浄土宗 関亀山 来迎院 引接寺 | |
小早川隆景の菩提寺。黒田孝高が差配し、藤堂高虎が縄張りしたと伝わるが、戦災により寺伝等が焼失しており詳細は不明。 ■サンデンバス停「唐戸」~徒歩5分 下関市中之町11-9 | |
小早川隆景供養墓 | |
引接寺本堂裏にある小早川隆景の供養墓。遺髪が納められている。 ■サンデンバス停「唐戸」~徒歩5分 下関市中之町11-9 | |
亀山八幡宮 | |
文禄の役にあたり豊臣秀吉が戦勝祈願し、凱旋した長府初代藩主・秀元等を労う為に歓迎能を奉納した事に由来する亀山能があり、秀元が奉納した能面もある。 また、幕末期には久坂玄瑞らが異国艦隊に向けて砲撃した場所でもある。 ■サンデンバス停「唐戸」~徒歩3分 下関市中之町1-1 http://www.kameyamagu.com/ | |
赤間神宮 | |
元は阿弥陀寺であり、元就等毛利家からの書状も有す。また、九州役の際に豊臣秀吉や佐々成政が歌を詠んでもいる。水天宮の下には竜造寺家が壇ノ浦に落とした巨石が祀られている。 源平合戦の際に入水された安徳天皇を祀り、耳なし芳一所縁の地でもある。 ■サンデンバス停「赤間神宮前」~徒歩1分 下関市阿弥陀寺町4-1 http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/ | |
与次兵衛ヶ瀬の碑 | |
唐入りの折、母である大政所危篤の報に豊臣秀吉は大坂に急ぎ戻る為、細川忠興が手配した船で関門海峡に差し掛かった。その時、船が座礁し、投げ出された秀吉を救ったのが秀元だった。秀吉が乗っていた船の船頭の名は明石与次兵衛、責任をとって切腹したが、哀れに思った忠興により碑が建立された。その後、この石碑は紆余曲折の末、現在はここと対岸のめかり公園に碑がある。 ■サンデンバス停「赤間神宮前」~徒歩1分 下関市阿弥陀寺町(姉妹都市ひろば内) | |
本陣伊藤邸址 | |
小早川秀包が病気療養し没したのが「南部の伊藤邸」であり、また近くの極楽寺に墓若しくは位牌があった形跡もある為、この辺りが秀包の終焉の地だと推測される。 ■サンデンバス停「赤間神宮前」~徒歩3分 下関市阿弥陀寺町5 | |
浄土真宗本願寺派(西本願寺)海願山 極楽寺 | |
鍋(南部)山城主の粟屋氏が開基。 小早川秀包の墓若しくは位牌が置かれていた形跡があるが、戦災により焼失。 幕末は奇兵隊の陣も置かれた。 ■サンデンバス停「壇之浦」~徒歩3分 下関市阿弥陀寺町8-6 http://gokurakuji.net/ | |