五の巻「夏木立」1


この巻の主な登場人物


by 戸田采女


 明和二年、六月二十二日。
高山城下は一年ぶりの殿様お国入りで、 朝から賑わいを見せていた。
行列お出迎えの準備に追われる城内はもとより、上士から軽輩の家に至るまで、城下の武家屋敷では夫や息子の帰りを待ちわびる妻女や母の姿があった。

 譜代大名の参勤交代は六月。
入梅が江戸より若干遅い北国とはいえ、この時期の道中は天候に恵まれぬことが多い。
今年はそれでも運がよく、信濃のあたりで二、三日足留めをくった程度の遅れであった。

 朝から曇天のはっきりしない空模様だったが、昼を過ぎた頃、雲の合間から薄日がさし始めた。夏とはいえ、気温はそれほど高くなく、日陰に入れば肌寒さを感じた。

 本丸では側用人や小納戸衆、小姓たちが上へ下へと忙しく立ち働いていた。

 対照的に、藩主・三男、三郎信尭の暮らす西の丸では、静かに一日が始まった。

 大名家の子息としては異例のことながら、今年十三歳の三郎は、春から週に四日ほど藩校へ通っている。
 当初、三男とはいえ、若君が一般藩士の子弟と机を並べることに、藩士や子弟の間では戸惑いもあったが、持ち前の気取らない親しみ易さで、三郎はすぐに周囲に溶け込んだ。
藩士の子弟たちとともに学び、武芸に精を出す三郎の姿は、今では見なれた風景となっていた。

 今日は殿様お国入りとあって、授業は全て休講。

   三郎も西の丸の屋敷で、午前中はひとり書見に励んだ。 行列の到着は七ッ頃(午後四時)と聞いていたので、遅めの中食後、誠之進は乳母のお福に手伝わせて三郎の仕度を始めた。 
 若君といえども、普段はこざっぱりした木綿の着物を好む三郎だったが、今日ばかりは誠之進を始め、まわりの言うことを大人しく聞いて絹ものを身につけた。
 
 濃い緑の地色に控えめな金糸の織り出しのある上衣と、媚茶色の袴。
最初、お福には『そのような地味なお色…』とあまり良い顔をされなかったが、
三郎の肌理の細かい若々しい照りをもった頬の色つやを、沈んだ地色が見事にひきたてていた。
 数ある衣装の中から誠之進が直感で手にとった着物が、三郎のいくぶん黄味がかった象牙色の肌に、意外にもしっくりと馴染む色合いだった。

「まあ、若様ったら、こんな渋い色がよくお似合いですこと…」
気品すら感じさせる三郎の立ち姿に、お福は思わず感嘆の吐息をもらす。
自分が勧めようと手にとっていた、華麗だが深みに欠ける友禅の小袖にがっかりと視線を落とした。
 
 お福が少し気の毒ではあったが、三郎も文句を言わずに大人しく鏡をのぞいているところを見ると、誠之進の選択がまんざらでもないらしい。

 今夕、信輝公が重臣たちの挨拶を受ける際、三郎もしばらく同席せねばならぬだろう。
江戸から戻った重臣の中には今回始めて三郎に対面するものもいる。
 くだらぬ陰口は黙殺しているが、殿様と本陣の娘の間に生まれた三郎を、いまだに陰で『旅籠の息子』と軽んじる輩もいた。
 守役の誠之進としては、今日のような折りには、若君と呼ぶにふさわしい三郎の姿を、是が非でも連中に見せつけてやりたい気がするのだった。


 誠之進も小紋の裃姿に身仕度を整え、三郎と二人、書院でゆっくりと茶を喫していたことろへ、行列が城下に入ったとの知らせが届いた。

「では、本丸のほうへ参りましょうか…」

 穏やかに促す誠之進に、三郎が凛と口元を引き締めてうなずいた。




 高山城・本丸の三重櫓のてっぺんから城下を見下ろせば、街道をやってくる長い行列は、結城家の黒らしゃに中結紫の毛鑓が識別できるほど近くまで迫っていた。
 
 三郎は参勤行列を本陣『加賀屋』で暮らしていた頃に何度か見ている。
高山藩だけでなく、宿場を通る、加賀百万石の前田藩の行列を近くで見たこともあった。
しかし、三重櫓の上から十万石の格式の行列を、先頭から末尾まで一望のもとに見下ろすと、あまりの壮観さに三郎はしばし言葉を失った。
 
 まだ世の中を知らない三郎は、少年らしい素直さで行列の華麗さに興奮していた。
そのためにかかる莫大な費用、領民の負担を知って心を痛めるのは数年先のことである…。

 先頭が城門に達したのを見届けると、三郎は誠之進に促され、
一年ぶりに父、結城因幡守信輝に拝謁すべく御門内、三の丸の中庭へと向かった。




 白砂を敷き詰めた広大な中庭には、すでに家老や中老ら、重臣たちが顔を揃えていた。
守役・誠之進の父、上席家老の溝口主膳と並んで、次席家老の内藤帯刀、小栗蔵之助の姿も見える。
誠之進は軽く会釈すると、三郎とともに父、主膳の脇に立ち行列を待った。

 主膳は三郎の衣装が目にとまったのか、小声で誠之進に耳打ちした。
「品のよいお色じゃな…たいそうお似合いではないか。お福の見立てか?」
「いえ、私にござります」
「左様か?」
主膳は驚いたように目を見張り、
「其許にしては上出来じゃ」
と、笑いを噛み殺しつつ鷹揚に答えた。

「お誉めに預かりまして光栄にござります」
主膳に合わせて誠之進は冗談めかして答えたが、ちょうどその時、父の向こう隣に立つ内藤帯刀と目があった。

 北国の人間には珍しく、南方系かと思うほどの赤みかかった褐色の肌に、がっしりとして高い鼻梁。濃い眉に、常に相手を威嚇するような光りを放つ双眸。壮年の精力と覇気がみなぎっている。
 帯刀は少し肉厚の唇に薄ら笑いを浮かべて、誠之進と、その向こうの三郎を凝視していた。

(相変わらず嫌な男だ…)

 内藤帯刀は、最初自分の実弟、嶺次郎を三郎ぎみの守役にと推挙した。
藩主・信輝公の寵愛深い三郎を自分の陣営に取り込み、いずれは三郎を擁立して藩政を壟断しようという魂胆があったらしい。( 壱の巻1参照)

 しかし、守役の座をあっさりと誠之進に奪われ、面目を潰された内藤家では、以後、三郎に対して微妙な距離をとって接している。三郎が成人するまで模様眺めというところだろうか?

 誠之進は睨むでもなく、目を逸らすでもなく、やんわりと帯刀の視線を受け止め返すと、そのまま御門のほうを見やった。
 どうせあちらも自分のことを「可愛げのない若造め」と思っているだろう。
お互いさまだ。


 行列は順調に御門内に進んでいる。 

 毛鑓を掲げた奴たちを先頭に、足軽隊が続く。騎馬の先手鉄砲頭、先手弓頭、鑓奉行の後ろには奏者番の乗り物。さらに続いて、拝領馬、御長持の列。その後方に幾重にも警護の武士で囲まれた藩主の乗り物が見えてきた。

「殿様のお乗り物が門をくぐられましたよ」
「うむ」
うなずく三郎の頬がかすかにこわばった。
 毎年の儀式だ。
三郎は「もう慣れた」と笑うのだが、一年間、江戸と国元に離れて暮らした父に対面するとき、三郎はいつもあらたな緊張を覚えるようだった。
 お父上に対してではなく、殿様御国入りに伴う様々な儀礼が三郎を疲労させるのだろう。

 哀れとも思ったが、大名家に生まれ育った子息ならこなせて当然のこと。
誠之進が代わってやるわけにはいかぬ以上、心を鬼にして見守るしかなかった。


 行列は整然と進む。
やがて藩主のお乗り物が中庭中央に達すると、地上に降ろされた。
草履取りが履物をそろえるのを見届け、
「さ、お乗り物の側まで参りましょう」
誠之進は微笑んで三郎を促した。

 三郎と誠之進が乗り物に向かって進んでいくと、
百人を超える行列の武士たちが一斉に膝を折って頭を垂れた。
 
 この瞬間、三郎はいつもかすかな戸惑いを見せる。
まだ頬にえくぼの浮ぶ、子供らしい面ざしの頃は誠之進が手をひいてやったが、身の丈五尺二寸(約157cm)ほどになった今年はそうもいかない。

 誠之進は目立たぬよう三郎の背中にそっと手をあてた。

(あなたは若君なのですから、そのまま臆することなく顔を上げてお行きなさい)

 誠之進の励ましが伝わったのか、三郎が小さく頷いた。
きりっと面をあげ、尊大でも卑屈でもない毅然とした足取りで、両脇に家臣が跪く中、三郎は誠之進を従えて父の許へ向かった。




 乗り物から降り立った藩主因幡守信輝は、こちらへ向かってくる息子と守役の姿をすぐに認めた。
「おお、三郎か!」
普段大声を出さない殿様には珍しく、嬉しげに声を張り上げ両名を迎えた。
旅の疲れも一度に吹き飛んだといわんばかりの笑みである。
 
「父上、お久しゅうございます!」
懐かしげに父を見上げる三郎の横で、誠之進は藩主の前に跪いた。
「なんと、しばらく会わぬ間に急に背が伸びたのう?」
信輝公は感慨深げに溜息をもらした。
別れたとき、胸の高さくらいまでしかなかった息子の背が、今では自分の肩を越す勢いなのだ。
 
 面ざしも、この一年で愛らしい童子から、賢しげな眼の凛とした少年武士へ成長を遂げた。
自分が不在の間、愛息の養育に心をくだいてくれた守役を、信輝公は感謝を込めて見た。
「誠之進…」
「はい」
「身供の留守中、ご苦労であった」
「はっ」
「江戸から戻る度、健やかに成長する三郎を見るのが楽しみでな…それもこれも其許のおかげじゃ」
誠之進は頭を垂れたまま首を左右に振った。
「もったいなきお言葉にござります。私は何も格別のことは…」
信輝公は謙遜する誠之進に微笑みかけると、
「ほれ、いつまでもそのように膝をついておらずともよい。つもる話もあるゆえ、三郎ともども一緒に参るがよい」
と誠之進を促した。
「御意」
 信輝公は満足気にうなずくと、息子の肩に親しげに手を回し、本丸へ向かって歩きだした。


 誠之進もすぐさま立ち上がって二人の後に続こうとした。
その時であった。


「守役どの…」
背後で楽の音のような呟きが聞こえた。
思わず足をとめ、肩ごしに振り返る。

 お乗り物の前方に控える、供頭の一人が、笠の下から嫣然と誠之進に微笑みかけた。

 誠之進の端正な顔に、驚きと懐かしさがないまぜになった笑みが広がった。
行列のどこかにいるとは思っていたが、まさか殿様のお乗り物に付き添っていたとは…。

 誠之進は殿や三郎に非礼かとは思ったが、矢もたてもたまらず、きびすを返して友のもとへ歩みよった。

「右近…!」
「誠之進……。相変わらずだな」
紐を解き笠を外した櫻田右近が、雲間からさす夏の光りに眩しげに目を細めた。

 ほぼ四年ぶりであった。
かける言葉は山程あるはずだが、不意打ちのような再会に、誠之進は惚けたように右近の前に立ち尽くしている。




 去年の秋頃から便りが途絶えがちだった。

 主の惣一郎様とはうまくやっているのだろうか?
政治向きの話で一度御機嫌をそこねた田安の慶久様が、事あるごとに辛くあたるのではないか?
遠く離れて暮らしていると、心配の種はつきなかった。

 確かに三郎ぎみの養育に追われて、自分も近頃まめ文を送ったとは言い難いが、どんなに忙しくとも折にふれて右近のことがふと頭をよぎった。
 決して忘れていたわけではない…。

 四年ぶりに会いまみえた友は、以前と変わらぬ親しさで誠之進を迎えた。
年月は右近から甘やかな少年の面影を奪いとっていたが、
柔弱さとは縁のない、青年期のより研ぎすまされた硬質な美しさに、誠之進はあらためて瞠目した。

(まったく…。斯様に美麗な男がいては、女子が気の毒というものだ…)


 誠之進の独白が聞こえたかのように、右近がふわりと目元を和ませた。

「ほれ、誠之進。殿と三郎ぎみがこちらを伺っておられるぞ。早う参れ」
自分が声をかけておいてその言い種はないだろう、と誠之進は苦笑したが、
「すまぬ。後で貴公の屋敷に必ず遣いをやるからな!待っていてくれ」
「ああ」
右近が口元に優しげな笑みを浮かべて頷いた。




 久方ぶりの友との再会にいまだ興奮覚めやらぬまま、誠之進は先をゆく信輝公と三郎に早足で追い付いた。

「…いかがした、誠之進?」
三郎の濡れたような黒い眸が、ひたと誠之進を見つめた。

「申し訳ござりませぬ。お乗り物の側に古い友人がおりまして、思わず懐かしさから声をかけてしまいました…」
白砂を踏みしめながら隣を歩く信輝公が破顔した。
「どうじゃ、誠之進、びっくりしたろう?」
「は?」
「右近をあそこにつけておいたのは、私のそなたへの土産じゃ」
「殿…」
「そなたたち、かれこれ四年ぶりではないのか?」
「仰せの通りにございます。……光陰矢のごとしにござりますな」
「竹馬の友との再会じゃ。嬉しかろう」
「殿にはかないませぬ…」
誠之進は苦笑した。

「主膳からも右近を一度国許へ帰してやってくれと頼まれていたのだが…惣一郎がなかなかうんと言わなくてな。いつのまにか四年もたってしもうた…」
「殿のお心づかい、痛みいります…。櫻田の御母堂もお喜びでしょう」
にこやかに語り合う誠之進と信輝公の横で、三郎はひとり無言で俯いていた。

「三郎ぎみ?」
どうなされたかと声をかけたが、三郎は誠之進を一瞥しただけで、
「なんでもない」
と硬い笑みで答えた。

 何処となく三郎が不機嫌なのは見てとれた。
だが、久方ぶりの友との再会に浮き立っていた誠之進は、揺れる眸が何を訴えていたのか、察してやることができなかった…。


つづく



壁紙は『月楼迷宮』さんからお借りしています。

 
薫風2|夏木立2

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