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覚醒はゆっくり訪れた。
重い瞼を開けると、舟底天井の木目がぼんやり歪んで見えた。
何処かに寝かされているらしい。
力なく投げ出した手には、何かつるりとした手触りの布が触れた。
意識は徐々に蘇ってくるものの、相変わらず四肢は鉛のように重い。
なぜこのような所で横になっているのだろう…
確か、天満屋の寮を訪ね…、証文を見せられて…、
茶をすすめられた…。
「…まさか。一服もられたか……?!
ようやく周囲の物音がかすかに耳に入ってきた。
少なくとも二、三人の気配がする。
『おや、そろそろ気がつかれたようだ』
天満屋の声を聞き付け、声のする方向へ首を傾けて見た。
「天満屋…これは…一体…何の真似だ…」
切れ切れだが一応声は出た。
天満屋が右近の側へにじり寄ってくる。
「御気分はいかがですか?」
猫撫で声に右近の耳元に顔を近づけた。
「…何の真似かと…聞いておる」
「ですから、先程も申し上げたように…、惣一郎様の借財返済のため、御用人様にひと肌脱いでいただくのですよ…」
「何…?」
首だけ傾ると、右近の視界に紅い絹夜具が入ってきた。
思わず目を見開く。
いかがわしい夜具の上に寝かされていることに、ここへきてようやく気付いた。
慌てて起き上がろうともがいたが、身体がまったくいうことをきかない。
「…きさま、斯様な真似をして…ただで済むと思うのか…?!」
威嚇したくとも、喉がかすれて思うように声がでない。
天満屋は余裕の笑みすら浮かべている。
「これはこれは物騒な。手前どもは、御用人様に危害を加えるつもりは、毛頭ございません」
「ならば…なぜこのような!」
「…絵姿(モデル)になっていただくだけにございます」
右近の頬が一瞬にしてこわばった。
「何を‥たわけたことを…」
頭から血の気がひき、吐き気がこみあげてくる。
かかる事態で絵姿とくれば…。
「ここに控えおるは、瑛泉と申す絵師にございます」
天満屋が肩ごしに振り返った。
そちらの方向へ目を凝らすと、部屋の隅に画帳を抱えて胡座をかく町人がいた。
右近と目が合うと、唇の端を吊り上げて不敵に笑った。
「瑛泉は今売り出し中の若手でしてね…。ですが何ぶん、枕絵は初めてなもので、絵姿がないと絡みがかけぬと申すのです」
「ふ…ふざけるな!」
「しかし御用人様、本日の下絵をもとに、瑛泉めが意匠を凝らして十二枚の組み物を描きますれば、肉筆原画なら最低でも一枚あたり五十両、うまくいけば百両の値がつきまする…」
「…きさま!」
「そうお怒りになりますな…。借財を返すにはてっとり早い方法でございましょ?」
身体さえ動けば叩きのめしてやりたいものを、腕一本すらあがりそうにない。
右近は気力だけで天満屋を睨み返した。
天満屋は言葉を失う右近を見下ろし、くすぐるような声音で囁いた。
「おひとりではお寂しかろうと思いまして…お相手を用意させていただきました」
天満屋が手を叩くと、続きの間の襖が開いた。
「これへ」
手代に連れられた男が奥の間から姿を現わした。
長身で均整のとれた身体つきの、着流し姿の牢人者だった。
(お、お手前は?!)
声にならない声で叫んだ右近に、天満屋がしてやったりと微笑んだ。
「…おお、やはり御用人様好みの顔でありましたか…。手前どもの人選もまんざらではなかったようですな…。さすが、御前のおっしゃることに間違いはない…」
***
右近と牢人者は目を合わせた瞬間、お互いこれ以上はないというほど、眼を見開いた。
一間の距離を挟んで、ふたりは呆然と顔を見合わせている。
やがて、牢人者が畳にがくりと片膝をついた。
「お、お手前は…あの時の…」(七の巻1参照)
「……、く、日下殿?!」
「…斯様なところでお会いするとは…」
日下は眉を寄せ、いたたまれぬように目を逸らした。
「おや、お知り合いでしたのか? それは寄寓で…」
意外な展開に天満屋が面白そうに目を輝かせた。
(しかし、日下殿、その格好はどうなされたのだ?)
今年の春、花見の宵に蕎麦の屋台で娘連れの日下と出会った。
誠之進に瓜二つの容貌に驚き、思わずまじまじと見つめてしまった。
やがて我にかえった右近は非礼を詫び、日下親子と同席し、蕎麦をたぐりながら世間話をした。
その時はきちんと月代を剃り、中岡藩上屋敷の右筆だと名乗っていたではないか…。
右近はしばし己の置かれた状況を忘れ、日下の変化を訝った。
お互いの目の奥をさぐり合うように、二人はしばし見つめあった。
「櫻田殿…恥ずかしながら、見ての通り、某はただいま浪々の身…」
(中岡藩に何かあったのだろうか…)
右近は自分の知る記憶を辿ろうとしたが、この状況でまともに頭が働くわけもなかった。
「…斯様な下劣な企てにのったも…全ては金のためでござる…」
「日下殿…」
「…お手前には誠に気の毒だが、ここはどうかお力添えを願いたい」
誠之進のような鳶色ではなかったが、よく似た瞳で懇願され、右近はうろたえた。
「なにを…申される?」
苦渋に満ちた眼差しで、日下は右近を見つめた。
「妻の…薬代がいるのだ。頼む…!」
自分でもふんぎりをつけるように叫ぶと、日下は右近の枕元ににじり寄り、小袖の襟に手をかけた。
(な、何をする…?!)
一気に胸をはだけられ、右近はかすれた声で懸命に叫んだ。
「く、日下殿、気でも…ふれられたか?!」
薬で四肢の自由を奪われ、口も満足にきけない。
あっという間に小袖の前ははだけれられ、袴の紐も解かれて足から引き抜くように脱がされた。
(日下殿は…本気だ!)
屈辱で目眩がしそうだ。
喉がからからに干上がっている。
右近は相手の翻意を促そうと、気力を振り絞って腹に力を込めた。
「日下殿!このようなお振るまい、奥方や娘御に恥ずかしくはないのか?!」
痛いところを突かれて一瞬日下の手が止まった。
「…櫻田殿。妻は…心の臓の病で…ずっと高い薬を飲んでおる。中岡藩の禄を食んでいた頃から、すでに我が家は借財まみれ…」
右近は返す言葉もなかった。
嫌な予感にかられて天満屋をみやると、薄笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「おのれ…天満屋」
「そのような恐いお顔で睨まれても…。手前どもは親切で金子を御用立てしたまで。薬を買う金がなければ、日下様の奥方はとっくにあの世へ行っておられますよ…」
「だまれ、外道!」
「櫻田殿…。恥をしのんでお願いつかまつる。某がこれを断れば、美和が吉原へ売られるのだ…。後生じゃ、力をお貸しくだされ…」
震える声で日下は右近に頭を下げた。
誠之進によく似た目元に涙が滲んでいた。
右近は絶句した。
日下はもはや一言もしゃべらず、呆然とする右近に再び手を伸ばしてきた。
帯に手をかけられたところで、右近は日下の手を引き剥がそうともがいた。
しかし、袂から伸びた右近の白い腕は、相手の逞しい前腕に縋るように添えられたにすぎない。あっけなく振り払われ、絹夜具の上に軽い音をたてて落ちた。
帯が鳴る。かすれた音が室内に響いた。
(う、腕の一本すら動かせぬとは…!)
意識があるのがかえって残酷だった。
身体は鉛のように重いのに、感覚だけは逆に研ぎすまされていくようだ。
やがて帯が取り去られ、着物の前がはだけられた。
日下が右近の背と敷布の間に腕を差し入れて、軽く抱き起こした。
右近は弱々しく相手の胸に腕をつっぱったが、結局為す術もなく、人形のように、そのまま背中から着物を剥ぎ取られた。
下帯ひとつのあられもない姿で、右近は紅い絹夜具の上に横たえられた。
「ほう…」
先程から天満屋の後ろに控えていた、五十がらみの町人が溜息をついた。
「これが男の肌とは思えませぬな…」
「…滅多にお目にかかれぬ代物でございましょう?」
(こやつら…後で全員たたき斬ってやる!)
右近はふつふつと沸き上がる怒りに唇を震わせていた。
静まりかえった部屋の中、誰のものかわからぬ息使いだけが聞こえる。
「御用人様…」
再び天満屋が右近の枕もとに寄ってきた。
「肉筆原画の他には、部数を限って摺物を出す予定でおります」
「……何だと?!」
「…いえね、美男同士の絡んだ図は、若道好きの御大名、御旗本に始まり、大奥でも引く手あまたなのでございますよ…」
右近の双眸に狼狽の色が浮んだ。
「ご心配なさらずとも…この絵が大量に出回るようなことはございませぬ。限定版として値をつり上げますので…」
唇を震わせて睨みあげる右近を、天満屋はうっとりと見つめた。
「御用人様の艶姿、皆様それはそれは大切に隠し持って、末代までも家宝にしてくださるでしょう…」
猥らな笑いを浮かべた天満屋が、絵師のほうへ振り返った。
「瑛泉さん、さあ存分に腕をふるってくだされ…」
つづく
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