に抜き身のレイピアで迫られて、
「お・こ・と・わ・り・だ!! ええい、もう余は知らん勝手にしろバーカバーカ!!」
「あっ!」
「おお、残念だ……」
 最終的に少年の影の中に逃げ込んでしまった魔王に、残された二人は顔を見合わせた。


 それにしても針を刺されたあげく、派手な怒鳴りあいがすぐそばで起きているのに、少年は覚醒する気配がない。快晴の空から放たれ砂地で反射する光の中、ぐったりと伸べられた手足が哀れを誘う。まだ幼さの残る頬をうにうにとつつきながら、
「やっぱりおかしいわよね…」
 としゃがみこんで眉尻を下げた女はつぶやく。
「うーん、もしかしたら毒の可能性もあるかなあ? 早速サンプルで調べてみようか」
「ええっ、毒!? ど、どうしよう……ちゃんとしたお医者様にかかったほうがいいのかしら、でもルカ君がこれじゃ……」
 ぶつぶつ呟きはじめた彼女を尻目に、学者は綿の一部に試薬を垂らしたり、虫眼鏡でのぞいたりと忙しい。
「うーん。蛇でも虫でもサソリでもないなあ。む。トリカブト? でもないし。おお、マンドレイク? ……でもないなあ」
「いっ!? このへんにそんなやばい草生えてた!? っていうか命にかかわるってこと!?」
「なにぃっ!? どどどど、どうなるのだ子分は!?」
「いやあんたもう戻ってきたわけ!? さっきの”もう知らん”はなんだったのよ!」
 横たわる子供を取り囲んでひたすらわあわあ言うだけの魔王と勇者の耳に、学者のため息がひとつ落ちる。
「うーん、思わしくないねえ……。どうやら毒ではなさそうだが、むしろその方が治すのはやっかいだ。興味深いのは間違いないのだが、呪いだとすると解呪が成功するかどうか……」
 ゆっくりと立ち上がる白衣の背。その常にない重々しい声色に、ふいに空気が張り詰めた。
「そ、そんな! なんとかできないんですか、博士!」
「キサマ、いやしくも識者を名乗っていながら、なんの手立てもないと抜かすのか!?」
「いや、方法は、ある。君たちの協力があればどうにかなるかもしれない……だが、厳しい方法だ。それでもやるかい?」
 噛み含めるように念を押す声に、
「勇者をなめてもらっちゃ困るわ! 不条理に苦しむ人を救うのが、あたしの使命よ!」
 きりりと勇ましく背を伸ばす女勇者と、
「ええい、四の五の言うな、もったいつけずに早くしろ!」
 苛々と腕組を組み替えながらもその身に力をたぎらせる魔王。
 両者をみとめた学者の小ぶりな黒目が、きらりと輝いた。
「……いいだろう。では、私の言葉に従ってくれたまえ!」






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