十六の巻「赤い月」1



この巻の主な登場人物


本作品「赤い月」から当サイトに初めてお越しの方は、シリーズ全体の背景がわかる時代設定・登場人物を合わせてお読みいただければと思います。

by 戸田采女


 赤みを帯びた三日月が沖天にかかっていた。

 明和四年六月末。越後高山は夏の盛りを迎えようとしていた。
生暖かく乾いた風が吹き抜け、夏の月は血が滲んだような紅だった。

 昨年の洪水の後ようやく城下は復旧し、今年の田植えは滞りなく終った。皆が豊かな収穫を祈り、今年こそはと意気込んだ。しかし梅雨に入ってもまとまった雨が降らず、稲の生育ははかばかしくない。
 過去の凶作や飢饉の年、月は決まって赤みを帯びていた。赤い月の記憶が人々を不安にさせた。

 六月半ばに江戸表より藩主・信輝公が帰国した。
皮肉にも空梅雨のおかげで旅程が狂うことはなかったが、例年にない気温の高さがこたえたのか。信輝公は相当お疲れの様子で、公務は家老の溝口主膳に任せ、居室にこもりきりの日が多かった。


 一方、城中の御用部屋は日照りの予感に浮き足だっていた。
昨年、洪水で領内の田畑は壊滅的打撃を受けた。領内の米不足を補うべく他所から米を買い付けたため、藩庫は文字どおり空になっていた。無論、米の備蓄は皆無だ。今年、万一凶作で、再び他国から米を調達する必要が出れば、新たに膨大な額の借財をせねばなるまい。

 だが貸し手が見つかればまだ幸運といえた。
藩主・信輝公正室、お牧の方様お輿入れ以来、江戸藩邸、特に奥の借財は雪だるま式に膨れあがっていた。数年前、上席家老・溝口主膳が奥の経費削減を断行した年、切羽つまった江戸藩邸・奥はついに「お断り」という強硬手段に出た。要は今まで借りた金は一切返しません、と踏み倒すことを「お断り」言う。

 おかげで金主の間で高山藩の評判はがた落ち。借財を申し入れてもなかなか承諾してもらえない。そんな中、ただ一軒、細々と融通してくれていたのが、例の天満屋(八の巻「曼珠沙華」参照)であった。

                   *

   六月二十七日、午前、城の小書院で家老・中老の合議が開かれた。「領内の商人から御用金を徴収し、まずは早々に西国の早場米を買い付け、飢饉をふせぐべし」という積極派と、「未だ井戸が枯れるほどの渇水ではない。まことに旱魃になるかどうか見極めてからでよいのでは」という慎重派に、重臣たちの意見はまっぷたつに割れていた。

「主膳どのは先程から御用金御用金と言われるが、商人たちとて去年の洪水以来、暮らしは楽でないはずでは? 領内の米や商品作物が大打撃を受け、商いにも支障をきたしたと聞き及びまする…ない袖は振れぬのではござりませぬか?」
もっともな慎重論を説く中老の榊原に、酒井、奥野の二人がうなずいた。

 上席家老・溝口主膳は一文字眉の下、横目でちらりと次席家老・内藤帯刀を見て呟いた。
「なれど、この非常時にもかかわらず、今町の廻船問屋で近頃妙に羽振りの良い店があると聞くが…? 斯様な噂、内藤殿の耳には入っておらぬか?」

 内藤帯刀は顎をさすりながら首をかしげた。
「はて…。某にはとんと心当たりがござりませぬが」

「左様か? 島崎屋という新興の廻船問屋だそうだ。六年ほど前、味噌問屋から鞍替えして繁盛しておるそうではないか?」
「ああ、その話ならば私も出入りの商人から聞いておりまする…」
若い堀がはたと膝を打った。
「何でも初めはニ百石積みの沈みそうなボロ船一隻で商いを始めたとか…まことに豪毅なことですのう…」
主膳は大きく頷いて続けた。
「今では島崎屋の蔵には唐絹や唐薬など、長崎にでもいかねば手に入らぬ唐・南蛮の品がうなっていると、もっぱらの噂じゃ。確か千石船など一隻もなかったはずじゃが…余程商いがうまいのかのう?」
「ほう…それはそれは頼もしいことにござりまするな」
帯刀はしらじらしく感心してみせた。
「ならば、まずその島崎屋なる者に、御用金を申し付けてみますか…」
「内藤殿は御賛同下さるか?」
主膳と帯刀、なごやかな口調で語りながら、探るような視線が鋭く交錯した。

「反対する理由がござりませぬ…が?」
肉厚の唇をかすかに綻ばせ、帯刀は首肯した。
酒井と奥野は怪訝そうな顔で帯刀を見つめている。
主膳の提案に、政敵の帯刀が一もニもなく賛成したのが解せないらしい。

「貴殿ら、何か言いたいことがあるのか?」
「い、いえ、ただ…島崎屋一軒から、いかほどの御用金がとれるものかと…」
帯刀はふんと鼻を鳴らし、
「五千両でも一万両でもとれるだけとってやればよかろう。ともかく、飢饉になって打ち壊しが起こってからではおそい。もし凶作にならねば、余った頸城米を大坂へなり運んで売ればよいだけの話しではないか?」
「いかにも…。某も凶作に備え、早めに米を確保することに賛成じゃ。去年の水害で我が藩の体力は尽きておる。島崎屋や他の商人にも、藩の危機ということで納得してもらおう…」
最年長の山崎が力強くうなずくと、若い堀や小栗も賛同の意を示した。

「…ではおのおの方、異存はござらぬな?」
一同を見渡す主膳に、全員が首肯した。




 小書院の続きの間には、主膳のはからいで誠之進と右近が控えていた。襖越しに合議の一部始終を聞いていたふたりは、家老、中老たちが退席すると深い溜息をついた。

「鉄面皮というか何というか…大した御仁だな。内藤殿は…」
右近が柳眉をひそめて吐き捨てた。
「島崎屋の名前が出ても、まったく動じておらぬ様子だったな…」
誠之進も唸るように呟いた。
「いかにも…」

「島崎屋には甘い汁を吸わせてもらっておるのだろう? 庇立てするのかと思いきや、どんどん御用金を搾り取ってやれと言わんばかりだ」
「…もしくは、五千両程度の御用金は、島崎屋にとってたいした負担ではないのやもしれぬ」

 誠之進と右近、ふたりの溜息が鈍く漂ったところへ、主膳が戻ってきた。

「御事ら、御苦労であった」
深々と礼をする誠之進と右近に、主膳は軽くうなずいて応えた。
主膳は上座に腰を降ろすと、
「相変わらず…腹の読めぬ男よ…」
苦笑しながら懐から扇を取り出して、ゆったりと仰ぎ始めた。

「だが御用金の件で少し島崎屋を揺さぶれば、何か動きがあろうな?」
「仰せの通りにござります」
「…右近、その後、例の田村の件はどうなった?」


 田村とは、過日、夜道で何者かに殺害された、元勘定方の下級官吏、田村蓑助である。六、七年前、博打で借金がかさんだところ、思いあまって藩庫の金に手をつけた。それを上司にあたる当時の勘定奉行・長坂覚之助に知られ、不正行為に加担させられる羽目となった。

 長坂家は内藤家の親戚筋。おそらくは内藤帯刀の命を受け、奉行の長坂は帯刀が独断で流用した藩金、数千両を帳簿上別の経費といつわった。実際、帳簿を改ざんしたのは田村である。ただ、田村の細工の仕方が稚拙であったため、勘定方の若手、筧真之介の目にとまった。奉行の日頃の行動に不信感を抱いていた真之介は、内密に上席家老・溝口主膳に報告した。

 この件の調査のため、右近が一昨年江戸から呼び戻され勘定吟味役についたのである。(右近が事件の背景を説明しているくだりは、14ー3を参照)

 長坂は病気を理由に右近が着任してまもなく奉行職を退いた。現在の勘定奉行・梶田兵庫助は元普請奉行で、藩金流用の事実などまったく預かり知らぬこと。梶田は実直な性格で、普請奉行時代も賄賂を受け取らぬことで有名だった。昨年の洪水以来、逼迫した藩財政を立て直そうと東奔西走している。

 右近は勘定方とは独立した立場、上席家老・溝口主膳の直属という形で、事件の探索にあたっていた。

「あの夜、内藤邸の床下に忍び込んだ配下の者によりますれば、田村が何やら証拠の品を手に入れ、内藤殿を脅していた由にござります。まとまった金を強請り取ろうとして、逆に口封じにあったわけで…。ただ、その品が何なのか、何処に隠し持っていたのか…、残念ながら探索は進んでおりませぬ」
「密約の書き付けか何かであろうか…」
「はい、私もそう睨んでおります。田村の家はまっ先に家探しいたしましたが、口惜しいことに、かまどの灰の中からも何も出てきませんでした…」
「うむ…既に内藤の手のものが押さえたか…」
主膳は低く唸ると、腕を組んで黙り込んでしまった。

「その田村とやら…家族は?」
これまで黙っていた誠之進が、ふと呟いた。
「女房と娘がおったが、夫婦仲が悪うて、もう数カ月も前から里へ帰っておる」
「では…他に女は?」
「あ…」
そちらのほうには疎い右近が、微かに頬を染めた。
「なるほどな…。そこまでは気が回らなんだ…」
初心というよりも、己の気のきかなさを恥じたのであろう。

 切れ者のくせに、斯様なところで右近は少しぬけている。誠之進は微笑ましく思いながら、右近と主膳、ふたりに向かって続けた。
「…何処ぞの女に入れ揚げていたかもしれませぬ。城下や今町の妓楼でもあたってみてはいかがでしょう。もし女がいたとすれば、何か託していたかもしれませぬ。既に内藤殿が証拠の品を押さえているやもしれませぬが、一応あたってみる価値はあるのでは?」

 右近は感心したように頷くと、
「では、早速配下の草の者に調べさせよう…」
「ああ、それがよい」
誠之進は右近に向かって柔らかく微笑んだ。が、笑みが消えるとまもなく、一転してきびしい表情で目線を父・主膳に移した。
「ところで父上…、この件、まだ目付には報告されぬのですか?」
「…仮にも帯刀は次席家老じゃ。かくたる物証もしくは生証人がおらぬかぎり、表立って糾弾することはできぬ」
そこへ右近が割って入った。
「田村が殺されてしまいましたからな…。次なる生証人を我らの側に引き寄せねばなりませぬ…」
一旦言葉を切る。右近の漆黒の瞳が煌めいた。
主膳が片眉をあげて引き取った。
「…島崎屋か?」
右近は黙ったまま、桜色の唇の端に薄い笑みを浮かべた。
「…貴公、内藤と島崎屋を仲たがいさせる気か?」
誠之進は不安げに右近を見つめた。

 右近は勘定吟味役のはず。隠れ目付ではない。主膳が命じている内藤帯刀の身辺調査は、吟味役の職掌を大きく逸脱していた。誠之進にはそれがいささか腑に落ちない。右近が自分や主膳のために内藤を叩こうとしているのはわかる。密約の書き付けを探すくらいはいいだろう。だが誠之進はこれ以上自分のために右近の手が汚れるのは耐え難かった。

 誠之進はわずかに腰を浮かせて主膳に訴えた。
「なれど、父上、このまま目付にも報告せず、右近と配下の者のみで探索を進めるのはいかがなものでしょうか?」
「誠之進…」
「田村のように、密かに命を狙われることになりますまいか?」
「確かに…内藤を追い詰めれば追い詰めるほど、こちらにも危険がふりかかることは覚悟せねばならぬ…」
誠之進の懸念に理解を示しながらも、主膳は苦々しく呟いた。

「誠之進…。私を誰だと思っている?」
黙して端座していた右近が口を開いた。
「右近…?」
「田村のような雑魚と一緒にしてもらっては困る…」
「…そのようなつもりは」
「夜道でばっさりやられたりはせぬ」
「なれど…」
「案ずるな。私なら大丈夫だ」
芙蓉のごとき笑みを浮かべ、右近はぴしゃりと言い放った。
誠之進は一瞬答えに窮したが、ひるまずなおもいい募った。
「貴公が強いのはわかっておる。されど、左様な正攻法ばかりで攻めてくるとは限らぬぞ。私がいいたいのは…」
黒々と濡れた瞳が真直ぐに目を合わせてくる。
「吟味役の貴公が、なぜそこまで身を危険に曝さねば…」
「誠之進」
右近は途中で遮ると、ちいさく首を左右にふった。これ以上、主膳の方針に異を唱えるなという意味か…。幼子を諌めるような目で右近が自分を見つめていた。誠之進は今度こそ返す言葉が見つからない。

 右近は静かでありながら、自信に満ちた口調で主膳と誠之進両方に語りかけた。
「…まず島崎屋の人となりを知ることですが。内藤殿と島崎屋の間に亀裂を生じさせる…試してみる価値はありましょう。今回の御用金の一件、利用させていただきます」

(右近…!)

 自信たっぷりに頭を下げる右近に、
「任せたぞ」
主膳が力強く首肯した。




 後味の悪さを噛みしめながら、誠之進は小書院を辞した。今の段階で自分が何を言おうと、父も右近も方針を換えそうにない。三郎ぎみ御分家の件も含めて、一度父と差し向いで話し合わねば、と思った。気の重いことだが、いつまでも避けて通るわけにもいくまい。

 誠之進は勘定方の御帳部屋に戻る右近と別れ、その足で信輝公の居室へ向かった。今日は藩校が休みで三郎は朝から父君のもとで過ごしている。誠之進はふたりの前では晴れやかな顔を見せていたかった。誠之進は途中、廊下の隅で深呼吸をして、気持を切り替えようとした。

 中奥の居室を訪なうと、茶坊主が殿と三郎ぎみは庭へ出られたという。この暑いのにいかなる酔狂かと、誠之進が訝りながらふたりの姿を探すと、信輝公と三郎は花の終った藤棚の木陰で涼んでいた。

 誠之進はしばしふたりの姿を遠目に眺めていた。仲睦まじく、静かに語りあう姿に心なごむものを感じる。 同時に、守役として三郎を託されながら「割りない仲」になってしまったこと…。ほろ苦い罪悪感が誠之進を捉えていた。

 無論、自分たちから打ち明けるつもりはない。だが、三郎ぎみを心から寵愛している信輝公のことだ。早晩息子の変化には気付くだろう。衆道の趣味はまったくない信輝公が、ふたりの関係をどう思うか…。黙って見逃してくださるか…、激怒なさるか…。


「誠之進!」
ぼんやりと己の思いに沈んでいた誠之進を、三郎が見つけて声を上げた。信輝公もお気付きになったようだ。誠之進は池の反対側にいるふたりに会釈すると、藤棚を目指して歩み寄った。縁台に腰かけたふたりの前で、誠之進は地面に片膝をついて礼をした。

「合議はもう終ったのか…?」
「はい…万一の凶作に備え、大事をとって、早場米の確保に動くことに決まりました」
「…それがよかろう。民が飢えては人心が荒廃し、世の中が不穏になる…」
信輝公は真剣な面持ちでうなずいた。
「御意…」
誠之進もおごそかに頷くと、信輝公の隣に腰掛ける三郎を見上げた。

 はにかむような微笑みが返ってくる。ごく自然に絡んだ優しい視線を、ふたりとも外せずにいた。

 三郎は口の端を上げて微笑むと、まだ頬にかすかなえくぼが浮ぶ。幼い頃の愛らしさを残しながらも、誠之進を見つめる瞳はしっとりと潤み…。

 頬に信輝公の視線を感じて、誠之進は我に返った。藩公の御前に控えながら、三郎との閨を思いだしてしまうとは。誠之進は己の度しがたさを恥じた。

「一雨…欲しいものだな」
信輝公は入道雲が広がる夏空を見上げて溜息をついた。
「去年は洪水、今年は下手をすれば旱魃…。天候不順は人智の及ぶものではないが…。わが藩は祟られておるのう…」
「殿…!」
「それもこれも、藩主に徳がないからか…」
「何を仰せになられます?!」
信輝公は目を伏せて薄く笑った。
「…誠之進、大名の生とはつまらぬものよな」
「殿…?」
思わずこぼれた信輝公の本音に、誠之進も三郎も息をのんだ。

「江戸と国許をいったりきたり…。意にそまぬ縁組…、わずらわしい城務め。優秀な家臣には恵まれておるが、心を許す友もおらぬ。身供など絵がなければ、息が詰まって病を得るか、乱心しておったかもしれぬな」
「父上…」
心配そうに見上げる三郎に、信輝公は疲れた笑みを浮かべて応えた。
「…案するな。『絵がなければ』と申したであろう? それに…」
信輝公は三郎の前髪のあたりをポンポンと軽く叩いた。
「身供にはおひろがおった。今は国へ戻れば、城にそなたがおる。…そなたの成長だけが身供の生き甲斐じゃ…」
三郎の黒目がちの瞳が信輝公をひたと見つめている。

 信輝公は何処か遠い目をして続けた。
「大名家の嫡子に生まれた運命とはいえ…、惣一郎も同じ苦労を引き継ぐことになるのだな…」
「殿……」
「されど、身供よりは如才ないところがあるゆえ…、田安の慶久様ともうまくやっておるようじゃ…案ずることもないやもしれぬ」

 三郎は黒い瞳を輝かせて、熱心に父の言葉を聞いていた。兄の話となるといつもそうだ。たったひとりの未だ見ぬ兄への興味が尽きないらしい。

(そうだ…一度お目にかかることができれば。惣一郎様はきっと三郎ぎみを気にいってくださる。多少軽薄なところはあるが、心根の優しい方ゆえ…)

 他の信頼のおける重臣にも、分家のことを内密に相談している誠之進だったが、案外、惣一郎に目通りするのが一番の早道かもしれぬ、と思い至った。

 ふと考えこんでしまった誠之進だったが、ふたたび信輝の声が聞こえてきた。
「そうじゃ、三郎。彼岸の頃にでも関川へ墓参に参ろうぞ。おひろと久右衛門の墓に花のひとつもたむけてやりたい…」
「おじじ様にも…?!」
三郎が嬉しそうに問い返した。
「誠之進、そなたも供をせよ」
「御意…」

 談笑する親子を微笑ましく眺めながらも、誠之進は獏とした不安に捕われていた。

 最初は夏場の旅の疲れかと思ったが、殿様御国入りからはや二週間。病というわけではないが、信輝公は体調がすぐれず、昼間も横になって身体を休めているときが多いという。今日は三郎が来ているので元気だが、茶坊主や小姓の話ではあまり食も進んでおられぬとか…。まさか重い病の予兆では、と誠之進の心に薄雲が広がる。

(まさか…殿はまだお若い。父上よりも年下ではないか…)

 そんなはずは、と己に言い聞かせながらも、信輝公の目元の隈やどことなく生気のない瞳が、目にとまってしまう。

(考えすぎだぞ…。殿は長旅でお疲れなのだ。…それに江戸表で何かと心労が重なったのだろう。国許で三郎ぎみと過ごされればすぐにお元気になられる!)

 誠之進は祈るような気持で藩主親子を見つめた。

「三郎…昼からは武芸の稽古か?」
「いえ、午後は…誠之進と釣にいきまする」
弾むような声で三郎が応えた。
「それはよい‥。たくさん釣れたら身供にもわけてくれ」
「もちろんにござりまする。父上にたんと召し上がっていただけますよう…な、誠之進!」
「ええ…」

 延石の小道の向こうから、小姓が中食の用意ができたことを告げにきた。舘へ戻ってゆく藩主親子の後ろに付き従いながら、誠之進はふたりの平穏な日々が末永く続くよう、心から願うのだった。


つづく


壁紙は『studio blue moon』さんからお借りしています。

 
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