第十七話〜鶺鴒〜


「ごめんなさいシスター。何だか余計な時間をとらせちゃって」

そう、思った以上に私と嶺峰さんが教会に居た時間は長かった。
夕日が丁度平線と関わりあった辺りの時間帯まで居てしまったんだもの。シスターとかにはさぞかし迷惑をかけてしまったでしょうね
。っと、そう思っていたんだけれど、これがどうして、赤毛で短髪のシスターさんはにっこり笑顔だわさ。

「あ、気にしないでいいよ。ただでさえ人通りの少ないところに建っていて訪れる人も少ない場所だもん。
それに、見ているだけでも何だか幸せになれちゃった気がするし。これも神の思し召しかもしれないわよね」

チャラッと胸元に下ろされていた小さな十字架を軽く指でもてあそぶシスター。
驚いたわ。この人、ネカネおねえちゃんと同じのシスターの職業柄でも随分と系列が違うみたい。
そうね、ネカネおねえちゃんが厳粛って言うか、清らかなイメージのシスターだとすると、こっちの赤毛のシスターは明朗快活、清楚と言うよりは純粋。裏表の無いまったいらな純粋さが目立つシスターって事。
でも、それはそれでもってありがたかったりもする。
ネカネおねえちゃんはなんだかんだでも結構厳しいところもあるので、これはちょっとホントで、自由に出来たりするのは少ないんだけれど、このシスターの場合は結構自由だって処かしらね。
場所が変われば人も変わるって言うけれど、彼女はある意味でネカネおねえちゃんにうよく似て、別の角度から見てみるとまったく違う。
違うけど、良い違い。彼女なりの個性って言うのかしら。なんともいいことだわね。
そんなこんなで、いつまでも談笑しているわけにも行きませんのでお別れとなる。
お互いに名前を名乗らなかったのはちょっと残念だったかもしれないけれど、でも、まぁいいかなと思う。
出会った先から名前を名乗っていっても、意味があるわけじゃない。寧ろ、あえて名前を名乗らない方が良い出会いだってある。
この時がそうなのかどうかなのかは解らないけれど、お互いに名前を名乗りあわなかったんだから、取り敢えずは良しとしましょう。
遠く、茜色の空の下で、嶺峰さんと横並びで去っていく。
振り返れば、穏やかな表情のまま、シスターが何時ものシスター姿に戻って、まだ手を振っていてくれた。
本当に良い人。今時の人としてはかなり珍しいけれども、いい人だわ。あ、ちなみにどうして今時の人かって解りますと言いますと、さり気に胸元にこの学園の校章が光っていたから、ね。
手を振る姿へ私も軽く手を振り返す。軽くって言ったけれど、ホントは片手を限界まで伸ばしてぶんぶん振っていたように見えるでしょうね。
だってしょうがないじゃないの、チビなんだもん。
丘を下りながらだから、一歩間違えれば飛び跳ねて手を振り振りだ。
そんな恥ずかしい真似は間違ってもできません。私、これでも女の子なのよ。がさつっぽく見えるけど。
そんな私を見守る姿は一人だけ。真横を、両手でかばんを提げたまま静々と歩き続けている嶺峰さんが、静かな眼差しと、小さな微笑だけで私の方を見続けている。
勿論、そんな事には気付いているわよ。シスターとお別れするときだって、この笑顔で微笑んでいたんだもの。
あ、でもやっぱりシスターはちょっと苦笑だったかな。やっぱり、彼女の笑顔を直視するってきっつい事なのよね。改めて再認識。
でも、彼女にはソレが何でかを理解できていない。
自分が関わるとどうして周囲の人が自分を避けているのかが解っていない。
そのくせ、自分のことには無頓着だって言うんだから堪らない。
こりゃいっちょ、私が何とかして一般生活へ戻れるようにしてあげなくっちゃいけないと思うわけよ。私としてね。魔法使いとしてじゃなく、アーニャ=トランシルヴァニアとして。
そう考えている。魔法使いとして考えないのは、やっぱり魔法使いには魔法使いとしての役割が備わっているからって考えているからだと思う。きっと、きっと、そう。
さて、いつまでもこうやってお互い同じ方向へ歩いていっている場合でもない。
どっちかから切り出さない事には、この微妙と言うか、嶺峰さんに見つめられたままの状況で私の住居区画まで着いてきちゃいそう。
いや、それはそれでも別に構わないんだけれど、それまでこの状況って言うのは、正直ちょっと苦しい雰囲気と言いますかね。と言うわけで、まずはふとした疑問。簡単な事からたずねるのが常道。

「で、嶺峰さん」
「はい、何で御座いましょうか」

いつも通りのふんわりとした、羽毛のように、綿毛のように。
ふわふわふわふわ、そのまま風に吹かれて飛んでいってしまうんじゃないかって思えるほど穏やかな声で応じられる。
まぁいつも通りというのはいい事で、実際はいい事でもないんだけれど、兎も角、何時ものように、そんな声で応じられてしまったので、私の方もいつも通り。普通に普通に質問開始。

「教会、何やってたの?」

至極普通の質問だと思う。彼女が無神論者であるかとか、不可知論者だとか、神論者だとかは差ほども関係ない。
神論者なら、教会に立ち寄る事は多々ある事だろうから別にいいし。でも、無神論者とか、不可知論者とかであったなら、ちょっと疑問だ。と言うより彼女、そう言う論弁をたれたりするような人には見えないんだけれどね。

「ええ、とても良い事が御座いましたので多くの方々に知っていただきたかったのですが...その、あまりお話できなかったものでしたので。
せめて母方様には知っていただきたかったので、天に近い処が良いと思いました故に、ご迷惑かとは思いましたも、僭越ながらあの教会でお祈りしていたのですわ。
あそこに住まわれる方に伝えていただけると、そう思っております」

ピクリと、僅かに反応してしまった。
でも、それは表情にも、勿論態度にも、そして、一瞬だけ反応した感情でさえも一切も窺わせず、そして、静かに胸のうちで消していった。
彼女が今なんと言ったのかは、深くは考えないようにしよう。
彼女が何を考えていたとしても、知る権利は何処にも無い。
同時に、知ったところで私には何も出来ないに等しい。
過去は何も語らない。過去を見るより見なくちゃいけないのは、今と、そして暗黒だらけで、今をどんな風に渡っていけば明かりを灯せるのかを辿る様な未来だけ。
過ぎてしまえば、それは所詮、二度とは手に収める事は出来ない尊いものだ。
いつかは忘れ去られていくであろうものは、所詮、どれだけあっても何も語りはしない。
そう言うもの。そう言うものの中に内包されながら、私たちは生きていっている。

「そう。それで、嶺峰さんって、神様、信じているの」
「どうなのでしょうか。私(わたくし)もよく解りませんわ。けれど、居て欲しいときとそうでない時が御座います。
信じる方の前では居ていただきたいのですが、そうではない方の前では、やはり語らぬものとしてあって欲しいのです。不思議なものですわね、在って無いようなものと言うのは」

苦笑、なのかな。どこか遠く、暮れ行く空を眺めるよな眼差しの端には悲しみの色と、憂いの色が混ざっている。
それが嘆きなのか、哀れみなのか、それとも、私では理解することは出来ないもっと深いものであるのかは解らない。
ただ、その眼差しにはどこか浮世に対する理不尽さを嘆くような、そんな眼差しだけが含まれていた。
でも、どちらかと言えば、私も神様は居る居ないに関わらずのどっちでもいいよ派だ。
神様ってものに対して、人は大きく分けますと四分割する事ができるって、何かの本で引いた事がある。
一つは、勿論神様を信じている人。奇跡や神秘、ありえないものを可能とする超越者としての存在を信じている人たち。
次に、無神論。即ち神様なんてものは居なくて、この世の全ては流れるがまま。多くの偶然との重なりあいで生じているのだと信じている人。
続けまして、神様とは私達にとっては全知全能であるが故、そも、全知全能と言うものを理解できていない私たちには居ても居なくても関係ないという理論。これが不可知論者って人達の意見。
そしてラストが私たちみたいなの。要するに、居ても居なくてもいいやっていう、結構無責任な考え方の人達。これが、神様とか言うものに対して存在している大体区分。
三つまでは神様と言うものに対してなんらかの、肯定か、否定か、無視かの意思表示をしているんだけれど、四つ目。即ち、私たちのような考え方には極端神様に対する関心と言うものが存在していない。
興味ないから、どうでもいいよ。
嶺峰さんは違うような気もするけれど、私は基本としてそうだ。
神様とか言うのが居ようが居まいが、さほど私たちには関係はない。
全知全能が神様の定義なら、私たちがやる事知っているって言うのなら口出しも手出しもするつもりは無いだろうし、そも居なかったら居なかったで差ほども困らない。せいぜい、世界中から宗教対立関係がなくなるって事ぐらいが幸運ってところかしらね。
ネカネおねえちゃんの前では間違っても言えないけど、神様は居ても居なくてもわたしたち人間や、そのほかの生き物には蚊の屍骸ほども関係なかったりもする。
そもそも、神様って言う不可解な存在を信じているのは人間だけであって、そのほかの生き物にはソレの定義が存在していない。
つまり、人間以外の生き物全体は、100%神様って言う存在を信じては、そも存在しているのかどうかすら理解出来ていないって事。
でも、実はコレがあんまり困らない。彼らにとって神様がいようが居まいが格段どうだっていいのだ。
彼らは彼らで、自分を生かすことで毎日毎朝毎晩の様に生き残る事に対して全力疾走だ。
私たちみたいに俗っぽくない。神様が居るとか、居ないとかはあんまし関係はない。そも、そんな事考えているような余裕もないんでしょうね。
自然界では余計な考え方が命取り。
目の前にぶら下がっている"生存"の切符を手にしない限りは、生き残る事さえも難しい。
私たち人間だって、本当はそう。毎日毎日生き残る事に精一杯なら、実は争いごととかは発生しない。
なまじ平和であって不便と言うものがないから、俗っぽくなる。
私も時折なんだけど、人間って進化してるんじゃなくて退化しているんじゃないかなって思う事があるぐらいだ。
そう考えるのは、あんまり可笑しい事だって言うのは思わない。
環境破壊に戦争、人間がこの星の上にあるものを傷つければ傷つけるほど、それは何時の日か必ず傷つけた方に帰ってくる。しかも、それは何倍にもなってだ。
んで、その厄災が降りかかってから後悔するって言うのが人間なのよね。
悲しいけど、それは今までの歴史やら何やらが証明してくれている。
思い出すのも面倒だし、俗っぽいのだから、あえては言わないけど、誰であっても一度くらいは身に覚えのあることだと思う。
そんな俗っぽい生き物に何でもできる神様が何かをしてくれると思っている時点で間違えなのかもしれない。
神様が何であっても、結局ソレは、人間の都合で逓増されたにも等しい"人間の神様"だ。決して"世界の神様"なんかじゃない。
そう言うものを鋳造できる時点で俗っぽい。
人間だけ助けたり救ってくれる万能の存在なんて、なんじゃそりゃーって感じ。
シスターには悪いけれど、私も基本は違うようだけれど嶺峰さんと同意権。神様が居るのかどうかは解らないって事だ。
兎も角、神様の押し問答は此処までだ。
折角出会えたんだから、ちょっとは嶺峰さんにも付き合ってあげないと悪い。
いや、今でも十分付き合ってあげているんだけどまだ教会で一緒になってぼーっとして、あ、ボーっとしていたのは私だけだったっけ、反省。
如何にせよ、嶺峰さんとお付き合いしてあげるのも悪くは無いって事。
唯でさえ昨日は昨日で私の好き勝手やっていちゃったんだし。いやね、昨日は昨日で嶺峰さんの我侭を聞いてあげたこともあったんだけどね。

「それで、今日はこれからどうするの?」
「はい、これからアーニャ様の処へ向かって紹介したい方の下へ連れて行きたかったのですがアーニャ様に出会えて良かったですわ。
このまま私(わたくし)と一緒に鋼性種の方々と御相手して貰っておりますセキレイ様の下へ参ろうと思っておりました」

セキレイさん。その名前は始めて聞く名前だった。
いつも一人ぼっちでいる嶺峰さんだからそう言う紹介はないものだと踏んでいたのだけれど、こりゃ失礼だったのかもしれないわね。
さてはて、でもあの鋼鉄の塊相手にしている人だって言うのなら、つまりは、その、その人も魔法少女ルックなのでしょうか。
とことこ坂を下っていく。夕日を弾く学園の湖に目が眩みそうにもなりながらも、隣り合った人の顔を見上げれば、直ぐにその眩みもまどろんでしまう。夕日の輝きを超えるほどに、その人の顔は朗らかにまばゆいと思っている。
きっと、背後から見れば至極アンバランスな二人組みでしょうね。でも、まぁそれでもいいと思いながら坂道を下っていく。
何処へ行くかは嶺峰さん任せ。
自分は知らず、風に吹かれていくような歩みも、うん、時折には悪くは無いのかもしれないわね。

―――――

仄かに鼻を突く香臭がする。
くんくんと鼻を鳴らすと、多種多様な香りが鼻に付くのがよく解る。
閉じかけだった瞼を開けば、夕焼けの朱に染まった庭が視界の全てを埋め尽くしていく。
瞼に焼き付いていくのは、僅かに朱の混じった多くの花々。嶺峰さん曰くは、この庭園の庭にある華の殆どは、ここの華道部の人達が生けた花々だと言う。
それにしても見事なものだわ。
見渡す限り木と華のコントラストが素晴らしい。
洋花と和華。石造りの灯篭とのコントラストが見事としか言いようがない。
和の美は世界に通用するってロンドン在住中読んだ本に書いてあったけれど、こうやって改めて自身の眼で確認しますと、うん、世界に通用するって言うのも解る気がするってもの。
夕焼けの下じゃなければもっと沢山の色を目撃する事ができたんでしょうけれど、残念ながら現在は夕暮れ時。
色取り取りの花々も、今だけは多彩な顔色を潜めて夕焼けの朱に身を彩らせ、来る人達をきっと温かく包み込むように色づいて見えるでしょうね。うん、私だってそう見ているもの。
二人並んで花畑の奥の奥へ。
花畑と言うか、庭園。それも純な日本庭園的な雰囲気を醸し出していながら、洋風の花々が絶妙に混じり込んでいるのは正直見事としか言いようが無い。
誰がこの庭をプロデュースしたのかは解らないけれど、この庭を作った人は相当な扇子の持ち主と判断できるわよ。ここまで自然の色彩にこだわっているのは、ロンドンや故郷のウェールズでもそうそう見たものじゃなかったもの。
そんな和風と洋風が入り混じる庭園を、二人並んで奥へ奥へ。
奥へ行くにつれて珍しい花々や、より色多彩な花々が私たちを迎え入れてくれて、決して目を疲れさせず、それでいて目を楽しませてくれると言う庭園としては十分合格点を出しても全然構わない出来の庭。
尤も、私が出したところで格段嬉しくは無いでしょうけど。
だって私、華とかにはあんまり知能は回ってないのよね。精々自分の魔法発動のキーとなる花の名前を知っているぐらいだ。
そう考えていると、丁度目の前に私の華がやってきた。いや、私の華ってわけじゃないけれどでも、やっぱり私の華だと思いたい。
この華を私は自身の魔法発動のキーにしているんだもの、私の華と、思いたくなる気持ちもわかって欲しいわよね。
目の前に現れた、丁度良く私の視線と同じ高さに位置する八本一房になって上下左右へと広がった淡桃のアマリリス。
花言葉は内気・誇り。
以前レッケルにこの事実を話したら、レッケルったら"アーニャさんは淡桃のアマリリスというよりは深紅のアマリリスですぅ"なんて仰られた。
なお、赤のアマリリスの花言葉は"おしゃべり"だったりする。何だわよ、それ。私はおしゃべりじゃないっていうのに。魔法使いなんだもの。
そのアマリリスから離れて、もう一度嶺峰さんと並んで奥を目指していく。
芳しい花の香りに包まれ、同時に、深い緑のトンネルを抜ける様に、前を。
夕暮れ時に染まる緑と多彩なる庭園は、恐らく夕暮れでなければもっともっと輝くように多彩な顔を見せてくれるんでしょうね。
それを僅かに残念と思いつつも、また来れたらいいなとも思う。
静寂が支配しているこの場所は綺麗だ。喧騒だらけの街中とは違い、あの、私が根元を居住としている巨木と同じような空気で溢れた、心地の良い空間になっている。
出来る事ならこう言うところで生活できる方が私としても嬉しいのだけれど、残念ながらソレも出来ない。
住めば都とはよく言ったものだわ。今の私にとっては、どれだけ心地よかろうと暫くはあそこが私の居場所だと決めてしまっている。
直ぐに去るような身だもの。長く住むならこっちだけど、短いならあそこも悪くは無いって処かしらね。
碧と華のトンネルを抜けた向こう側。そこに広がるのは、いつか雑誌か何かで見た、日本庭園と呼ばれる空間に酷似した場所だった。
視線を逸らせば、広めに取ってある地面には白砂が敷き詰められ、鍬で梳いたかのように並みの文様が美しく際立つ庭になっている。
そう、いつか雑誌で見た、お寺とか、そう言う所でしか見る機会がないかなって思っていたアレだ。
で、ソレの傍らに佇む建物は、これまた典型的な日本家屋。
純和風と言いますか、現代建築の手法は一切見られず、築百年は降らないであろうことは間違えない。
そう、この庭園に入った時にならした鼻がしっかり知っているのだ。
この空間には、鉄の匂いが一切無い。純なる匂い。元からあったものだけを使用した、単純な、けれども一番正しいであろう匂いだけが、ここからは嗅ぐわってきていた。
その家屋を、何でかは知らないけど入り口からじゃなく、縁側へと続く方へと並んで歩いていく。
足元の規則よく並べられた石畳は、百年以上前に作られたとは思えないような精密さで並べられていて、ここにもちょっとの感動だ。昔の人は偉大だわね。
と、急に傍らに居た嶺峰さんがその動きを止めて、家屋の方へと顔を向き直っていた。
どうしたのかなって思って、同じ方向に目を向けてみると、その理由も何となく解った。
勿論、理由が解ったとて、格段騒ぎ立てるような真似も無い。
同じ様に横並びになって、家屋の居間辺りに正座したまま両目を閉じている、端正な顔立ちの女の人を見守っているだけ。
あの人がセキレイさんと言う人なのか。
それでも、嶺峰さんは一切動かずに、正座して両目を閉じた着物の女(ひと)のことを、ただ一心に見守り続けて。
いや、見守っているって言うのは違うわね。どちらかと言えば、その人のやる事が終わるまで待っている、そんな雰囲気。
何も言わず、何も動かずにいる姿は、自ずとそんな事を想像させてくれた。
と、着物姿の人が動く。まるでこっちに気付いていないのは、その集中力がなせる業なのかしら。
着物の人は、正座姿のまま、眼前に置かれていた茎の一本を手に、静かな、衣擦れの音さえも聞こえないほど優雅な身のこなしで、目前にあったハリネズミをひっくり返したみたいなものにその茎を突き刺していく。
そっか、アレ、どこかで見た事があると思ったら、アレが噂のジャパニーズ生け花ってヤツじゃないかしらね。
そう考えると、ますます私自身にも気迫が入った気分。
生け花と言うのには集中力がモノをいうと、何かで聞いたことがあるのだ。
集中力は、雑踏の中では決して養われない"静かな力"。だから、こう言う場所こそが生け花にはふさわしい。静寂だけの世界こそが、こういった所では一番なのだ。
花を生けていく姿に、ほんの僅か、見覚えがあるような気がして、でも同時に、見た事なんて在る筈のない姿だって認識した。
だって本当に見た事なんてない。そも、生け花をやっている人の姿自体、全然見た事がないんだもん。
それじゃあ知っている筈無いんだけど、どうにも何かが引っかかっているような気がしてならない。ホラ、あれよ、小魚を食べたら喉に小骨が引っかかったわーみたいな。
忙しなく、でも同時に、繊細なまでの動きで何本かの華をハリネズミ山へ刺していく姿。それが漸くひと段落着いたのか、その動きを止めたところで、

「セキレイ様」

峰嶺さんが声をかける。それでやっと気が付いたのか、その着物姿の女性――セキレイと呼ばれた人が、意外と機敏とした動きでこっちに向き直って、口端だけの笑みをつくる。
悪人みたいな笑い方だなとも思ったけれど、実際コレが意外と似合う。気が強いって言うのか、強気とも取れるような、そんな笑み。

「ネミネ」

着物姿のまま立ち上がってこっちへと歩み寄ってくる姿は和風の幽玄さといいますか、何処となく、目の前にすると緊張してしまう。
外国の人が着物姿を前にすると厳粛になるって言うけど、その理由、コンセントレーションを高める独特の雰囲気に圧されるって言うのが何となく解るわね。
私も背筋に鉄根が打ち込まれたかのように、自然とピンと背筋が立ってしまう。
縁側まで歩み寄ってきたセキレイなる女(ひと)。
峰嶺さんとは、また違った意味で際立った綺麗さだと間近で見て解る。
和風独特の黒髪に、その姿見。なるほど、コレは確かに大和撫子って言う表現が似合うかもしれない人かもしれないわね。
と、唐突にセキレイさんが背筋を思いっきり伸ばす。んーっと寝起きみたいに伸ばすもんだから、すっかり拍子抜けだ。
こきこきって肩は鳴らすは、その場にどしんって勢いで着物が肌蹴るのも関わらずに胡坐なんてしてくれちゃう始末。ホント、あっけに取られるとはこのことだわ。

「んで?今日アタシも一緒に行くんだっけ?いやー此処暫くサボっていたって言うか、部活とかで忙しかったから勘が鈍っていないか大変だわ」
「ご安心下さいませセキレイ様。セキレイ様は私(わたくし)よりも長堤に行われていた事ですわ。長くお離れして腕が濁る事、勘が鈍るような事も御座いません。
私(わたくし)としてはセキレイ様とご協力できる事、嬉しく思っております」

着物の胸元をバフバフさせながらのそかそかと言うラフな返事。とてもさっきまでハリネズミに向かって真摯な眼差し、針に糸を通すときのような集中力を外気を伝わらせて私たちへ伝達させるほどだった人とは思えないほどに軽活なその態度。
目を丸くしている私の事なんてお構いなしで、彼女は、袖口から中くらいの太さの竹管のようなものを取り出し、蝶番のように開くと、そのまま、縛っていた髪の毛を下ろして、両房に分ける。
ツインテールにでもするのかなとも思って見ていたんだけれど、双房に分けられた髪の毛の束をその缶に通し、下の方で輪を作った後、またもう一度その管に通す。
右の房は右耳の上に、左の房は左耳の上に止めるという髪形。お風呂に入るときのように、その長めで艶やかな髪の毛を降ろすんじゃなくて、不思議な髪留めで止めると言う、なんとも、似合っているのかどうなのか微妙な、そんな髪型。
はて、それにしてもやっぱり見た事があるようなないような。
いや、結構この学園を行ったり来たりしているから、本当はどっかの視界の端で捕らえただけなのかもしれない。
既視感って言うのは、そう言うのが例になっていることも多い。
いつかどこかで見たから、見覚えがある。
見た事が無いのに見た事があるような気がするというのは誤りである。
記憶って言うのは非常に曖昧なもので、興味のない事は直ぐに記憶の戸棚へ収納してしまうんだ。
でも、それは忘れたわけじゃない。事故とかで記憶喪失って言うのになる人が要るけど、それは喪失ではなくて、本当は記憶覚醒障害と言うのだ。
つまりは、記憶の戸棚に収納されている記憶を失ってしまったのではなく、記憶の収納棚の鍵がぶっ壊れて立て付けが悪くなって、そこから引き出せなくなっただけなのだ。
だから、記憶喪失と言うのは正確に正しくは無い。まぁ、脳交換って言うのなら記憶喪失とも言うけどね。尤も、そんなことした時点で"その人はその人じゃなくなる"んだけれど。
で、私は私で記憶喪失でも、覚醒障害持ちでも、ましてや脳交換も行った事の無い、せいぜい普通の魔法使い。
生き物の定義に当てはめるのなら、いたって普通の、食べて眠って、毎日生きるのに頑張っているような生き物だ。
普通と言うのとは違う普通だけれど、でも、生き物としてみれば普通だと思う。
はて困った。そうなるとこの既見感は何処から来るんだろうか。見覚えがあるほどよく見ていたのか。それとも、見覚えるほどに何度も見ているのか。
そのどちらが正しいのかは正直解らない。でもはっきりしないものを置いておくままには出来ない私の性質としては――――

「んで。この子、どしたの?あ、ひょっとして新しいサポート役さん?ふーん、キノウエセンセも結構いいところあるんじゃないの。
はい、アタシセキレイ。鶺鴒って鳥知ってる?あのセキレイ。そっちが本名で、苗字はタナカ。あ、タナカって言っても普通の田中、じゃないからね?掌引心香よ。
『てのひら』って漢字で『タナゴコロ』って読むのよね。で、そこから『心を引いて、タナ』んで最後に香るって漢字を付けて『掌引心香』。四文字漢字なのに三文字読みって可笑しいと思わない?笑いたいとき思い出したら結構笑えるわよ。思い出し笑いしているとこ見つけたら殴るけど。あ、でもやっぱ覚えにくいから覚えなくていいわよ。皆はタナとかシンカとか呼ぶけどね。でもネミネの知り合いなら気軽にセキレイって読んで頂戴ね。
じゃ行きましょ。ネミネー、今日の予定は?」

握手、なのかな。手を掴まれて、ぶんぶん上下に振らされて、そんでもって一気に脳内へ叩き込まれる各種情報。
ダメだ、直感で感じ取った。この人、人の話は聴かないタイプの人だ。
いやいや、聴くんだろうけど、良かれと思っていった発言も、割る師と思って言われた言葉も、全部参考程度にしかしないタイプの人。
間違えない。だって勝手に自己結論出して、勝手に自己判断してる。私が口を挟んでも、こりゃきっとお相手にもされないわ。
あたまがパンクしそうになって、どっと疲れが出てくる。
視界の傍らでは嶺峰さんに対して、さっきまでの私と何ら変わらずマシンガントークで手振り身振りを加えつつ百面相をしている鶺鴒さん。
それに加えて嶺峰さんなんだけれど、ホント大したものだわ。表情一つ変えてない。いや、マシンガントーク程度で怖気づいている嶺峰さんって言うのもみったくないんだけどね。

「ほんじゃま行きましょっか。あーあ、めんどくさいなぁ。でもお仕事だししょうがないわよねー。
ホラ!サポートさんもぼーっとしてないで準備準備。って、あれ?それともそれが仕事着?今から着ているなんて殊勝な心がけねぇ。でも恥ずかしいでしょ?アタシたちだってあーゆー魔法少女ルック、こんな歳になってまでするつもりなんてなかったんだけどね。家系ってツライわよねぇ。ねーねーネミネもそう思わない?一緒にやめちゃおっか。アレの相手」

ぶつくさ告げつつ、右腕をぐりんぐりん回しながらさっきまで居た居間の奥へと消えていく鶺鴒さん。
で、嶺峰さんはにこにこ笑いのままで、私はあっけに取られた表情のままだ。嶺峰さんに対して、あの人何なのとか言う余裕だってありゃしない。
まさに嵐が過ぎ去るが如し、嵐の前の静けさならぬ、嵐の後の静けさ。
散々モノやら何やらを巻き上げて通った後をぶっ壊した後の、唖然とするような光景を残すような人だわ。
そんな事を考えていたもんだから、突然ちょっと待っててねーなんて奥の襖から顔を出されたときは飛び上がるほど吃驚した。
まさに壁に耳あり障子にメアリー。意図せず出したのだとすれば、それはそれでいいんだけれど。もし意図して出したとすれば、あの人、只者じゃないわね。


「おーい。いやーめんごめんご。部員たちに挨拶やら部長代理に今後の活動計画とか話していたらすっかり遅くなっちゃったわ。でも仕方ないわよねーこっちだって忙しいんだし。
まったくホントにやめちゃおっかな。部活動もいよいよ佳境だし。今年もなんか作品残しておかないと来年部員入ってくれなくなっちゃうわよ。
と言うわけでちゃっちゃと片付けましょっかー、行くわよーネミネーサポートさーん」

散々待たせて、出た発言がコレだからまた驚き、と言うか大呆れ。
しかも待たせている縁側から声をかけるんじゃなくて、本来なら玄関にあたる位置から声をかけるなんてどういう神経しているんだか。まったく。待ったせているなら待たせている人の方に来なさいよ。
そんな愚痴が届く筈もなく、鶺鴒さんはがすがす先へと進んでいく。夕日の下でも目に栄える、そんな桜色の着物をばさばささせつつ、私たちの事なんて最早眼中にないと言わんばかりの陽気さ、と言いますか無鉄砲さでがすがす。
まさに暴風。雷の暴風とか直撃とかでも"ていっ"とか言いつつ弾き返しそうな勢い。それも平手打ちで。
でも、そんな彼女を見慣れているのか、嶺峰さんは相変わらず穏やかな笑顔のまま黙って彼女の方へと歩んでいく。
勿論、嶺峰さんは私を促すように真横に立ち、そうして嶺峰さんが何も言わずとも私はソレを察して縁側から飛び降りて一緒に行く。
普通はこう言うのが正しいんだと思うんだけれど、本当にあの人、嶺峰さんと一緒に鋼性種とやりあっている人なのか疑いたくもなる。
距離にして十メートル台。同じ場所へと向かっていると言うのに、不思議とその距離は嶺峰さんと鶺鴒さんの心の距離のようにも思えた。

――――

で、到着地点はやっぱりここ。生物準備室。
大体予測とかは建てていたんだけれど、正直ここの雰囲気は私の愛称とは真逆に位置している所為か、どうにも内情が落ち着かない。
それもただ待っているって状況だから余計にそわそわして、椅子の上にも落ち着いて座っても要られない。
かといって、この生物準備室を行ったり来たりするつもりにもなれない。
ただし、それはあのキノウエと言う人が居るからじゃない。
何でかは知らないけど、あーゆータイプの人は自分の世界に入り混んで滅多な事でもない限りは自分の世界からは出て行かない人だとは思っていたけど、いや、きっとそうなんだろうけど、やっぱり先生なんでしょうね。
きっと教員会議とかに召集されたのか、今現在、生物準備室の中には私しか居ない。正しくは三人居るんだけれど、内の二人は此処には居ないので、結局私一人のようなものだ。
魔法少女になる二人はお着替え中。それで、私は待ちぼうけ。
キノウエって人が帰ってきた時に覗かれないよう報告をお願いします、と言う嶺峰さんのお言葉と、魔法少女姿は見てからのお楽しみにねーと言う鶺鴒さんの一言で問答無用な待ちぼうけ、基は見張り役をやっているわけなのです。
でもまぁ、そうなると暇なんですよ。
あの魔法少女ルック、相当手の込んでいるものだし、着替えには時間がかかるのは当然。
前回だって、私とキノウエって人が結構長い時間お話していたけど、嶺峰さんが戻って来たの、結構後だったもんね。
そして何より、あの鶺鴒さんが地味めな魔法少女ルックを好むとは思えない。
彼女にはまだ会ったばかりだけれど、感性が普通じゃないって事ぐらい、こんな私でも十分解るつもりだ。
人は見かけによらないとは言うけれど、あの人の場合は裏表がなさ過ぎてどんな感性なのかが知らず知らずに解ってしまうのだ。そんな彼女がどんな格好で来るかなど、想像できる筈がないじゃないの。
かといってうろつくほどような気分にはなれない。
生物準備室、それも、処構わず打ち捨ててあるんだか置いているんだかも解らないような物に溢れた空間だ。
うかつな場所に足でも踏み入れようものなら、そんなわけの解らないものが育んだ変な生き物とかぐじゅりって踏んじゃったらって考えるわけですよ。想像もしたくないんだけどね。
そんな訳で頬杖。手持ち無沙汰に、お二人さんがお着替え終了までこうしていることにする。
出来る事なら寝て待ちたいような状況。
匂いはないし、臭くは無いけど視覚には悪い。
目に色が痛すぎるって話はよく聴くけど、ここはそう言う感じ。物がありすぎて目に痛い。
...ふと。考えれば、こんな場所の更に奥まった場所で着替えが出来る嶺峰さんと鶺鴒さんの感性が疑われる。
でもあえて深くは問いかけないようにする。気になったら調べに行っちゃいそうだし、それで見た光景が信じられないようなものだったりしたらって考えちゃうと、やっぱりね。うん、着替え場所は綺麗に整っていると信じましょう。
と、どうでもいいような考えをしてたら何分か待っていたようで、

「申し訳ありません。鶺鴒様のお着替えをお手伝いしていましたら遅くなってしまいました」

とことこっとあの赤と黒、二色染まりのメイド服のような、魔法少女姿に身を包んだの嶺峰さんが私の真横に立つ。
ひらひら指を振り、ちょっと口端で笑みを浮かべて大して待っていないって事をアピール。
そんな私の態度に安心したのか、嶺峰さんの表情が笑顔へと直る。
こう言う場所では似合わない笑顔なんだけど、それを独り占めできるって言うのは、正直悪い気はしなく、でも同時に、彼女がこうやって気兼ねなく笑顔を向けられる人が極端に少ないと言うことを明らかにしている。
彼女が今のところ、何の気負いも無いように笑顔を向けている人と言ったら、私とあと、今は私の胸元ですやすやお休み中のレッケルだけのような気がする。
そうだ、ここの主でもあるキノウエって人に笑顔は見せていたけど、そもキノウエって人は彼女を見てはいなかった。
どっちかって言うと、あの人は自分の内にだけしか目を向けていないような気もする。だから、彼女には他の人とは違う意味で関わらないんだ。
そうして鶺鴒さん。彼女にも笑顔は見せてたけれど、やっぱり少し違う笑顔だった気がする。
どこか強張ったって言うのか、彼女の本心の事だから、正直解らないんだけれど。やっぱり、何か違った笑顔だった気もする。
どうしてなのかがわからないのはちょっと問題かもしれないけど、とにかくそうなんだ。
でも、それでいいわけがない。
彼女は普通の人なんだもの。普通の人らしく、フツーに皆と付き合っていってもおかしくない人。
だから、小さな誓いを立てた。皆と仲良くなれるようにしてあげたいと。最後に自分のことは忘れさせちゃうのだけれど、でも、それでも彼女が皆と一緒に笑っていれば、まぁ、無駄じゃないかなって思ってる。
だから暫くは一緒に。この笑顔を向けていてもらいたいな。
と、そんな風に綺麗に決めて見せようとしたところで、どんがらがっしゃーんって音が聞こえたのですよ。それも、嶺峰さんがさっき顔を出して着替え終えて出てきた辺りから。
いやいや、よく聴くとまだ音が鳴っている。それも軽快とか、そう言う音じゃなくて、何かが何かにぶつかってひたすら何かが地面にぶつかったりしている、早い話が衛生上耳には良くない、そんな騒音災害。
思わず顔をしかめて、両の耳を劈く騒音に耳を塞いでしまう。

「ちょっとぉーここ狭いんだけどー。あのさぁキノウエセンセにも一回びしっと言った方がいいと思うわけよ。片付けの本質は捨てる事にありって言うでしょ。部活動でもやる気の無いヤツはどんどん切っていくに限ると思うのよね。
だからさ、ここももっと切っていいものとそうでないものに分ければいいと思うわけよ。でもキノウエセンセアタシの話なんててーんで聴きゃしないでしょ?だからーネミネかサポートちゃんが話しつけて欲しいのよ」

騒音を立てているであろう張本人さん、鶺鴒さんが文句といえばいいのか、愚痴といえばいいのか、そんな相変わらずのマシンガン言葉を口に出しつつ顔を出す。
で、その後に続くのを見て、呆気に取られた。と言うか、呆気以外にとるべき感情が見つからないかったと言う方が、ある意味では正しい。
唐突だけれど、日本には『ギジンカ』って言うのがあるらしい。漢字にすると、確か『擬人化』。つまりは、人ではない物、動物、ただの物体に関わらず、人のような外見に脳内変換して考えられると言う怪しいやつなんだけど、つまりはそう、今目の前に現れた鶺鴒さんの姿も、まるっきりそれなのだ。
戦闘機の擬人化、戦車の擬人化、何でもいい、兎も角アレは最早魔法少女とか、そう言う次元の服装、いや、装備じゃない。
まさしく"重装備"と言うが最も正しいであろう、常軌を逸したその姿見。そう、まさに、"兵器"の擬人化だ。
ちらとスリットから見える黒のハイソックスと、そこから伸びてるガーターベルトは宜しい。鶺鴒さん脚とか綺麗だもんね。すごく良く似合ってる。
ソレと同時に着用しているスカートなんだけど、これがまたマントと間違えそうなぐらい長いようで、腰辺りで一回纏められてから降ろされている始末だ。
言ってみればスカートと言うよりは腰巻。カーテンを丸ごと巻いているにも近しい。
濃い藍色が清楚な雰囲気を醸し出しているし、なんとなくミステリアスっぽく見えないことも無い。
と、ここまでは魔法少女っぽいのだけど、それは下だけだ。上に目を向ければ、一気にそんなのはどうでも良くなる。
上着なんて着てないも同然だ。臍だしルックに、バカみたいにでっかい胸を強調するかのように、胸の前でだけボタンを止めただけのこれまたフリル満載の上着。
ほとんどぱっつんぱっつんでそんなの着ている意味なんてあるのかって言うぐらいよ、まったく。間違えなく、背伸びしたら下から胸見えるか、ボタンははじけ飛ぶわね。
と、この時点でアンバランスなのが重々解るんだけど、とどめの一撃と言わんばかりにそんな格好もどうでも良くなるようなお姿が目の前にある。
スカートも、上着も、まだ着るものとして機能している。
問題なのは、両肩に取り付けているアーマー。そう、鋼鉄製の、無骨としか言いようの無い、おもっ苦しい馬鹿でかい鉄の塊としか形容できないアーマーを両肩に取り付けていやがられるのだ。
爆弾を投下すると出来上がるきのこ雲のような紡錘形。
その紡錘形の中身をくりぬいて、外殻を直接取り付けたかのような、漆黒の無骨なアーマー。
それが彼女の両肩に、その長身にも迫る勢いで備え付けられていると言たのだ。
横から見るとその形状がますます持ってよく解る。
まず紡錘形の肩アーマーは恐らくは紡錘形状の板を肩を包む部分で曲線を描かせ、もう一つと一つにすることで一個の肩アーマーになるようになってる。
つまり、横から見れば肩は見えなくでも腕はよく見えるのだ。
がらがらと物が落ちる。そんなすさまじい格好をしているものだから、ただでさえ物でまみれたこの場所からすればぶつからない方がおかしい。
事実としてぶつかりながらこっちへ来るんだけれど、止めなくていいのかしらね。あれ。

「ホンットに物の多い空間よねー。まぁほおっておけば捨てていくかもしれないからほおって置いても構わないでしょ。
あーあ、この格好で夜中に歩き回るのって厭だなぁー。学生職業って正直大変よね。ホラ、時間が足りないのよ、圧倒的に。この間だって部活で一週間前にコンクール申し込みがあったのよ?信じられなくない?そんなんだから部員の人数が少なくなるのよ。華道部だって言うのに落ち着いて花を生けられもしない。
あ、準備できた?んじゃ行きましょっかー。ちゃっちゃと終わらせて帰るわよー」

見られたら恥ずかしいとか言いつつ、物を落としながら出入り口へ向かう辺り理解出来ない。
確かにもう直ぐ日が落ちる時間帯だ。そうなれば、例の鋼性種が何処からともなく現れる。
とは言っても、まだまだ学校内に人は残っている可能性も有るのだ。だって言うのに外へ出て行くというのは、自覚しているのか天然なのかが解らない。
あれ、じゃあ嶺峰さんっていっつも何処から出て行っているんだろ。真逆、鶺鴒さん同様に出入り口から素直に出入りしているわけじゃ。

「では参りましょう、アーニャ様」

差し出される手。転んでしまった恋人に、手を預けるように差し出された手は、腰掛けていた私を引き起こすためなのか。
勿論その手を取るには取るんだけど、ちょっと肩をすくめちゃう。
差し出された嶺峰さんの手の向こう側は、さんざん物の落ちた細い道筋。ああ、そうよね。窓からは出れないわよね。じゃあ、素直に出て行くしかないわよね。
ええ、恥ずかしくありませんよ。恥ずかしくありませんともさ。
仮令校内を魔法少女姿のおねーさん二人と歩いていてコスプレ少女と思われても苦にもなりませんともさ。
自分にしっかり言い聞かせ、その手を握る。
手は暖かくて、私の心はちょっと荒いでいた。

第十六話〜魔法〜 / 第十八話〜襲来〜


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