勢いよく外に飛び出した瞬間、
「うお!?」
全力疾走しようとしていた足が宙を掻いた。そのまま、すこん、と落下する。
「うおぁああまじかあぁああぁぁ!? って、おおおおお!?」
スタンの視界を埋め尽くしたのは、まるで超満員ランタン祭りに放り込まれたかのごとく、莫大な光の群れだった。闇にまたたく多彩な色のそれが、瞬く間に上方へと過ぎ去っていく。さっきまでの部屋のドアひとつ外とは信じられない、万華鏡のような色彩の乱舞だった。
しばしあっけにとられてその光の競演に見入った後、びょうびょうと鳴る風切り音の中、魔王はハタと気づく。
「って飛べるだろーが、余は!」
叫んだ瞬間、いきなり落下ベクトルがぐるりとねじれ、視界が斜めに回った。
「とっとっ……!」
極端すぎる動きに思わず顔をしかめ目をしばたくが、それでどうにか飛行制御を思い出したようだ。落下スピードを意識してゆるめつつ、上体を起こし後ろを振り返るが、もと来た場所はもはや光の群れにまぎれて分からなかった。
「で、なんなのだこれは!? どこだここヒントもなしで放置するか普通!? ええい、いないのか黒幕とかラスボスとか何でもいいから誰か説明しろ!!」
スタンの怒号は拡散するばかりで一切反響することはなかった。ここがとてつもなく茫漠とした空間であるということだけは認識できたが、たよりなく舞う光たちにとり囲まれるばかりである。頭を抱えるしかない。
と、瞬間、魔王の脳内に鮮明な映像がよぎった。黒衣の男を足蹴にして高笑いするピンクの日傘女のイメージであった。
「!?」
ぎょっとして目をむくと、ふわふわとピンクの光が鼻先を漂ってゆく。頭を抱えたはずみに触れてしまったらしかった。
「……!? こ、これは、もしかしなくてももしかすると……?」
ためしに、その近くにある光たちにも軽く触れてみると、魔王の推測どおり、ふたたびイメージが脳内を走った。
黄緑色の光は、オバケの群れとともに踊り狂う白衣の男。あわい藤色の光は、赤毛の少年とむつまじく話す少女。派手なオレンジ色は、揚げ物やらバーベキュー串やらを山のように抱えむさぼるマッチョ。ポップな水色は、異様に睫が長くあごのとがった奇術師といちゃつくツノの生えた女。
「まさか……!?」
スタンはゆっくりと空間を滑っていく最後のひとつを、ためしにぎゅっとつかんでみた。と、サーカステント隅のベンチでしっかりと目を閉じたまま、えへえへと笑み崩れながら横たわる娘の姿が脳裏に閃く。
ようやく得心がいって、魔王は大きくうなずき、ぐるりと周囲を見渡した。
「そうか、これらは全て……個々人の夢だな!? ルカのやつ、このどこかに迷い込んだのか!?」
スタンは勢い込んで光に触れて回ったが、マギーだの元下水道魔王だの、あげくのはてにはルカの父だのが出てくるばかりだった。なにしろ光の数が膨大すぎる。
「ええい、きりがない! くそ、ルカ! ルカ、どこにいる!」
こんなところで時間を浪費している暇は無いのに、と歯噛みしていると、丸い光粒しか存在しない空間に、ふいに人影がよぎった。
「!?」
とっさに目で追うと、半透明の影はスタンの脇を通り過ぎ、一点へと遠ざかる。よく見ればそれは一人分でなく二人分の影のようで、
「…ルカ!」
スタンは息を呑んだ。シルエットだけでも判別できる見慣れた少年が、かぼちゃ頭の人物に手を引かれていたのだ。影は色鮮やかな空間に弧を描いて飛び、その先にあった薄い碧の球体へと吸い込まれた。後には波紋のような光がさざめき立つ。
「! あれかっ」
スタンは叫びながら一気に加速した。球体に入り込もうという意志を持って、思い切り腕を深く突き入れる。暴かれた夢の端がゆらゆらと震え、やわらかく開き波打った。それに包み込まれながら、魔王の視界は白くかすんでいく。
――誰かが、震えたような気配が、最後に意識をかすめた気がした。
涼やかな、夜の空気だった。みずみずしい青草の香りがする。スタンがゆっくりと目を開くと、浮いていたはずの足は、いつの間にか膝上まで、細長い草が密集した茂みに埋もれていた。
はっとして顔を上げた先、最初に視界に入ったのは、濃紺の夜空と真円の光。そこは、沈みゆく巨大な満月が照らす、静かな丘の斜面だった。頂上の向こうの地平には、森と木々が暗く影となってわだかまっている。蛍だろうか、ふわりふわりと時折、小さな金色の光がスタンの周囲を明滅しながら舞っていた。
「……ルカ、どこだ!? 迎えに来たぞ、返事をしろ!」
スタンは静謐な空気をぶち壊すように叫んだ。場の雰囲気と、内心の焦燥に呑まれないよう、あえて大股で草を踏み荒らし、さらにドスをきかせた声を張り上げる。
「そして、誘拐犯のかぼちゃ頭下郎めが、ここにいるのはわかっているぞ……! さっさと投降すればよし、でなければこの場を火の海に変えてくれる! さあ、返答せよ! 余の自制が効く内にな!!」
ボッ、と手に魔力の炎をかざして凄んでみせる、と、
「……っちょ、ちょちょちょ! 待って! ちょーっとまって、スタン!」
月の映える丘の頂上に、がさりと草をはねのけて人影が飛び出し、わたわたと両手を振った。ぱあっ、と一斉に金色が倍増して舞う。その光に取り巻かれた、ごく地味なカッターシャツとベストに黒ボトムの少年は、どうやら深い草むらに座り込んでいたせいで魔王からは見えなかったようだった。
「……ルカ!」
血相を変えて駆け上がってくる男に対し、少年はおずおずと話しかける。
「あ、あのね、スタン。ちょっと、話があるんだけど……」
声もなく恋人の頭のてっぺんからつま先まで視線を走らせ、呪われたりケガなどの異常が特に見受けられない様子に、スタンは一気に安堵しうっかりその場に膝をつきそうになったが、
「……でえいまったく手のかかる子分めこんなところでなーにをしとるのだお前はあぁぁ!! おかげで余はおちおち寝てもいられんし妙な場所で妙なやつらに妙なメに合わされまくったではないかあああああー!!」
次の一瞬で、それまで堪えに堪えていた感情が限界突破であった。
「ひぃ!?」
「返事はどうした返事は!」
「はひぃ!!ごめんなさいいっ」
「そして何を気軽にほけほけと誘拐されているのだお前は、それでも余の一の配下か!? 無用心にもほどがあるぞ! こうなれば家から一歩も出られないようにしてやろうかこのグズ子分め子分め子分め!!」
「え、ええとええとそれはちょっとっ、あのっ、ねえ……はな、しっ……きいてえぇ……」
肩をつかみガクガクとゆさぶる魔王の勢いに、子分は早くも目を回しそうである。その場の混乱はしばらく収まる気配がなかった。
スタンはぜえぜえと息をついた。どさりと尻を地べたに放り出す、胸まで草に埋もれるが、もはや気にするのもおっくうだった。
「……えっと、その……落ち着いた?」
こめかみに手を当ててうめくルカ。くらくらと頭がわずかに揺れていて、やはり目はたいそう良く回った様子である。
「少しはな……ゲホ! ゲフンっ」
叫びすぎて少しかすれてしまった喉を、咳払いで修正する魔王に、
「あのね、ちょっと。話を聞いてあげてほしい人がいるんだ」
でないと僕、帰れなくて。と子分は困ったように小首をかしげてみせた。
「なんだ一体……まあ、聞くだけなら別に構わんが……」
無駄に長い足をも適当に投げ出した男がぞんざいに返す。正直ルカが取りもどせたのだから後はどうでもいいというのが本音である。
「そっか、じゃあ……ああ、その人だよ」
と、魔王はすぐ背後に、静かに立ち上がる人影を察知した。まるで水のように世界に溶け込んでいて、非常に目立ちにくい気配であった。
「あん? ……!?」
何の気なしに横目で見やったスタンの全身が一気に強張る。
「貴様は!」
叫ぶよりも早く、腰を跳ね上げて身体ごと反転し向き直り、とっさに片腕をかざして子分を背後にかばう。
ギリギリと睨みつけられた目前の相手は、男のむきだしの警戒を気にした様子もなく、黒マントの肩についた細かい葉を落とした。その頭はやはりかぼちゃに覆われていて、丸くくりぬかれた穴の奥の目はうかがい知れない。そして、小柄なれど悠然とした姿には、明らかにスタンたちのまとう金の光とは違う色合いの、澄んだ碧の光がまといついていた。
「……貴様は……」
この領域に突入する前の出来事を思い出し、スタンは唸る。
「この夢の主だな!? いったい何がもくて」
「あっ、そう、そうなんだよスタン! 僕、この人に頼まれたんだ。ここでいっしょにスタンを待っていてほしいって。僕がここにいれば、きっと迎えに来てくれるからって……」
食ってかかったタイミングで背後から裾を引っ張られ、スタンはつんのめりながら信じられないと目をむく。
(おまえ、どっちの味方だ!?)
「は!? おいノンキ子分、余は今取り込み中だぞ見てわからんのか!? だいたい、そうだとするならなぜメモに事情を書かない!!」
「ああ、ごめんね、ちょっと強引に連れてこられちゃって、直せなかったんだよ。パイも渡そうとしたらなぜか口に突っ込まれたし……まあ、そうしなきゃ僕を連れ出せなかったらしいんだけど……」
「完全に誘拐だろうそれは! お人よしにも程があるぞ!? ええいもうお前黙ってろ、決着は余がつける! やい貴様、余のものにナメたマネをしくさりおって、覚悟はできているのだろうな、ええ!?」
「そ、そんなケンカ腰にならないでよ! お願いだよ、ちゃんと聞いてあげてよ……!」
「……」
恫喝するスタンの腰に抱きつくようにして止めにかかるルカだったが、当のかぼちゃ頭に無言のままゆるく頭を振られ、なぜか不服そうに沈黙する。
(なんで余の言うことより、誘拐犯なぞの言うことを聞くのだお前は!?)
その様子に魔王はさらにいきり立ち、それをそのまま目の前にぶつけにかかった。苛立ちもあらわに吐き捨てる。
「貴様の狙いは余なのだろう!? 子分を利用するような真似をせずとも、さっさと目的を言えばよいのだ! わかったら早くしろ、余は貴様のような面倒なヤツは好かん、容赦なぞしてもらえると思うなよ……!?」
「……知ってるよ、スタン」
「……!?」
スタンはぽかん、と口をあけた。子分は確かに背後にいるはずなのに、前方からもルカの声がしたのだ。
魔王が固まっているうちに、空気が動いた。その人物は、す、とかぼちゃに両手を当て、かぶとを脱ぐようにして、ゆっくりと頭から外していく。そして、はらりと夜の空気に舞ったのは、
「……!!??」
見慣れた赤茶の髪。静かに開かれる新緑のごとき、碧のひとみ。よく似た色合いの光たちが、付き従うように周囲を彩る。
「……ば、ばかな。姿を似せているだけか…!?」
「どうだと、思う? スタン」
やわらかな、いつも通りの声だった。すこし哀しげに眉を下げて、
「いきなり”僕”がいなくなって怖かったよね、ごめん。でも、これは、夢だから……」
少年はそれでも無理やり口元を引き上げて、微笑む。
「あの”夜明けのカーテン”がここまで来れば、忘れられる、から」
月の照らす方角とは真逆、低い空にオーロラのごとくゆらめきはじめた曙光を背に、もう一人のルカがそこにいた。
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