「父上に…謀られたか」
信輝公が退出し、重臣達も全員引き上げた。誠之進は衝撃のあまりその場を動けずにいる。人気のなくなった大書院で、誠之進は苦い思いを噛みしめていた。
三郎の本田家との養子縁組。今日、初めて聞いた。江戸から使者が来たことすら、自分には知らされていなかった。
使者が来たのはいったいいつの話だ?
弥生に入ってから、父の命で知行地の視察にいかされた。用水路の普請現場を見て回ったり、父の名代として今町にも永代渡海免許の件で出向かねばならなかった。無論、それらは大事な用件だったが、父はもしや私を遠ざけて、その間に殿と三郎ぎみ養子の話を煮詰めようとしていたのか?
(それに…三郎ぎみは御存知なのだろうか?
御存知だとすれば、なぜ私に話してくださらなかったのだ?)
思考は堂々回りで、誠之進は混乱するばかりだった。
(これ以上ここにいても埒があかぬ。まずは三郎ぎみとお話せねば…)
誠之進はようやく立ち上がると廊下へ出た。庭先から雨露に濡れた草の匂いが漂ってくる。 煙のような小雨の中、誠之進は重い心をひきずりながら本丸を後にした。
*
西の丸へ戻ると、ちょうど八つ(午後二時)を知らせる時の鐘が聞こえた。三郎はまだ藩校で授業を受けている時刻だ。警護の倫太郎、側仕えの源蔵や剣術指南の吉田小兵太も、三郎とともに藩校へ出かけている。主人不在の屋敷では、使用人たちがのんびりと各々の仕事に励んでいた。
誠之進は屋敷に戻るなり、離れの自室にひきこもった。
玄関で出迎えた女中に聞いたのか、ほどなくして三郎の乳母、お福が茶菓子を持って現れた。
「誠之進様、おかえりなさいませ。ちょうどぼたもちが出来ましたゆえ、お持ちいたしました。今日はことのほか餡もよく煮えて…」
「菓子など食べとうない!…しばらくひとりにしてくれ」
嬉しそうに報告するお福を、誠之進は言葉少なに退けた。
「え…」
お福は意外そうに目を見開いた。
お福にあたるのは筋違いだ。わかっていても、つい刺々しい物言いになってしまう。
「…左様にござりますか? では三郎ぎみがお戻りになられてからご一緒に…」
ひりついた空気を感じたのか、お福はそれだけ言い残すと、しおしおと離れを後にした。
*
「いかが…なされたのだろう」
誠之進があそこま不機嫌を露にすることは珍しい。お福はいぶかりながらも、とりあえず茶とぼたもちを持って母屋へひき返した。
台所に戻って、おもわず溜息をもらしていると、
「お福さま! お玄関に…お客人が!」
若い女中の『さと』が、まろぶように台所へ駆け込んで来た。
「はて、今日は特に来客があるなど聞いておりませぬが…」
訝るお福に、さとはでっぷり肥えた身体で大きな息を吸い込むと、
「い、いえ、ごちゅうろうの、ほり、はやとのじょうさまと、名乗られました!」
言い間違えぬよう細心の注意を払いながら、大声で答えた。
(三郎ぎみの「女中の採用基準」を知りたい人はここをクリック)
西の丸は城の一部とはいえ、小じんまりした作りで使用人もそれほど多くはない。三郎を中心に二十人程度のものが家族のように暮らしている。まだ元服前の三郎が主人なので、来客といっても学友が遊びにくるか、誠之進が知己を招くくらいである。事前の知らせもなく、誠之進の父、溝口主膳以外の重臣がいきなり屋敷を訪うなど、滅多にあることではない。
(やはりお城で何ぞあったのですね…)
「私が参りましょう…」
いずれにせよお福が出て取次がねばなるまい。ふつふつと胸の泡立つのを感じながら、お福は摺り足で玄関へと向かった。
*
「あのお…誠之進さま」
ふたたび次の間からお福の声がした。
「しつこいぞ、お福。ぼたもちは要らぬと申した一」
うんざりしたように答える誠之進に、
「そうではありませぬ!」
襖の向こうから、お福がぴしりとやり返した。
「お玄関に堀隼人丞様がお見えです」
「なに?!」
誠之進はやおら立ち上って歩み寄ると、襖を勢いよく開けた。
お福は畳に手をついて軽く一礼した。
「誠之進様に至急お目にかかりたいとの仰せ。こちらへお通ししてもよろしいでしょうか?」
見上げるお福に、誠之進は驚きながらも一つ返事で承諾した。
*
堀を離れに案内し、茶だけ出すとお福は早々に引き下がった。切羽詰まった空気を読んだお福は、使用人たちにしばらく離れに近付かぬよう命じた。
堀が西の丸を訪なうのは、これが二度目だった。
「藤十郎殿…ようお越しくださった」
「誠之進…」
堀を上座に座らせ、誠之進は敬愛する先輩と正面から向き合った。
「用向きは…わかっておろう。大書院での話の続きじゃ…」
「はい…先程はありがとうございました」
堀には最前から三郎の分家の件で相談している。誠之進の心情を慮っての先程の堀の行動、誠之進は心の中で手を合わせていた。
「礼を言われるような話ではない。養子先の聞き合わせは家臣団として当然のこと。大体、岩田のような輩が留守居役を勤めているのが間違いじゃ…あんな男には任せておけぬ。どうせお牧の方様や田安殿の言いなりに決まっておる」
誠之進は黙って堀の言葉を聞いていた。
「ところで本田家の話、守役の貴公が事前に知らされておらなんだのか?」
「はい…」
誠之進は低く呟いてうなだれた。
「おそらく父は本田家との縁組、早々にまとめてしまいたいのでしょう。使者が来たのが弥生の初めと聞きますが、以来、先日の桜狩まで、父は私に視察を命じ、城から遠ざけていたように思えます…」
「ふむ…」
堀は即座に否定せず、腕組みをして黙りこんだ。今のひとことは、おそらく真実を言い当てているのだろう。
「三郎ぎみも…私が滅多に屋敷におらなんだせいか、この件については一言も…」
今思えば、桜狩で山屋敷に泊まった時も、殿と三郎ぎみの間でお話しがあったはずだ。親子水入らず、離れで休めるようにと、主膳がわざわざお膳立てしていたほどだ。だが、あの後も、三郎は誠之進に養子の件をひとことも語っていない。
(何ゆえ…お話くださりませなんだ…、三郎ぎみ!)
唇をかむ誠之進を前に、堀が小さく呟いた。
「なるほど…」
つんぼ桟敷きに置かれた守役を気の毒に思うのか。堀は哀れむような眼差しで誠之進を見ていた。
会話はそこで一旦途切れた。
堀は黙ってふた口ほど茶を喫すると、居住まいを正しておもむろに切り出した。
「ところで誠之進、本日は、貴公にもうひとつ大事な話があって参った…」
静かでありながら堀の声はどこか固い。
「藩校時代に戻ったつもりで忌憚なく物を言わせてもらう。貴公も包み隠さず正直に答えてほしい…」
「は…い」
(藤十郎殿はいったい何を…? 私を訪ねてきた真の目的はこちらなのか?)
誠之進の胸にある予感が走った。
堀は懐に手を入れると、
「今、重臣たちの間で斯様なものが流れておる…」
巻き紙のようなものを取り出した。
そのまま無言で誠之進の前に差し出す。誠之進はいぶかりながらも両手で受けとり、中を開いた。
文面を読み進むうち、誠之進の顔からみるみる血の気が失せた。
『あろうことか、守役殿は三郎ぎみと割りない仲になっている。守役殿が三郎ぎみの養子に反対するのは他でもない。契りを結んだ若君を手放したくない一心からだ。そのうち三郎ぎみ可愛さのあまり、三郎ぎみを藩主になどとけしからぬ気を起こすやもしれぬ。若君を己の劣情で汚すような男が、次期筆頭家老とは笑止。良識ある中老の堀様はまことにそれでよろしいのか?』
(おのれ…っ、内藤の仕業か!)
出所は知れたこと。政敵の内藤帯刀だ。誠之進は帯刀に三郎との関係を知られていた。いずれこれをねたに揺さぶりをかけてくるだろうと…、覚悟はしていたつもりだ。なれど、敬愛する堀から下劣きわまる怪文書を突きつけられ、誠之進は激しく動揺した。
「ここに書いてあることは…まことか?」
喉がからからに干上がって、誠之進は声も出ない。
「誠之進、誓って他言はせぬ。貴公と私の仲だ。信じてまことのことを打ち明けてほしい…」
「藤十郎殿…っ」
誠之進は己の膝の上で紙切れを握り潰していた。
奥歯を噛みしめたまま俯いていると、
「…否定はせぬのだな」
決して詰るわけではない、穏やかな口調で堀が問いかけた。
誠之進は堀と目を合わせられぬまま、観念したようにうなずいた。
「左様か…」
諦めか軽蔑か。堀の溜息がどちらなのか、追い詰められた誠之進には推しはかる余裕すらない。
つづく
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