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NOTE
決戦前夜・2 2010/02/21

 冬の空はしんと澄み渡っていて、オリオン座がひどく近くに見えた。白い吐息が夜空に溶けてゆく。
「早くセンター終わんねーかな。めんどくせー」
急ぎ足の篤の後ろに続く祐希が文句を言う。センター模試では全国でも上位に位置する祐希にとっては、センター試験は単なる前哨戦に過ぎないだろう。
「お前には緊張するとかいうデリカシーはないのかよ」
「そういう時には『sensitive』使えよ受験生」
ムッとして黙りこくった篤に並んで、祐希は人の悪い笑みをひらめかせた。
「……お前なんか明日、寝坊しろ」
 昔から祐希には絶対に口では敵わないのだ。捨て台詞を投げつけて、篤は祐希を追い抜くように早歩きを始める。
 篤たちが通う高校は、二人が通った公立中学の隣の校区にあった。歩いて20分程の距離。県内では上位の進学校だったが、自由な校風を気に入っていた。センター試験が終わってしまえば仮卒期間。
 お互いに部活を引退してから、何故か祐希は学校帰りに篤についてまわることが増えた。放課後には友人と教室で馬鹿話をしている風情なのに、篤が校門を出る時には必ず後を追いかけてきた。あまりの素行の悪さに怒って、しばらく口をきかないと怒鳴りつけた翌日にも、けろりとした顔でついて来た。
 そんな日々も、おそらくもうすぐ終わるのだろう。多少なりともセンチメンタルな気分になるかと思ったのに、こいつは相変わらずこんな感じだ。
 どすどすと地面を踏み鳴らしながら、篤は無言で家路を急ぐ。昔よく遊んでいた、小さな公園に差し掛かった。
「篤!」
これまでに聞いたことのないような切羽詰った声が、背後から聞こえた。
 振り返ろうとする篤の左腕が、大きな手で掴まれる。
「……なんだよ」
公園の切れかかったライトにぼんやりと照らされた祐希の表情には、これまでに篤が見たことのない……反論を許さない切実さがあった。
「ちょっと、いいか」
 祐希はしかし、篤に答える猶予を与えなかった。有無を言わさず、誰もいない公園の中央、円形のベンチのある方向に引きずられる。
「……だから、なんだよ!」
 祐希の考える事がわからない。篤が声を荒らげるのにも全く動じない。良くも悪くも、篤の事を知り尽くしているのだ、この幼馴染は。
 ベンチに押し付けられるようにして無理矢理座らされる。祐希はただ無言だった。その顔には何の表情も浮かんでいない。
 不意に篤の視界がぼやけた。
 「眼鏡返せよ……何してんだお前!」
 祐希が何をしたいのかがわからない。遠ざかろうとする祐希の袖を掴んで、眼鏡を取り返そうとした時。
「……ぶはっ」
 祐希が盛大に吹き出した。
「……は?!」
 何が何だかわからない。こいつ、何したいんだ。
「おもしれー!!」
 しゃがみこみ、肩を震わせて笑っているらしい祐希の姿が、かなり視力の悪い篤にはぼんやりとしか見えない。
「……なんで笑ってんだお前。勉強出来すぎるとおかしくなるのか?」
 篤の質問に答えることもせず、祐希は長い体を丸めてひたすら笑っている。
「意味わかんね。寒いから帰る。……眼鏡返せ」
 真面目に考えるだけバカバカしいのかもしれない。さっさと帰ろう。そう決めて篤が立ち上がった時だった。
 しゃがみこんだままの祐希が、篤を見上げて、言う。
「なあ、篤、俺と付き合ってみる?」

決戦前夜・1<オリジナル> 2010/02/19

 明日からセンター試験が始まる。
 仲西篤(なかにし・あつし)は午前中には授業が終わったけれど、何となく落ち着かずに学校の図書館で自習をし、
顔を上げたら窓から見える外の景色が真っ暗になっていることにようやく気がついた。
 図書館は6時までだ。辺りの様子を伺うと、司書の先生がガタガタと派手な音を立ててカウンターの片付けをしていた。
 ……しまった。
 集中するといつも周りの事が見えなくなってしまう。慌てて広げた勉強道具を3年間使い続けて薄汚れてきたバッグに詰め込み、
図書館を飛び出す。
 刹那、黒い影に突っ込んだ。どん、という鈍い音がして、篤はぶつかった反動で蹈鞴を踏んだ。かけていた眼鏡がずれて、視界が歪む。
「いててっ!」
黒い影は微動だにしない。学生服の詰襟が篤の目に入る。ずれた眼鏡を直し、視線を上に移すと、この10年間見慣れた顔……幼なじみでもあり、篤のクラスの学級委員長でもある丹那川祐希(にながわ・ゆうき)が、呆れた表情で篤を見下ろしていた。
「……おまえ、転ぶなよ、この時期に。いつまで経っても落ち着かねーヤツだな」
 篤の右腕を、祐希の大きな手が掴んでいる。祐希が篤の通う小学校に転校してきた時は篤の方が背が高かったのに、中学に入った頃に逆転され、今では20センチ近く身長差がある。神様は不公平だ。バスケ部の元キャプテンで、先生からの信頼も厚い成績上位の学級委員長。祐希の彫りの深い端正な顔を睨みつけて、篤は口を尖らせた。
「うるせーよ! 明日から本番だってのに落ち着けるかっつの! ……つか、お前も何やってんだよ」
 祐希の空いた掌には、分厚い本が5冊程積み上げられていた。
「気分転換に小説読み始めたら止まらなくなって、さっき終わったとこ」
「……余裕だな、お前」
 祐希の口の端に不貞不貞しい笑みが浮かぶ。昔から、ここ一番の時の落ち着き方と来たら半端ないのだ。
篤は昔からプレッシャーに弱く、高校入試の時も前日は眠れず夕飯も余り入らなかったのに、祐希はふらりと、歩いて5分ほどの距離にある篤の家にやってきて、何度も参考書を捲る篤の傍らでゲームをし、夕飯までたらふく食べて帰って行った。成績も、塾に通ってようやく上の下の辺りに引っかかっている篤を尻目に、しれっと高得点を取っていて、しかもそれを鼻にかける素振りもない。
 篤にとって祐希は自慢の幼なじみでもあり、永遠に追いつけない存在だった。
 ただ、祐希には一つだけ、篤も眉を顰める厄介な性癖があった。女癖がとてつもなく悪いのだ。
この正月にも、同級生の女の子と初詣に一緒に行ったところ、クリスマスを一緒に過ごした女の子と鉢合わせて修羅場を見たらしい。祐希はまた、それを嬉々として篤に語るのだった。篤があんまりだからやめろ、と言い聞かせても右から左だ。
「この本返してくるから、一緒に帰ろうぜ、篤」
「……こないだ修羅場ったカノジョはどうしたんだよ」
祐希は何の感情も感じられない声で、あっさりと告げる。
「ああ、別れた。顔ひっぱたかれて、『サイテー!』ってさ」
「高校3年間で何度目だよ、お前……」
祐希は呆れ顔の篤の腕から手を離し、ひらひらと振ってみせた。
「もー覚えてねぇな。ええと、8回?」
篤は思いっきり顔をしかめてみせた。
「10回目だ、このひとでなし」
何で当事者の祐希じゃなくて俺が人数を覚えてなきゃいけないんだ。篤は怒りを込めて、祐希の脛を蹴飛ばした。
「いでっ!」
「お前いつか女の子に殺されるぞ。……早く返してこいよ、本。もう片付けしてたぞ」
へいへい、と呟きながら、悠々と図書館に入っていく祐希を見送り、篤は溜息をついた。

ホワイトデー一発ネタ 2008/03/13

なんだこの1と2の長さの差は…。
ということで、以下「マシュマロ・キス」1と2です。
終わってないかもしれませんが今日はここまで!(死
展開が浮かんだらまたアップします。

マシュマロ・キス1 2008/03/13

「俊、ちょっとつきあってくれ」
練習が終わって着替えてしまい、家へ帰ろうとする瑞垣を、門脇は気まずさを秘めた口調で呼び止めた。
「……今からか? どこ行くんや」
「いやな、……バレンタインにもらったチョコの、お返しを、な」
「ふーん」
冷ややかな視線が瑞垣から投げかけられる。
2月14日。人気者のエース門脇は、自校・他校を問わず、沢山のチョコレートをもらった。
告白については丁重にお断りをしたが、だからといって何もしないのも気が引けたのだ。
「一応、もらったもんには、お返しせないかんかな、と……」
瑞垣はむっつりとした表情を、門脇にちらつかせてみせた。
「モテモテですこと、さすが横手の人気モノやわぁ」
「……正直、どう対処したらええか、困るんやけど」
他の者が言ったら嫌みとしか取れないであろう言葉だが、門脇の偽りない本音だった。
好きでもない娘から貰っても、ひたすら困惑するだけなのだ。だからといって迷惑だと突っ返す訳にもいかない。
対処しあぐねているうちに、門脇の前にはカラフルにラッピングされたチョコレートの山が出来てしまったのだった。
「俺、ようわからんから…お前、選ぶの手伝って」
「レッチェの唐揚げおごってくれたらな」
瑞垣はさらりと報酬をねだる。これくらいの事なら覚悟していたので、門脇は特に驚かない。
今日はもう店も開いていないから、練習が昼から始まる土曜日の午前中に、少し離れた所に出来たショッピングモールへ出かける事になった。


★★★★★


朝イチでショッピングモールへ向かう。春のうららかな日差しが差し込む中を、二人で歩いてゆく。
午前中という事もあってか、ホワイトデーコーナーはまだそんなに混んではいなかった。
マシュマロやクッキーの甘い香りの漂う中、二人でバレンタインデーの時の半分ほどのコーナーを見てまわる。
「……どれにすればいいのか、さっぱりわからん」
門脇が手に取ったギフトセットをためつすがめつしながら、溜息をついた。
門脇にチョコを渡した女生徒は15人ほど。門脇の母は喜んで息子のスポンサーになってくれたが、
普段はこういうものとは縁のなさそうな門脇は、ただひたすら困惑の表情を浮かべるばかりだ。
「とりあえず、全部同じものにしとかな、後で絶対モメるやろ」
瑞垣はクッキーの袋をつまみ上げ、門脇の鼻に押し当てた。
「これとかどうや。まあ、門脇クンからお返しもらった、ってだけで、女の子は舞い上がるやろ。
ようは形式や、形式。お返しがあったって事実さえあればええんやから」
どこか機嫌の良くなさそうな瑞垣の冷たい言葉に、門脇は目を丸くした。
「お前、その言い方はないやろ……」
「だからって中から誰か一人を選ぶ訳やないんやろ。綺麗事並べた所で、事実は変わらん。
下手な優しさは相手を傷つけるだけやで」
まごうことなき正論に門脇は鼻白んだ。しかし実際にその通りなだけに、反論もままならずに門脇は黙り込む。
「……ま、ええけど。学生時代の楽しいイベントやからな。……これもうまそうや」
瑞垣はマシュマロの詰め合わせが入った袋を指さした。
流れる気まずい空気を払拭したくて、門脇は早口でまくし立てた。
「お、お前ももらったんやなかったか? ちらっと聞いたような気がするんやけど」
視線が交錯する。一瞬の間があって、瑞垣は酷く真面目な表情をして呟いた。
「……俺は本命以外には返したりせぇへん」
「……」
黙り込む門脇に、瑞垣がさっきまでのきつい表情が嘘のように、おどけた笑みを向けた。
「自分で食べる分買っとくかな。これ、うまそ。腹減ったし」
瑞垣はさっきまで指さしていたマシュマロの袋を取り上げる。
「なんや、人の顔じっと見て。俺に惚れたか、秀吾?」
「……違うわ」
ずっと一緒の時間を過ごしてきたはずの幼馴染みが、門脇にはこの時、酷く遠く思えた。


★★★★★


結局門脇は全員に袋詰めのクッキーとキャラクターのマスコットがついているものを買った。
ラッピングが重なるのでかなりの大荷物になったが、買い物は早めに済んだので一度家に帰って荷物を置いてくる時間はありそうだった。
とりあえずレッチェに向かい、二人で黙々と唐揚げセットを食べ上げる。
「もう一皿食べたい、ええやろ、秀吾ちゃ〜ん」
瑞垣が鼻にかかった声でおねだりをする。門脇は顔をしかめながらも、追加の一皿を頼んだ。
こういうおどけた態度は昔と変わらない。
けれど、先程の瑞垣の表情は、中学3年を目前にする今日まで見た事のないものだった。
まるで別人のようで、遠い。
「何や、さっきから黙りこくって。俺、そんなに食べてないやろ」
瑞垣が怪訝な表情を浮かべて門脇を覗き込んだ。鳶色の瞳が門脇の瞳にうつる。
「……いや、もうすぐ3年なんやな、と思って」
「は?」
瑞垣は首を傾げ、意図がわからない、といった風で肩をすくめてみせた。
「卒業までの思い出作りしとかな、なんて思っとるんか? だったら適当に可愛い女の子見繕って……」
今度は門脇が憮然とする番だった。
「お前、その言い方はないやろ。テキトーに決めたりしたら、相手の女の子に失礼や」
瑞垣は唇の右側だけ歪めて、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「誰の事も好きやないんなら、誰だって構わんやろ」
「だからって……」
瑞垣はさらに笑みを深くして、どこか揶揄するような口調で続けた。
「女の子はええで。柔らかくて、マシュマロみたいで。秀吾やったら選び放題や」
これ以上聞きたくない。
門脇は、瑞垣を睨みつける。
「……ええ加減にせぇ」
門脇の本気の怒りを感じ取ったのか、瑞垣の口元の歪んだ笑みが消え失せた。
代わりに、溜息混じりの一言が投げかけられる。
「……お子ちゃまやな、お前」
気まずい沈黙が二人の間に流れた。
どうして今日は、こんなにかみ合わないんだろう。門脇も目を閉じ、深く息をついた。

マシュマロ・キス2 2008/03/13

★★★★★


二人は無言で、門脇の家までの道のりを歩いていた。
気まずい雰囲気を何とかしたいと思わなくもないが、瑞垣の言い方もあんまりだ。
門脇は自分の心の落としどころがわからず、ただ黙って家路を急ぐ。
途中で小さな公園に差し掛かった。古い公園には背の高い木が植わっていて、遊具の周りの喧噪から二人を覆い隠す。
ふと、瑞垣が立ち止まった。
「あと10分くらいは大丈夫やろ。……マシュマロ、食うか?」
何か言う事があるらしい。門脇は瑞垣の意を汲んで、頷いた。
大木の近くのベンチに、二人並んで腰掛ける。瑞垣がマシュマロの袋を開けた。
二人の間に沈黙が横たわる。
耐えきれなくなって口を開いたのは、門脇の方だった。
「なあ、俊……お前、何かおかしくないか?」
瑞垣は無言でマシュマロを取り出し、半分囓った。
「何でそんなに突き放したようなものの言い方、する?」
答えはない。
「俊」
もう一度問おうとした時だった。
不意に唇に柔らかなものが押しつけられた。
マシュマロのふんわりとした感触。そしてその向こうに、瑞垣の唇があった。
「……!」
マシュマロは半ば無理矢理、門脇の口の中に押し込まれる。
あまりの事に門脇は咀嚼する事も忘れ、マシュマロをそのまま飲み込んでしまった。
呆然とする門脇の目前で、瑞垣はもう一つマシュマロを銜え、再び門脇に口移しする。
口の中にマシュマロの甘みと、チョコレートソースが広がった。
瑞垣が無言で立ち上がる。
「……早う女の子の柔らかさを味わっとかな、俺みたいな不届き者に悪戯されるで」
目を丸くしたまま硬直している門脇を置いて、瑞垣は公園を出ていった。

……これが、瑞垣の本心なのだろうか。
動けないままの門脇の口の中には、甘ったるい後味だけが残った。

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