ざくっ、がりがり。
「ああっ、大事に扱ってよそれ! お気に入りなんだから!」
「ふふふ不幸勇者を不幸たらしめる記号としての日傘にこうして触れられるとは! ああ、今日はなんていい日なんだ夢のようだよ!」
「だから振り回すなっていうのよ! あと不幸勇者って言うなあ!」
中天の太陽がまぶしい中、日傘の先端を使って、円弧や直線を組み合わせた陣が砂地に描かれていく。ひととおり作業を終えたキスリングは、かるく腰を叩きながらひとつうなずくと、
「陣はこれでよし、と。おーいロザリー君、彼をここに!」
「はいはい……まったくもー……」
指示を受けた女勇者が、ぶつぶつ言いながらも陣の中心に眠れる少年の身を仰向けに横たえる。
「次はこれを」
と、学者は白衣のふところから南国心あふれる大きな葉を取り出した。
「えっと、これは……?」
「その頭のベルトにはさんでみてくれたまえ。うん、頭の両脇に立つように」
「こ、こう……?」
勇者の頭で、ひょん、と飾り羽根のような葉が2枚直立した。
「ク、クククっ、この上なく似合っているぞバカ女! おまえの頭と同じくらいにおめでたい!」
「うっさいわね!」
ぷるぷる震えながら笑いをこらえる魔王に、勇者はくわっと振り返るが、その拍子にいちいち頭の草がふぁっさあ、と揺れる。
「ブフゥ!」
「あんたそれ以上笑うなら今すぐ串刺しだからね!?」
怒声を聞き流しつつ、あまりまじまじと見ては腹痛が危険だと必死に目をそらす魔王に、
「スタン君はこっちだね。両手に持って」
「…なんだこれは」
勇者の頭部で揺れる葉と同じものを数本、紐で根元を結わえたものが手渡される。
「うぷぷ、そっちだって十分まぬけじゃないの!」
「おまえに言われたくはないぞサンバ勇者め!」
「おーい、ちょっと手伝ってくれたまえよ。この岩をここに……っとと」
「あーはいはい無理したら危ないですって! ……あら」
「ちょ、待て! 余が! 余の小指が挟まってアイタタタタ!?」
「えっそれ小指なの?」
「うーん3本しかないのになぜ小指と断言できるのか……興味深いね!」
「いいからさっさとどかさんかあぁ!!」
大騒ぎしながらも、全員で腰ほどの高さである岩を転がし。
最終的に学者は、ピンクの日傘を転がした岩と図書像との間に橋を作るようにして掛け、
「完成だ!」
と胸を張った。
「さあ、儀式を始めよう! まずは、ロザリー君。この傘の下を仰け反ってくぐるんだ! 言っておくが、落としたらやりなおしだからね?」
「えええっ、そんなのどうやってやればいいの!? しゃがんで、じゃダメなわけ!?」
ちょうど腰ほどの高さに掛けられた日傘を見てロザリーはおののくが、キスリングは一歩も引かない。
「いやいや日ごろ鍛えた君の柔軟性が試されるときだ! これは勇者として大切な試練なのだよロザリー君!」
「し、試練……!」
勇者としてこの上なく「らしい」単語を持ち出されたロザリーが、てきめんに目の色を変えるのを、うさんくさげに眺めていたスタンだったが、
「スタン君はそれを振ってくれ! こう、わっさわっさと!」
「おいおいおい待て待て待て!!! 余はお手軽女のよーには乗せられんぞ、なんだこのくだらん茶番は!? キサマこの非常時にふざけているのではなかろうな!?」
「儀式内容に興味があるようだねスタン君! これは遠く南洋の神聖な儀式を再現したもので、心身のアンバランスになったオーラを正常な状態に還元する効果があると言われているんだ。ロザリー君からはポジティブなエネルギーを、スタン君からは悪いエネルギーを阻害し癒しをもたらすエネルギーをそれぞれ陣に注いで、世界構造の狭間に落ち込んだ精神を賦活するという重要かつ困難なミッションをだね」
「だああまたしても話が無駄に! 長い! 長すぎるぞ毎度キサマは、校長先生の朝礼か! めちゃ嫌われるわ!」
「ははは、そんなに褒めないでくれたまえ!」
「どこも褒めとらんわ変態か!?」
「ああもういいからやるしかないじゃない、このままで一番困るのはあんたでしょ!?」
「くそ、厄日か今日は!?」
吐き捨てて魔王はやけくそで草をしゃかしゃかと振りはじめ、勇者は必死すぎて寄り目になりながら日傘をくぐろうとし、学者はというと、
「呪文は私が唱えよう! ホァーッ! フォァーッ! リンボーー! リンボーーーー!!」
陣の周りを練り歩きながら甲高い裏声で叫ぶ。
そしてしばし、このひかえめに言ってカオスな光景が無人の平原に展開されたのであった。
肩で息をしながら、勇者と魔王はそろって砂地に座り込んでいた。
ロザリーは、日傘くぐりこそ気合でどうにかしたがぐったりと腰をさすっているし、
スタンは誇りを傷つけられたのか、ぶつぶつ文句をたれながら砂にうずまき模様を量産している。そんな死屍累々たる状況の中で、空気を読まないことに定評のある男は、
「うーん、だめだね。こんなに時間がたっても目覚めないなんて、ホントになんだろうなあ……?」
と、いっそ無邪気と言っていい仕草で小首をかしげた。
「そ、そんな……!? じゃ、ずっとこのままなんてこと……!」
自分で言っておいて青ざめるロザリーに、
「縁起でもないことをぬかすな!」
と叫ぶスタンも覇気がない。
「ああ、お、落ち着くのよロザリー! こういうときこそ勇者として冷静な判断力を……」
「うるさい、自分を落ち着かせるぐらい黙ってできんのかボンクラ!」
「黙ってなさいよ冷血! あんたこの子が心配じゃないの!?」
ロザリーはふらりと陣の中心に歩み寄り、膝を落としてへたりこむ。横たわるルカの頬にそっと手を当てて、
「ねえ、いっしょに行こうって言ったじゃない、こんなところで倒れてどうするのよ……」
もはや半泣きでつぶやいた。それにぎょっとなったのはスタンである。
「ば、ばかもの、手遅れのような扱いをするな! おい、しっかりせんかルカ。おまえがここで倒れては、余の旅ははじまったばかりで頓挫ではないか!」
「何よあんた、こんなときまで自分のことばっかり!」
「だ、だまれ余にあたるな! お、おい、そんなに悪いのか? 返事をしろ子分、なあ……」
おろおろと揺れた影の手が少年の肩をつかみ、思わず揺さぶろうとして、勇者に制止される。
「何してんのよ病人に!」
「おまえもさっき揺さぶっていたではないか!」
「さっきはさっき、今は今でしょ!? あたし、やっぱりルカ君背負ってマドリルに戻るわ。あのくらいの街ならお医者様もつかまると思うし」
「トチ狂うのも大概にしろ、低級魔族どもに囲まれたらどうする! ここまでも慈悲ぶかき余の助力を得て、かろうじて切り抜けてきたのだろうが!?」
「じゃあ、どうしろっていうのよ!」
「まあ待て、余の執事であれば他の治療方法がわかるやもしれぬ。だからさっきから呼んでおるのだが」
「なによ、そんないつになるかわからない上に怪しげなものに頼るの!?」
「なんだと!? 余は余なりに子分を思ってだな……!」
「もういい、今すぐ出発するわ、ジャマしないで!」
「連れて行かせるものか、これは余のものだ!」
「どうしてもジャマするならこの剣のサビになってもらうわ!」
「できるものならやってみろ、おまえこそ消し炭にしてくれる!」
「あー……そろそろ限界かな、うん。ちょっと待ってくれ、二人とも。盛り上がってるところすまないんだが、原因はもう分かったよ?」
一瞬の沈黙。後、
「なにい!?」
「で、だ、大丈夫なの? なにか大変な病気とか……!?」
吊るしあげんばかりに迫る二人をどうどうとなだめ、
「どうやら、彼の体質によるもののようだ。オネムロ草の薬効が強くなりすぎて、ただぐっすり眠っているだけみたいだね。本来、半日ほどで効果が切れるはずだったから、つい色々疑ってしまったが」
微笑みながら、さらりと学者は真相を告げた。
「……眠って……? え、え、でもだって、あんなに色々したのに意識がもどらないのよ?」
「ああ、そうだよロザリー君。ごらん、まぶたの痙攣がないだろう? ノンレム睡眠の真っ最中だ。ちょっと眠りが深すぎたんだろうね」
「え? ええ?」
理解が追いつかずぽかんとしたままのロザリーを尻目に、
「……おい待て。オネムロ草とはなんだ」
さすがは悪の権化というべきか、察した魔王はきしるような重低音で問うた。
「おや、知らないのかねスタン君、オネムロ草とはつまり精神安定効果がある高地原産の薬草で乾燥させて粉末状にすれば、少し渋みはあるものの無色無臭となる薬草で、研究者が休養のためによく使うものさ。習慣性もないし安心安全だよ? いやあわざわざお菓子まで用意したかいあって、実験は大成功だね!」
「ええい黙れ黙れ、この犯罪者め! ナマイキにも不埒なまねを……! 貴様、余の所有物に手を出せばどうなるか分かっておろうな……!」
ゆらめく黒炎を背負って危険人物に迫るスタン。それをただ眺めていたロザリーの表情も、徐々に般若の形相に変わっていく。涼やかな音をたててレイピアの刀身があらわになった。
「……あら博士、そういうことでしたの。ならば勇者として、人道を外れたものには相応の対応をとらせていただかなくてはねえ……!」
と、並の者なら裸足で逃げ出すような怒気を二人分ぶつけられた学者は、あろうことか、
「いやいやいや、すまなかった。ちょーっとばかり計算外だったがね、おかげで君たちの大変貴重な行動サンプルが手に入った! これで研究は飛躍的に前進する! いやあ、ありがとうっ!」
まったく懲りずに堂々と手を広げ。
「「……!」」
その一片の悔いも見当たらない満面の笑みに、黒炎と刃が殺到した。
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