小早川秀包廟所 | |
慶長6年3月23日早朝、下関の南部(現在の唐戸周辺)で没した小早川秀包の廟所。輝元の命により大寧寺で火葬され、この地に埋葬されたと伝わる。尚、供養墓は吉敷毛利家の菩提寺である玄済寺にある。 また、秀包は小早川若しくは羽柴姓を用いており、生存中に毛利姓に復した確証はない(秀包没後に元鎮が毛利姓に復した記録がある)。 ■JR「滝部」駅~徒歩20分 下関市豊北町滝部3099 | |
浄土真宗本願寺派(西本願寺) 仏原山 西楽寺 | |
本堂裏に小早川秀包の廟所並びに殉死した白井兵庫の墓がある。 ■JR「滝部」駅~徒歩20分 下関市豊北町滝部3099 | |
伝・毛利館址 | |
豊北高校前に「毛利元氏公館址碑」があり、豊北高校向かって右の細い道を上った右手に「伝・毛利館址」の碑がある。繁沢元氏の館があったと伝わる。 尚、元氏は改名前は「仁保元棟」、改名後は「繁沢(しげさわ)」姓を名乗っており、毛利姓は名乗っていないと思われる。 ■ブルーラインバス停「豊北高校前」~徒歩2分 ■JR「滝部」駅~徒歩25分 下関市豊北町滝部1003 | |
滝部八幡宮 | |
阿川毛利家の崇敬が厚かった。また、小早川秀包の愛刀・吉廣が奉納されていたが、戦後の混乱に乗じ、現在は行方不明である。 ■JR「滝部」駅~徒歩10分 下関市豊北町滝部3158 | |
曹洞宗 覚天寺 | |
もとは尼子氏と肩を並べた奥出雲の雄で、毛利家とも姻戚関係にあった三澤為虎の菩提寺。現在は無住でかなり荒廃している。 ■ブルーラインバス停「田耕市場(たすきいちば)」~徒歩7分 下関市豊北町田耕市庭 | |
三澤家墓所 | |
覚天寺の裏山にある。尚、三澤為虎の墓石は確認できないが、位牌は寺号を移された山陽小野田の覚天寺に安置されている。 ■ブルーラインバス停「田耕市場」~徒歩7分 下関市豊北町田耕市庭 | |
阿川八幡宮 | |
吉敷・阿川毛利両家の崇敬が厚かった。吉敷に移る前の慶長18年に、秀包嫡男の元鎮、孫の元包が再建したとされる。 阿川駅を出て北上し(駅舎を出て向かって左の道を進む)、郵便局と浄土寺のある分かれ道で左に折れるとすぐ目の前に八幡宮がある。 ※Googleマップに元々登録のある位置は異なるので注意してください。(このサイトに載せているマップは修正しています) ■JR「阿川」駅~徒歩7分 下関市豊北町阿川893 | |
曹洞宗 龍峰山 海翁寺 | |
吉川元春二男・繁沢元氏による元春の菩提寺。梵鐘は輝元の寄進で元は萩の満願寺にあったもので、現在は屋内で保存されている。 ■JR「阿川」駅~徒歩15分 下関市豊北町阿川511-1 | |
阿川毛利家墓所 | |
歴代阿川毛利家当主が眠る。但し、繁沢元氏の墓は熊毛の通化寺にある(元氏正室の墓はこの墓所にある)。また、元氏嫡男の元景の墓は大寧寺にあるとされるが、現在確認できない。 阿川駅を出て北上し(駅舎を出て向かって左の道を進む)、郵便局と浄土寺のある分かれ道で右に折れ、JAを通り過ぎ、警察署のそばの細い道に墓所への大きな案内板がある。そこを進み、線路を渡って時習館跡の石碑のある横の細い道を上っていくと墓所がある。 ■JR「阿川」駅~徒歩10分 下関市豊北町阿川 | |
阿川毛利氏館址 | |
阿川毛利家の居館があったとされる。阿川毛利家墓所入口の向かって右手(線路を挟んで警察署の裏あたり)の石垣の上に碑がある。 ■JR「阿川」駅~徒歩10分 下関市豊北町阿川 | |