五の巻
「叢雲」3




by 戸田采女

 「困ったことをしてくれたのう…」

 誠之進はいたたまれぬように目を伏せた。堀のひとことに、親友の右近に突き付けられた言葉が蘇る。

 『お育てした若君と契るなど…情けのうて涙も出ぬわ』

 あの日の一幕は、錐のような鋭さで再び誠之進の胸を抉った。(下弦の月「寒露」3

 生涯の友と信じた右近が、誠之進の前から歩み去った。
『もはや貴公の力にはなれぬ…』
右近の淡々としながらも悲し気な声音が、今も耳の奥に残っている。

 (これでまたひとり、友を失うのか…)

 誠之進が苦い覚悟を決めかけたときだった。

 「その投げ文を見たとき…まさかと思った。まことなら、けしからぬと思った」
誠之進は首を垂れたまま、正論を吐く堀の前にひとこともなかった。
まっすぐに誠之進を見据える堀の視線が痛い。

 次は怒号が飛ぶかと身構えたが、
「なれど、三郎ぎみと貴公の仲睦まじい姿を見ていると、不思議と納得する部分もあってな…」
溜息のような堀の声音に、誠之進はふと面をあげた。
「たしかに、立場上、ほめられた行いではない」
「は…い」
誠之進はふたたび目を伏せた。
「が、惚れてしまえば、左様なことも言うておれぬ…」
「藤十郎殿…」
「私も妙(堀の正妻)をもらう時は苦労した…」
遠い目などしてみせる堀に、誠之進は少しだけ肩の力を抜いた。

 「いつからだ?」
「ちょうど昨年の…今頃でしたでしょうか…」
柄にもなく、誠之進は頬を赤らめて答えた。
「なるほど…」
と、うなずかれても、誠之進はどう返してよいかわからない。
契った時、三郎は十五歳だった。早ければ元服する年令である。年端もいかぬ子供に手を出したわけではなし…。三郎ぎみから恋を打ち明けられれば、余程の聖人でもない限り、だれが踏み止まることなどできよう?

 口に出して言うつもりはなかったが、誠之進の胸中には堀への言い訳が泉のように湧きでていた。

 沈黙にもそろそろ耐えかねたころ、
「三郎ぎみは……昔から貴公一筋であったな」
堀が声に笑いを滲ませて言った。
「は…?」
「誠之進、誠之進、と呼ばわりながら、ご城内を駆け回っておられた…」
「と、藤十郎殿!」
堀は破顔すると、
「夜も日も明けぬとは、ああいうことを言うのじゃな」
今度は明るい笑い声をたてた。
「藤十郎殿、お、おからかい下さいますな!」
誠之進は子供時代の三郎を思いだし、愛らしさに頬が緩む一方で、堀に斯様な言い方をされては何やらいたたまれない。
誠之進が困り果てていると、
「…慕わしい気持ちが、いつしか恋心にかわったか…」
急にしんみりした声音で堀が引き取った。


 誠之進は再び瞼を閉ざし、胸の奥から息を吐き出した。
「私も…です。愛しい、可愛いと慈しみ、お守りしてきた気持ちが、いつしか…」

 身も心もひとつになりたいと…。

 「ひとえに…私の不徳のいたすところにはござりますが…」
誠之進は一度言葉を切って、
「若のお幸せを願う心は、今も昔も同じにござる」
「うむ…」
「故郷で暮らしたいという望みを叶えてさしあげたい。藩主になどと大それたこと、若もゆめゆめお望みではありませぬ」

 堀はうなずくと、穏やかな声音で続けた。
「貴公の心はよう分かった」
誠之進は堀をひたと見つめた。
「…好きあって契ったのなら、その想いは誰に責められるものでもなかろう」
「藤十郎殿っ…」
「表だって庇立てできぬが、それはそれ。貴公とはこれまで通り、昵懇にさせていただく」
「…か、かたじけのう存じます」

 誠之進は声が震えそうになるのを懸命に堪えた。

 父・主膳は最前から三郎は養子にいくべきと主張し、分家には反対している。内藤帯刀失脚後、重臣たちは皆、父の顔色を伺っているといっても過言ではない。皮肉なことに、三郎ぎみ分家を実現させるにあたり、誠之進の父、溝口主膳が大きな壁となっていた。

 二人を見守ってくれる吉田小兵太やお福、源蔵など、屋敷内には味方がいるものの、城中では下手をすれば四面楚歌だ。そんな中、堀のひとことは値千金だった。

 「だがな、誠之進。この怪文書。溝口家をのぞく、重臣の屋敷すべてに届いておるぞ」
「な、何ですと?!」
堀は一転して険しい眼差しでうなずいた。
「皆、息を詰めて貴公の出方をうかがっている」
「私の…?」
「いかにも」

 「今、本田家との縁組に反対し、貴公が下手に騒げば命取りになるぞ」
「なれど、このまま何もせず手をこまねいていては、三郎ぎみは?!」
咳き込むように尋ねた誠之進に、
「落ち着け! 誠之進」
堀が一喝した。

 「私に考えがある」
すがるように見上げる誠之進に、堀がうなずいてみせた。
「田安様やお牧の方様のお声がかりというのが、如何にもきな臭い。隠居なすった堀田様に照会して、本田家の素行や横川藩の内情について、もう少し詳しく探ってみようとおもう」
誠之進は思わず息を呑んだ。
「堀田様に…でござりますか」

 前留守居役の堀田又左衛門は数年前に隠居して、小石川のほうで菊を作って暮らしている。誠之進も江戸詰めの頃世話になり、国許へ帰ってからも、時々手紙のやりとりはしていた。諸藩との付き合いをこなしながら、岩田のような俗臭にまみれない、慈愛に満ちた高潔な人柄だった。

 「堀田様になら…安んじてお任せできまする」
堀は力強くうなずくと、
「ともかく誠之進。今、下手に騒ぎ立ててはならぬぞ」
「…心得ました」
「堀田様からの返書が届くまで、貴公は沈黙を守ったほうがよい。今、分家の話など、もってのほかじゃ」

 誠之進は唇をかんだ。下劣な怪文書のおかげで、この一大事に行動を制約されるとは…。いや、もしかすると内藤とお牧の方が示し合わせて事に及んだのかもしれない。

 内藤帯刀は謹慎が解けたのち、海商・島崎屋の船で上方へ旅に出たという。江戸まで足を伸ばしていても不思議ではない。本人が国許を離れていても、おそらくは例の忍びを中心に部下が暗躍しているのだろう。

 やはり切腹にまで追い込んでおくべきだった…。

 昨年、一昨年と続いた天候不順による飢饉が、内藤帯刀に味方した。人の力の及ばぬこととはいえ、藩金流用と密貿易の疑いで内藤を追い詰めながら、結局のところ、藩は内藤に大きな借りをつくり、土壇場で処分を甘くせざるを得なくなった。(詳しい話は「下弦の月」第四部で)


 「まずは一日も早う、堀田様に本田家についてお調べいただくことじゃ。これより屋敷に戻って書状をしたためるゆえ…」
「かたじけのうござります…」
「私の勘だが、この養子縁組、十中八九何か裏がある。…まことに恐れおおいことながら、私はお牧の方様のお人柄がどうにも信用できぬのだ。江戸詰めの頃に、色々見聞きし過ぎてしまったゆえ…」
「それは…」
「お方様のおひろ様への恨みは尋常ではないぞ。もはや昔のことではないかとたかをくくっていると、酷い目にあいそうじゃ」
  何と答えてよいか戸惑う誠之進に、
「おそらく叩けば何か埃が出る。堀田様とのやりとりは私が内密に行う。何か由々しきことが発覚すれば、重臣会議にかける前に、私からまず殿にご報告いたそう」
堀は静かに言い切った。

 「藤十郎殿…」

 誠之進は堀の言葉から、懸命にその真意を探ろうとしていた。本田家との縁組の裏に、三郎に対する悪意が働いていないかどうかを探り出す。ここまでは誠之進と堀の考えは一致している。

 されど、もし堀の心配が杞憂におわり、本田家に何の問題もなかったとき、堀はもはや分家には賛成せず、養子縁組をすすめる側にまわってしまうのだろうか?

 誠之進は今、そこまで問いただす勇気がなかった。

 「誠之進、今一度申しておくが…」
再び口を開いた堀を、誠之進はひたと見た。
「貴公らが契りおうたなどと、世間にたいして断じて認めてはならぬぞ」

 「しらを‥切り通せと」

 「いかにも。貴公が認めてしまっては、今後貴公が何をいっても、三郎ぎみの色香に迷った大うつけの世迷い言と、失笑を買うだけだぞ」

 堀の諫言はいちいちもっともだった。自分の軽率な行動で、三郎の立場を悪くしては元も子もない。

 「貴公の三郎ぎみへの想いはようわかった。私人としての堀藤十郎は貴公らを見守ってやりたい気持もある。なれど、中老のひとりとしては、見てみぬふりはできてもそれ以上の後押しはできぬ」
「それは重々承知しております…」
「貴公の『忠義』の動機を疑われては、分家の話など誰ひとり賛同してくれぬぞ」
誠之進は無言で頭を垂れた。

 「怪文書の送り主につけこまれぬよう、くれぐれも身を慎むように」

 (今、誰かに三郎ぎみとの逢瀬をみられたら、終わりだということか…)

 「お言葉…肝に命じておきまする」
誠之進は奥歯をかみしめ、堀の前に平伏した。


つづく


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壁紙は『十五夜』さんからお借りしています。


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