第十八話〜襲来〜


幸い誰にも会うことなく、何とか無事に巨木の真下まで来たんですよ。
ええ、来たには来たんですけど、どうにもこうにも時間が早すぎだったみたい。
丁度日が沈んだ程度の頃合。でも、まだ西側の空は僅かに紫がかって鮮やかになっている。
直に夜と呼ばれる時間帯になるんだろうけど、例のアレが出現するにはまだ結構な時間があるのだ。
アレが出現する時間帯は、まだ二回しか見ていないけど、もうちょっと後、のような気がする。
だって、あんなバカでっかいのがまだ日も暮れていない頃合に歩き回っていたら大騒ぎだもの。
でも、今の今まで大騒ぎされた事も、アレの話題が耳に入った事も無い。
それはつまり、アレが日中行動する事は少なく、魔法少女や魔法使い同様に、独自の"活動時間"というものを持っている事に違わないんじゃないかな。
まぁ、あんなのに時間の概念とかが当てはまるのかどうかは怪しいところなんだけれどね。
一度大きく伸びて、宵闇に間もなく包まれるであろう世界を網膜へ焼き付けておく。
これから先の世界は、魔法使いでも不可知の領域。
いや、今まで多くの魔法使いが俗世間に輩出されてはきたけれど、誰一人として、あんな巨大な生命体を見たと言う魔法使いは一人としていない。こうしてそんな事考えている私だって同じよ。あんなのが生命体だって言われても、理解出来るはずも無い。
即ち、どんな魔法使いでも味わった事も、感じた事も、実感した事でさえもないであろう、まさに現実から離れた幻想に生きているモノが、その幻想からなお離れた幻影に挑むが如く、と言ったところかしら。
踵を返し、二人の魔法少女をそれぞれ見やる。
暮れ行く夕日と、靡く夕凪を一身に受けて佇み続けるのは、相変わらず綺麗な横顔を向けたまま直立不動で動かない嶺峰さん。
その背後には、彼女の愛用武具である巨大な星型八角錘のドリル楯、ホライゾン。
各言うもう一人。そう。巨木の根元、一際大きな根っこに腰を下ろして、髪の毛をくるくるいじくったり、大きなあくびをしたりで、どうにも気合の入っていなさそうな鶺鴒さん。
時折ばふばふ腰布をばたつかせるもんだから、思わず見えちゃう下乳は勘弁して欲しい。と言うか、下着ぐらいつけてよね。
で、それを見ちゃったから思わず顔を逸らす私を見て含み笑いしないでほしいわよ、まったく。私はただ単に人が来ないかどうかで不安になっているだけなんだから。

「おーい、サポートちゃん。ちょっとオイデませやー。おねーさんがお話ししてあげるわよぉん」

そんな猫なで声で呼ばれても、いい気分はしない。
何だか初めてここに来たとき、電車の中であったことを思い出してしまって、やっぱりいい気分はしない。
でも、ここで行かないままだと後が怖い。だってあんな豪快と言うか、傍若無人な考え方だとかマシンガントークの炸裂っぷりだとかから、自ずと彼女がどんな行動に出たりするのかなんて否応なしにも予測が立てれてしまうのだ。
そんな訳で無視するわけにもいかず、やや肩を落とし気味によじよじと根っこを上って、その人の下へ。

「おー偉い偉い。今時の若い事は思えないような活動ッぷり。
最近の若い子はアレよねー体力不足で道徳不足!失礼極まりない行動とか平気で出来ちゃうからおかしいと思う訳よ。そんな人たちに囲まれて生活していると殺意も沸かなくないよねー。
あ、アタシは違うのよー。ちゃんと道徳持っているんだから。でなきゃ華道部の部長なんて出来ないわよ。
でももうすぐ大学の方へ行かなくっちゃいけないからねー、中等部にいい子がいるからそのこに跡継ぎさせようと思っているわけよ」

隣に腰掛けるや否やで始まるマシンガントーク。よくもまぁ話題の尽きない人と言いますか。
確かに、にぎやかなときには盛り上げてくれる人だと言えなくも無いけど、厳粛な時とかもこのままだったらたまらない。
こんなんで本当に華道なんていう部活が出来るのかなと思って、初めて彼女を見たときの、あの粛然かつ静謐な雰囲気を思い出す。
確かにそうだわね。あの状態であると言うのなら、彼女が華道と言うものを扱いきれるのも納得できる。
が、でもこのマシンガントークはいただけない。せめていつもあの状態なら、嶺峰さんとも仲良く出来るような気もしないでもないんだけど。似たもの同士みたいな雰囲気だったしね。

「でさ、サポートさん。貴女新入りさんよね。いやそんなの知ってるんだわ。だってこの間、ってアタシが最後に鋼ちゃんとやりあったのが五月の中旬辺りだから、一ヶ月ちょっとだわね。そのときには居なかったもんね。
てことは新入りさん。アタシ先輩。イェーイ。と、そんな事はどうでもいいや。でさでさ、貴女、鋼ちゃんの事どんだけ知っているの?まったく知らぬ存ぜぬ?それとも噂程度?それともアタシやネミネよりは知っていたりする?だったら伐採魔法少女代わってー。アタシ部活や生活忙しいのよねー」

がしがし言われると頭が痛くなってくる。まさしく人の気持ちを考えない独断専行。眠っているレッケルが羨ましく感じるわよ。
替われるものなら替わって欲しいと言うのは、僅かながらで叶う事なき小さな懇願。でも、思ったところで状況に変化があるわけでもないので仕方なく相手を始める。

「いーえ。とりあえず魔法少女の件は全力でお断りさせていただきます。で、鋼ちゃんって、鋼性種って...生き物の事でしょ?どうでもいいけど通称で呼ぶの止めてくれない?解りにくいったらありゃしないわ。
で、本題の方だけど。私の法で知っていることっていったら...そうねー精々キノウエって人から基本的な生物学的視野の意見を貰ったぐらいかな。生物界の第101門だっけ?そのぐらいよ」
「あーそうかそか。なるほどなるほど、正しくサポートさんらしくその程度しか知らされていないか。
まぁいいわよ。アタシも始め教えられていたのはそのぐらいだったし。あの人だって実際鋼ちゃんの事をよく知っているわけじゃないのよね。アタシの一族が今ん処一番鋼ちゃんとやりあっているしね。
でさ、そんなサポートちゃんにだけの特別講師の時間よん。これはネミネにも教えていない重要情報。いやーずっと誰かに話したくってうずうずしてたのよー。でさ、聴いて聴いて」

やや気になる発言があったのは辛うじてスルーした。
正確にはスルーしたと言うより、左の耳から入って、右の耳から突き抜けた感じ。考える事ではない事を考えそうになったので、即座に言葉を返す。

「何よ。特別情報って」
「キノウエセンセの言ってる事はあながち間違いじゃないのよね。
生物学的視野から見れば、鋼ちゃんって間違えなく今までの生物学理論をぶっ壊すトンデモ存在でしょ?そういった不可解存在にああいった学術理論を当て嵌められただけでもさ、アタシ結構感動してたりするのよね。
でも今からのお話はビミョーに違うのよね。いい?いい?言うわよ?ハートの準備は整ってる??」
「いいから言いなさいよ。あと、顔近づけて言わないで」
「ぶーっ、いけずぅ。まぁいっか。で、これからのお話は代々伝わる...あ、御伽噺じゃないちゃんとしたお話だからね?そこんとこ勘違いしないように。
では。まず鋼ちゃん―――鋼性種にしよっか?まじめなお話だもんね。鋼性種って実際的を得た名称よ。鋼の性を持つ種。そうね、アレらの単体固体の思考はどちらかと言えば機械に近いと思わない?
あ、サポートちゃんって鋼性種一回でも見たことある?あると判断してお話しているんだけど」

無言に頷く。妙な発言をするとまたおかしな切り替えしをされるのが嫌だったから、短い動きだけで鋼性種との接触があることを伝えた。

「おけおけ。でさ、思考回路が機械的っていうけど、実際コンタクトを取ったわけじゃないし、向こうからコンタクトがあったわけでもない。魔法少女やっている一族の誰も、アレとのコンタクトを成功させたのは居ないのよ。
まぁ人語が理解できるような存在じゃないから驚くような事じゃないんだけどさ。にしたってあまりにも認知能力が低いのよね。そのくせ認知していない、つまりは、鋼性種ってのが感覚的、五感でも何でもいいけど、そも五感やらの感覚器官があるかどうかも怪しいんだけど、とにかく、そういうので認知、認識しない対象に対して干渉能力がまったく無いってものなのよ。
まー早い話が足元にいるちっちゃい虫をふんずけても人間は気にしないでしょ?ソレと同じで大きく違う。人間やそのほかの生き物は虫を踏み潰したらその虫死んじゃうけど、鋼性種だけにはソレが該当しないのよ。つまり、鋼性種ってのは『足元に虫がいるぞー』って認識しなきゃ、踏み潰したとしても、鋼性種にとっては『足元には虫なんていなかったよー』って認識しちゃうから、その踏み潰した虫に対しては一切干渉しない。つまり、虫は踏み通されないって事」

なるほど。思わず頷いてしまった私を見て、なんだかうんうん頷いている鶺鴒さんはほおって置くとして、キノウエって人が言っていた事と、私が鋼性種と初接触したときに味わった妙な違和感がコレで漸くつながったわけだ。
つまりは不認知。あの時鋼性種は、足元に私がいるなんて認知していなかったから、私は足で踏み潰されようが、どうであろうが干渉なしだった。
それだけじゃない。あの時地面が破壊されなかったのも、音がまるで無かったのも。全ては不干渉。何も認知していないから、何にも干渉しないし、こちらからも、出来ない。
はて、でもここで一つ疑問。このことが機械的と言う事と、一体どんな関係があるっていうのかな。

「はいはいその表情は疑問持ちの表情ねー、ちぃっとお待ちなさいや。慌てなくても教えられることは教えてあげるからね。
で、判っている事と言えば実はこの程度。長年やりあっていてもまだまだ不可解な点の多い不思議生命体ってトコ。
まぁ、鋼性種ってのが認知するのは敵対行動だとか、攻撃意識だとか、障害認知だとかをすると"認識"になるらしくて、初めてこっちも向こうも干渉可能になるのよ。
あ、ただし勘違いしないように。連中が認識するのはあくまで私たちを敵対存在として認識するだけで、本質的にはなーんにも変わってないの。
つまりはこっちが攻撃しかけても、向こうがこっちの攻撃を攻撃として認識しないんじゃ手も足も出せないって事。反則臭いけど、でも仕方ないわよね。
ところがどっこい、アタシのヴァーティカルやネミネのホライゾンは有効よ。だって単純にぶった切ったり突っ込んでぶっ刺すだけだもん。要するにその程度なら攻撃として認識されるわけ。
あーただし人間が想像できる範囲での特殊攻撃とかあるじゃん。ノベルとか、漫画とかの。ああいうのはてんでダメね。まるっきり通用しないから。だって連中、人間の考える程度を気にする必要なんて無いもの。
でさ、今までのでどの辺りが機械的だって言いたそうな顔つきよね。そんな顔しないしない。折角の美人が台無しダゾー。でも気付かないかな?今まで話した情報で十分機械的な存在、思考を持っている存在だって解ってもらえると思うけど」

そんなこと言われたって、解るわけないじゃないの。ただでさえ鋼性種って存在そのものが訳の解らない存在なのよ。
今お話された事だって、早い話がまったくもって鋼性種ってのが、如何に不可解で訳のわからない存在であるってことを再認識させただけ。そこに機械的な要素なんて、これっぽっちも。
...はて、でもそうかな。なんだか引っかかっているような事があるようなないような。
認知していないモノには干渉しない、そして、認知されていないモノは干渉も出来ない。
あーそっか。つまりはそう言うことだ。なるほど、なら機械的だ。
つまりは機械。活動するだけ活動していて、他の何にも興味を示さない。居ても居なくてもどうでもいい。お前らの事など知ったことか、と言う無機質さ。
生き物でありながら認知しない対象は、完全無視。まさにVollendet、完全無比なる無視の体現。
空前絶後の、今まで聴いた事も無いような無視を可能としていると言うのだ。
認知していないものなど、居ないと同じ。
お前など、居ても居なくても何も変わらない、それがどうした、それらの意思そのものの体現。
機械と同じ、居ても居なくてもいいものとしてしか判断しない、そも、判断の対象にも入れはしないと言うその性質。
なら機械的だ。完璧に、想像を絶するほどに。
そう、存在の是非など聞いちゃいない。鋼性種にとっては人間なんて、存在していてもいなくても、何も関係ない、ただの物ですらないと言う事だ。
そう言うことなら何も通用しないと言うのが理解出来ないわけじゃない。いや、そう言う性質を持っているって時点で理解する事など叶わない存在だっていうのは解るんだけどね。
どうでもいいものは受け付けない。
鋼性種にとって、思考回路が出来きて色々想像出来ようが出来まいが何ら関係ない。
鋼性種と呼ばれる存在にとって、私たちの考え方、生み出した技術などなんの意味も無い。意味の無いものは受け付けるにも値しない。
そも、受け付けるとか、そう言うステージにさえも上れない。
後ろ向きになって演劇を見ているようなものだ。存在は感じられるけど、何をしているのかが解らない。
だから、こっちが何をしようが関係ない。そんな事など知ったことかと、演劇は続いていくでしょうね。
鶺鴒さんの言う鋼性種と言う存在は、つまりはそう言うことだ。
私達は観客ですらない。鋼性種と呼ばれる不可解な存在に挑めるのは、立った二人。魔法使いでもない、普通の人間である二人の女性。魔法少女、二人。

「うんうん。頭の回転が速いみたいね。今の説明で理解してくれるとうれしー。
もっちろん始めアタシもそれを知った時はんなアホなーって思ったんだけど、これが吃驚その通り。まるっきりなーんにも通用しないのよ。
爆薬ダメ。実弾ダメ。その他もろもろ、動員出来る事は片っ端から動員してみたんだけど、外殻に罅も入れられやしない。
まっ、仮令攻撃と認識できる方法で普通にぶん殴ったり、噛み付いたりしても、ぜーんぜん通用しないでしょうけどね。
知ってる、もう一つ?単一性元素肥大式。これって鋼ちゃんの生態機能何だってさ。キノウエセンセが名づけの親。始めはなんですかーって感じだったけどすっかり定着しちゃったわよねー。
ほら、あのホライゾンも握り手部分のところは違うけど、あのドリル状の部分あるじゃん。あの星型八角錘の部分はそれぞいれ菱形四角錘に分離して、全八つの錘が一点に集中してあの形状を作ってるんだけどね。
その一角一角も全部単一性元素肥大式、で、アタシの持ってるヴァーティカルも単一性元素肥大式の刃を持っているのよね。結構重いわよ?持つ?」
「ちょっと待ってよ。一片に話されてもどう対応していいのか解んないの。私は脳みそ一個しか持っていないんだから一度に考えられる事だって限られているの。
ひとまず一個ずつ聴くけど、その単一性元素肥大式って、何?キノウエって人もなんか言ってたけど、それ、そんなにマズいの?」
「あーマズいマズい。どのくらいマズいかって言いますと、地球がどっかんしても単一性元素肥大式ってモノで構築されているモノには罅一つ入らないってぐらい。
物体とか触れたり出来るものって元素の集合体でしょ?極論から言っちゃえば。細胞だってちっちゃーい元素、果ては素粒子の集まりな訳だ。
つまり、物体って言うのは生命体とかそうじゃないとか関係なしでそう言う微小粒子の集まりなの。
ところがどっこい、ここで出でまするのが噂の単一性元素肥大式。
これは読んで字の如し...って、あ、口で言っても漢字わかんないわよね。
単一性は単一性。一性質しか持ってないって事。元素はそのまま元素で良くて、肥大式って言うのが肥えて大きくなる式って書いて肥大式。
でさ、この単一性元素肥大式、呼んで字如く、単一の元素...一個の元素体に拡大拡大を繰り返しまくって一個の元素でありながらとんでもなく大きくした、一個の元素体にするって公式なの。
これどーゆーイメージか解る?元素って丸っこいでしょ?でっかくて硬い球を想像してよ。そんなん。それが単一性元素肥大式て構築された、一元素による単独元素体。
一個の元素体だけで出来ているから、罅も入らなければ壊すこともできない。元素同士の結合が無いからね。物体の破損や、人体の損傷ってぶっちゃけ元素の結合が破壊されたから発生するのよね。
でもね、この単一性元素肥大式で作られた一固体はまさに隙間もありゃしない、完璧な一固体物質。
でもそれって手を加えることも出来ないって事だから、たーだ丸いもので終わっちゃう役立たず。そこで吃驚玉手箱ですよ。鋼ちゃん方は生まれながらに、とは言ってもどんな風に生まれているのかは誰も知らないけど、生まれた時点からこの単一性元素肥大式って言うのをまとって生まれてくるのよ。
つまりは定着。その元素が、その形になるような遺伝子情報を直接送り込むことによって、本来単一性元素肥大式を実行したらただの硬いだけの球体にしかならない筈なのに、曲線を描くものを作れたり、鋭角とかを作り出せるって事。
要は"この元素は丸じゃなくて○○ですよー"って言う情報を送り込まれながら生まれてくるから、初めからそのようになっているって事。それだから鋼性種って言うのは半ば無敵なわけ。あ、無敵じゃないわよね。アタシ達踏ん張って鋼ちゃん達とぽかすかやってるもんね。
まぁ尤もどんな元素体を使用して形態を形成しているのかは定かじゃないけど、あの銀色、原子番号47かしらね?ん?82もありえるかしら?まぁ抗菌性とかを考えればアレだ。銀が相当だとは思うけど、実際実サンプルがないんだからどうしようのないわねぇ。何しろ鋼性種の実体子元素だもの。どんなもんかしら」

頭が痛い。何を言っているのかがまるっきり理解出来ない。
でも単一性なんとやらが何であるのかは、たぶん理解できた。
つまりは元素同士の結合の無い物体と言う事だ。それが正しい物質かどうかは別として、一個元素で一個の固体そのものに。
どんな方法かは理解できないでしょうけど、ともかく、ある決められた形に成るような、"そのような形"になるような情報を送り込んで、肥大させていけばいくほど、その形になっていくと言うことらしい。
なるほど、それじゃあどんな攻撃も無意味だ。だって攻撃って言うのは極端に言っちゃうと、元素同士の結合破壊に他ならない。けど、単一性にはそれがない。元素同士の結合と言うものが存在しないのだ。
...でもちょっとまった。それじゃあ鋼性種って言うのは動くことが出来ない筈。
全身をソレで覆い尽くしていると言うのなら、間接を曲げる事なんて出来やしない。
絶対に壊れないと言う事は、逆に言えば、柔軟性にかけると言うことに他ならない。尤も、アレに柔軟性なんて言うのが関係あるのかは知らないけどね。
そんな事を言いたそうにしていたのがばれたからか、隣で考えごとをしているときの表情になっていたであろう私の顔を覗き込みながらニヤニヤしている鶺鴒さん。...気付いているならさっさと言って欲しいんだけど。

「ふっふっふ。間接がどうだとか考えていそうね。そりゃあぬかりないわよ。アタシたちが理解出来ない存在が、私たちの考え以下である筈ないじゃん。生存維持機能を阻害するような機能は持たないって。
どんな生き物でも自分で自分を殺すような、自分で自分に生き難い様な枷は仮せないでしょ?鋼ちゃんたちも一緒。鋼ちゃん達の全身は確かに単一性元素肥大式で構築された外殻で覆われているんだけど、節々って言うのが存在しているのよね。
でーも、勘違いしちゃいけないのがそこから攻撃すれば効果あるんじゃないのとか思っちゃダメよ。その節の内側も筋組織みたいに編みあがった単一性元素肥大式で覆われているんだから。
でーも、それじゃあアタシたちにも打つ手ないんじゃないのって思うのが甘い甘い。言ったでしょ?アタシ達の持っているのはホライゾンもヴァーティカルも単一性元素肥大式の組み込まれた武器でしょ?ダイヤモンドを削るならダイヤモンドってね。アタシ達ならどーにでもなるってわけ。不本意ではあるんだけど、伊達では魔法少女はやってないわよ?」

最後の最後にだけ、どこか見覚えもあるような、そんな生真面目な表情を見せ、撃ちっぱなしのマシンガンは漸く弾切れの兆しを見せる。
大体のことはよく解ったような、何も解らないような、そんな曖昧な気持ちだけが渦巻いている。
ともあれ一番よく解ったのは、鋼性種って生き物がどんだけ常識ってモノを逸脱した化け物じみた、それでも、私たち同様の同じ命を育む存在である、それだけだ。
ただ、一つ気になることがある。ちらと視線を動かせば、相変わらず風に黒髪を靡かせ、悠然とした出で立ちのまま、嶺峰さんは虚空を見つめ続けている。
どこか、私たちから疎遠にされている事を物寂しげにしているかのような、そんな出で立ちにも見えた。

「ねぇ、そのこと、嶺峰さんには?」
「言ってないって言ったしょ?別段、知ってなくても困んないわよ、ネミネなら。あの子強いもん。
サポートちゃんなら知ってるでしょ?あの子、今日の今日まで一人で鋼ちゃんとタイマン張ってきたんだよ?情報なんて意味無いわよ。あの子は鋼ちゃんとやり合っているだけの人生がお似合いって事」
「ちょっと、何よそれ」
「意味ないって言わなかったっけ?あの子には関係ないのよ、そんなの。
情報持っていようがいまいが関係ない。あの子は生まれながらに鋼ちゃんとやりあう事を運命付けられていた。
それで十分。あの子にとって鋼ちゃんは自分の人生そのものなのよ。そんなの相手に余計な情報なんて不要って事。
あの子は戦いまみれの人生が一番。って言うか、あの子にはソレしかないのよ。
一緒に居て良く堪えられるわよね、あの雰囲気。アタシは無理だなぁ、あの雰囲気に飲まれるのやだもん。
自分が塗りつぶされるって感覚かな?それが堪えられないのよ。
誰だって自分が大事でしょ?優しさとかも大事だけど、やっぱ自分が無くちゃ他人に優しくしている余裕も無いわよ。
あの子の近くに居ると、そんな余裕も消えてなくなるわよ。実際、アタシがそうだからさ。結構な勢いで皆そうだと思うわけよ」

その言葉に、あえて反論はしなかった。正確には、出来なかった。
だって、彼女の言っている事はある意味で正しい。間違っているとはいえない。でも、正しいとは思いたくないと思うのが私の意志だ。
でも、やっぱり大勢の人は彼女の言うとおりだと思ってもしまう。
嶺峰さんのあの独特の雰囲気、近くに居ると、自分が磨り潰されていくような感覚。
自分そのものを保つのが精一杯で、気にかけているような余裕が生まれてこない。
勿論、それを私自身が感じていない筈が無い。
一番近くに居て感じられる、いや、こうやって、遠目から眺めていても感じられるその感覚。
全てにおいて、他の人に勝っている彼女は、それ故に、他の全ての人から否定されてしまう立場に立ち、またそれ故に、他者(ひと)との関わりと言うものを欲している。
得られないものである事を理解しないまま、自分自身の異常を理解しないままで他の人と関わってしまおうとする為、誰からも拒絶しか示されない。
それを何とかしてあげたいと思う私は御節介かもしれない。
魔法使いとしては間違えで、個人としては正しいと思いたいけれど、それが本当に今の彼女に必要な事なのかがわからない。
知れば、彼女はどうなるのか。
彼女は浮世から離れた地点に立っているからこそ、今の彼女でいられている。
でも、もし彼女が彼女以外の世界を知れれば、これまでの彼女ではなくなってしまうかもしれない。
彼女は、今のままだからこそ世界でより輝くような存在となっているけど、もし、彼女が触れたがっているものに触れてしまえば彼女は普通のソレと変わらなくなってしまう。
...ああ何考えているんだろ私。
それでいいと、決めていた筈。
それが正しいって、訴えかけてきた筈。
彼女は浮世だっているから一人ぼっちで、でも、その内面は普通の女の人なんだもの。
だったら迷いなんて無い筈だ。彼女は彼女の場所へ帰らなくちゃいけない。彼女は、自分の家に帰らなくっちゃいけない。
すっくと立ち上がって、軽口を叩いていた鶺鴒さんも無視して、木の根の上から地上へと降り立つ。
そのショックを脚に滞納させた魔力で打ち消し、それでも、結構な衝撃は全身に伝わったから目覚めちゃったレッケルの事も無視して、直向に嶺峰さんの元を目指した。
無言のままでその横に立つ。
風が強い夕暮れ――ああ、随分と話し込んでいたものだから、もう日も暮れちゃったから、夜だわね。
そんな夜になったばかりだったから、羽織っていたローブがばさばさ翻る。
髪の毛も、普段から手入れを怠っていない所為でぶわっさぶさわっさ。鬱陶しいったら、ありゃしない。
そんな状況に私は怪訝な顔でもしていたのか、いつの間にかに、傍らに佇んでいた嶺峰さんの表情が僅かにほころぶ。
あの笑顔を向けて、静かに儚く、でも、女の子らしい笑顔のまま、ずっとずっと笑っている。
その笑顔を向けられて、やっぱりそう言うのがいいと思った。
彼女は普通で、私は魔法使いでいいと思う。
変わらないかもしれない毎日が、平凡な毎日が幸せなことだって気付いたのは魔法使いになる前から知っていたことだった。
だから、小さな誓いと夢を彼女にかけてみたいと思っている。
私は魔法使いになることを決めた。魔法使いになって、多くを助けたいと思っている。
でも、彼女はそうじゃない。
触れたいものには触れられない。
話したいものには話せない。
何が原因かは知らなくとも、それはきっと悲しい事だと思いたい。私はそう思いたい。
だから決めたのだった。
彼女は普通でもいいから、普通なりの生きていって欲しいと。
仲良く話し合って、普通に普通に、時折悲しい事があったら思いっきり泣けばいい、憤る事があったら、声を出して怒ってくれればいい、そして何より、楽しい事があったら皆にあの笑顔を向けてあげて欲しい。
そう言うのが、誰より何より、一番輝いていると思うのだ。
私が少しだけ望んだ、普通と言う名の生活。
私が望んでも、はや手に入れることは叶わない一つの願い。
それを叶えてあげたい。私が追いきれなかった夢、私があきらめてしまった夢が、どうか、彼女にとって救いのようなものになってくれると誓って、彼女の為に、何とかしてあげようと―――
言葉はなく、お互いに見つめあいながらちょっと恥ずかしげに私が笑って、それを和やかに笑いながら見つめていた、そんな時間。胸元がざわめいた。
軽く肌を噛む感触。痛いというよりは、熱いと言った、その感覚。
胸元を大きく引っ張り上げると、レッケルが目を真っ赤にしていた。
その眼の色を見て瞬時に判断。
警戒反応。レッケルの水膜結界に、何かが反応した証拠。そのとき、レッケルの目は真っ赤になる。
周辺に見知らぬ人が居るときはレッケルが喋れないのでコレで判断する。
そして、今現在の時点で水膜結界に反応する対象は三つ。
うち一つの所在は知れており、うち一つは此処にあり、即ち、この状況でレッケルが反応する対象は唯一つ。
目線を逸らせば、いつの間にかに嶺峰さんは笑顔ではなくなり、細められた目線は静かに虚空の向こう側に居るだろう、アレの存在を感知しているかのように爛々と光を湛えている。
がしゃんと言う音。でもそれにも私も嶺峰さんも反応はしない。聴きなれた音は、鶺鴒さんの纏っている肩アーマーの重量感溢れる音だ。
彼女も鋼性種を探知する事が出来る才を持っているのか、あの木の根の上から、いつの間にか私たちの背後に回っている。
尤も、相変わらず飄々とした表情に変化はないので、緊張感とかは皆無なんですけどね。

「来ちゃったか。来なかったら今日ものんびーり過ごせると思っていたけどそうもいかないみたいね。
タイプ、何だと思う?まぁ、鋼ちゃんのタイプって言ったら大型一機しか視認されていないんだけどね。
でも毎回毎回見るたんびにその容姿報告するのも面倒よねぇ。変えてくる向こうも向こうだけど。まぁ文句言っても通じないし、仕方ありませんか。んじゃ、いっちょお仕事お仕事」

肩のアーマーを大きく揺らして、鶺鴒さんが、んーっと背伸びをする。
緊張感が皆無と言った態度なんだけど、本当にこんなんでアレとやりあえるのかな。
でも、2秒経っていない内で私の思考回路は即座にそんな不安冠を取り除かざる得なかった。
鶺鴒さんの手に握られていた不気味な形状の物体。筆舌するのも難しいその形状は、しかし、鎌の刃を折りたたんだような形状のそれで、でも、あまりに長く大きかった。
それが開く。高速で。視認する暇も無いほどの速度で展開されたソレは、間違えなく鎌だった。しかも、ただの大鎌ではない。曲線を描く鎌独特のフォルムを持った刃の部位は、一枚刃の巨大な鎌ではない。
本来一枚刃の付いていなければならない箇所についているのは、一種のチェーンソー。
曲線を描き、鎌の一枚刃と酷似したフォルムのチェーンソーが取り付けられている。
そして、そのチェーンソー刃に立ち並ぶ刃は、鮫の歯のような山岳模様を描く刃。
伐採魔法少女と名乗った鶺鴒さんが持つ武器は、その名に違わぬ、巨大で、歪で、別世界の住人が使う文字のような、不可思議な文様がそのまま造形されたかのような、強大な鎌だった。

「距離とか解る?ネミネ」
「お待ちを。
.........少々解りかねます。少なくとも距離はそう近くはないようです。
また、何時ものような巨大感も感じませんわ。恐らく、特殊な方かと。少々警戒が必要となりますわ」
「...レッケルは?」

胸元を小さく開いて、小声でレッケルに問うも、返答は頷き。つまりは、嶺峰さんと同じという事だ。
でも、特殊な方って言うけど、鋼性種って言うのはまさか、あの大きいだけじゃないって事なのかな。

「ふーん...亜種タイプは久々ねぇ。五年ぶりぐらいかな?
あーでもあの時のタイプは突然変異の外見変化型じゃなかったからねー。今回は少しは凝ったカタチできてくれるのかしらね。
まっ、ともあれ軽視するのは良くないか。ネミネ。ホライゾン展開。限定区画方式」
「承知致しましたわ」

嶺峰さんが片腕で、相変わらずあの異様なまでに巨大な突貫楯ホライゾンを頭上へ掲げる。
けれど、今回の操作はどうにも前回の時のようにぶっ飛んでいくような操作ではないようだ。
私たち三人、あ、四人か、レッケルも入れてだけど。と、その四人の真中に立つ嶺峰さんが掲げるホライゾンが指す先は一番星の輝いた辺り。
時刻は当に夜に指しかかっている。つまりは、鋼性種という存在が活動するには十分な時間帯であるという事だ。
と、いきなり頭上で花火が炸裂したかのような爆音を聞く。
何かと思って視線を上に。ホライゾンが掲げられていたであろう位置に視線を戻せば、そのホライゾンが劇的な変化を見せている。
いや、それは変化というよりは分離。
八つの角で形成されていると言われたホライゾン本体に残された角は三角のみ。
指の一本抜けた鳥の脚のように、三方向へと花が開くように展開されたホライゾン。
そして、残った五角は何処かと言えば、唐突に、私たちの周囲を取り囲むかの様に地面へと突き刺さっていく。
そこからは昨夜見たのと同じ展開の仕方。
ホライゾン本体にくっつき、三方向へと展開されている角が放電を開始し、その放電が私たちを取り囲むかのように地面へ突き刺さった五角へと流れ出す。
そうして気付いた。これは結界だ。
結界本来の意味ではなく、内にあるものを保護するための、いわば魔法使いが展開するような防御壁のような結界。
勿論、私のなんか歯も立たないほど強固であろう結界が、常時放電現象となって私たちを完全に取り囲む。
嶺峰さんはホライゾンを掲げたまま動かない。
いや、あれは動かないというよりは、動けない。この結果を維持する為には嶺峰さんは動いちゃいけないんだ。
あんな細腕で、ずっとあの馬鹿でかいホライゾンって楯を私たちの為に"展開"し続けてなきゃいけないんだ。

「...早めに決着つけてよね」
「はいはいっ。文句はいいなさんな。アタシだって今すぐ帰りたいわよ。
今すぐ帰るには、これから来るやつが邪魔臭い。という事は、早く倒さないと帰れない。うわっ、ホントにがんばろ。
と、言うわけでサポートちゃんはしっかり伏せているように。思いっ切り振り切ってサポートちゃんの首まで叩き落しちゃ親御さんに合わせる顔もありゃしないからねー」

...そんなのはにこにこ笑顔で言う事じゃないと思う。
でも、私が鋼性種って言うのに対抗する術を持たないのはどうしようもない事実だ。
魔法でサポートするのもいいけど、今は無理。嶺峰さんは兎も角、鶺鴒さんは魔法使いの事なんて知らない人だ。
加えて奇人。うかつな事をしたら何を言いふらされるか解ったものじゃない。
だから身体を小さくかがめて、嶺峰さんの足元辺りに座り込む。これは勿論ちゃんと意味のあることだ。
足元で静かな声で呪文詠唱。背後で大鎌を構えた鶺鴒さんにはばれないよう、けれど嶺峰さんには聞こえるような声で、癒しの呪文を詠唱する。
ずっとこのままの体勢って辛いだろうから、せめてそんな辛さを和らげてあげられるようにだけはしてあげたい。
視線を上げる。っと、ばっちり目が合っちゃった。
私が足元から癒しの波動を送り込んでいるのに気付いているのかどうかは解らないけれど、でもその表情はいつもどおり。
穏やかに一度だけ私の顔を見送ると、また静かに、あの勇壮とした表情へと戻っていく。
しゃがみ込んだまま数秒。
動きのない状況下で、思わず空を見上げる。
星は一番星ひとつ。そう、さっきから、一番星以外の星は輝いていない真っ暗な世界だ。
まるで、空が消えてしまったみたいな虚無な空。
空のない世界なんて見たこともないけど、空が堕ちるって言うのはこう言うことなのかもしれない。
何かの本で読んだ事があるっけ。あの空が崩れ落ちれば、どこまでも飛んでいけるのに。そんな事の書いてある本だった。
でも、正直ゾッとしないわね。見上げた空には何もない。こんな空っぽな世界にほっぽり出されるぐらいなら、まだ空って言う蓋の閉められた鳥篭の中の方が過ごしそうだ。そも、空が堕ちたら飛んでいくことも出来ないわよ。コレ。
そんな空の果てに。
白黒の影を見た。
月の光だけが差している世界の果ての果て。
星の光と見間違えそうだけど、それは低空を滑空するかのように動いているところから星の光ではないと判断する。
そも、星の光はあそこまで活発に動いたりはしない。従ってソレが星ではないと判断できる。
喩えるならUFOかな。皆知ってる未確認飛行物体。奇天烈な動きを見せたり、急に消えたり。視界の果てに飛んでいるソレは、それに近かった。
そう、時折見えなくなったり、かと思えば見当違いの場所にぽっと現れたりするって言う変な動き。
あ、いやいや、消えてぱっと現れているって言うけど、それは違うわね。
遠目が利く上に夜目も利くものだから結構良く見える。
魔法使いは大抵闇に乗じて動くことが多いから、夜目も遠目も利くようになっているの。
で、そんな夜目が捉える遠方に瞬く白黒の陰影。瞬間移動しているのではなく、白と黒のストライプが丁度夜の闇に溶け込んでしまったから消えたように見え、そして唐突に白に戻るものだから、まるっきり別の場所に現れているのだと錯覚してしまうんだ。
よーっく見れば夜の闇に沁み込まないレベルでの黒の違いが判断できる。
そこから移動している事が解るんだけど、これがかなりの速度で飛行しているらしいからますます瞬間移動と見間違えちゃう。
振動するような音が聞こえる。
小刻みに何かが震えるような音。
羽虫が空を行くような音じゃない。大気と何かが高速で擦れあって出す独特の音。
ヴ、ヴ、ヴと言う、断続的に続く音が耳の奥に響いている。
でも、不思議と嫌悪感の感じない音でもあった。
それは私だけじゃなくて、鶺鴒さんも嶺峰さんも同じのようらしく、二人の表情も相変わらずのまま。と言うか鶺鴒さんは鎌を肩に乗っけたまま大欠伸なんてしてるんだけど。
と、急に姿が消える。まず遠目で視認できなくなり、そして夜目を凝らしてみても、夜の闇の中に溶け込んだ様子もない。
本当に消失して、黒と白のストライプは完全に宵闇の中へと埋もれてしまう。
その刹那に、嫌な予感がした。
背筋が凍えたような、直接氷を押し付けられたかのような、そんな急激に身体を冷やされている、そんな気分を味わうと同時に。
横殴りの、轟音を聞いた。
あんまりにも唐突な轟音だったものだから、思わず嶺峰さんの脚に添えられていた両手を離して耳に当てるんだけど、それでも轟音が消えない。
戦闘機が空気の壁を破ったときに発する音だと感じた。
以前テレビで見たことのある、そんな爆音が耳の直ぐ真横で鳴った様な、気が。
でも、周囲を見渡しても何も居ない。
轟音だけがまだ耳の奥のほうで鳴って、延々とドップラー効果を残したまま何もない静寂の世界だけが広がっている。
そんな筈だったのに、また今度は後方から轟音がする。
さっき聞こえたのと同じ、空気の壁を突き破った時に発する、独特の衝撃音。
轟音のした後方へ振り返れば鶺鴒さんの顔つきが変わっているのを確認。
耳は塞いでおらずとも、その表情から緊張感は自ずと伝わってくる。
三人がかりで周囲を索敵する。でも、その姿が何処にもない。
恐らくはさっき遠目で見たあの白黒だろうと思う。他に鋼性種らしそうなものはなかったし、それになにより、あの、白黒を見たときに感じた不可解さは鋼性種と呼ばれる生命体見たとき感じる感じとまったく同じだった。
即ち、あれは姿見はそうでなくとも、確実に鋼性種だったと言うこと。
意識を静かに集中する。世界は静寂に包まれてはいるけど、どこかあの音が聞こえている。
空気の壁を破る音と、ヴヴヴと言う、大気を振るわせる、耳障りな振動音。
でも、それがどこから響いてくるのかが判断できない。
全周囲に対して警戒心を張り詰めても、まるで気配と言うものがつかめない。それが、変に恐ろしかった。
音のする方向は絶えず変化している。
上方から聞こえたかと思えば、左右から同時と言っていいほどのタイミングで聞こえてくる事すらある。
耳に残る振動音の残響。一つの残響音が消えると同時になる、もう一つの残響音。
それの繰り返しが、結界で包まれている私たちの周囲で発生している。
それが、どれほど繰り返されたんだろう。
多分、そんなに長い時間ではない。推定で言うなら30秒ほどの繰り返しだ。
それ以後、音は消えて、草木を撫でる風の音だけが地を疾駆している。
でも、私は、私達は正面を向いたまま動けない。
後方からはチャリ、と言う鎌を構えた音。
上方からはきちり、と言う機器をより強く握り締める音。
そうして正面。夜の暗がり、その向こう側で、真っ白く発光した十字架を見た。


視覚に写る全ての映像が酷く愚鈍になる。
人間と言う生き物は車とかに撥ねられたりなどの重大な事故に合うと体内時計が崩壊するらしく、時間の進みを遅く感じる事があるという。
今の状況は、ややそれに似ているのかもと思った。
ただし、別に私達は何かに撥ねられたわけでも、何かに攻撃されたわけでもない。
ただ、正面から高速で接近してくる白光の十字架を見つめているだけに過ぎない。
でも、それだけだというのに時間の進みを遅くさせている。初めて鋼性種に遭遇したときのように、体の動きがまるで追いつかないのだ。
接近してくる白光の十字架は、正面から見た形状。
真上から見れば、きっとブーメラン型に見え、真横から見れば、それもブーメラン型に見える筈。
つまり、今こっちへと近づきつつある鋼性種は二つのブーメランを上下左右で組み合わせたような形状をしているのだ。
白光が弱まる。違う。白光が弱まったんじゃない。白く輝いていたその形状に走るのは黒のストライプ。それのせいで白光が弱まったと錯覚しただけに過ぎない。
白と黒のストライプが表面を流体している。
その速度は徐々に上昇しつつあるらしく、まるでテレビの砂嵐のような、見つめていると目が痛くなる程の目まぐるしさを以って表面を変化させていっている。
その速度が移動速度にも匹敵しかかったとき、まるで、コマを落としたかのようにその姿が消えた。
本当に消えた。
さっきまでのように夜の闇に溶け込んで姿が消えたわけじゃない。
本当に、こっちへ向かっていた姿が消えたんだ。
何処にも居ない。目線だけを必死に動かして姿を確認しようとするけど、その姿は何処にも居ない。
恐らくは、背後にさえも居ない。これは未確認だけど核心をもてる。だってアレが背後を取って何かを仕掛けてくるようなモンですか。
そうしてあの音が鳴る。
空気の壁を突き破った時に鳴る爆音。
見れば、僅かに進路を変えた方角に白光のアレがいる。
いつ、どのタイミングで進路を変更したのかは判断できない。
間違えなく消えていく時に変更したのだろうと言う事は解るのだけれど、どういう原理で消えて、どのような原因であんな場所へ出現したのかが判断できない。
走るスプライト。
白と黒の二色、縦と横の文様が鋼性種の表面を走るのは、消失前の予備動作のようなものなのか。
その効果が表面にあらわれて数秒後。それは完全に姿を消している。気配も音もなく、完全に、こっち側から消え去っているのだ。
そうしてまた数秒後、見当違いの場所に出現するの繰り返し。
そんな不可解な動きを繰り返しながら、その鋼性種は私たちの周囲を周回しつつも、確実に距離を測りつつ、こっちへと急速で接近しつつある事に気付く。
消失と出現。
その繰り返しの中で、ある共通点を発見する。
細かな振動音と、激しい衝撃音。
二つの音のうち、前者は消失前に発生させる音であり、そして、後者、即ち衝撃音の方は出現時にしか発生させないと言う事。
それは、まったく別の場所から現れた際、その周辺を纏っていた空気そのものがこちら側に解き放たれたが如くの音。
そうだ。あの消失は間違えなく消失だと感じる。
こっち側からの消失。消えた後、何処を航行しているのかなんて言うのは解りたくもない。
でもともあれ別の場所を航行したアレは、航行している場所で極限まで加速をつけ、ある条件に当てはまると、その加速した状態のままこっち側へ出現、結果、大気で満ちた場所に空気圧が急速に変化するから爆音が響くんだと判断。
つまり、消失前の振動音とは、加速前の予備動作。
そうして、視覚に入る動作の全てが愚鈍となる時間にも終了の時が近づいてきた。
消失と出現を繰り返しながらも着実に近づいていた鋼性種。
ソレの姿が、正真正銘、結界との境目一ミリもない距離まで接近する。
普段から慣れているであろう嶺峰さんや鶺鴒さんとは違って、私はこんなもの見たこともない。
いや、ひょっとしたら二人も初めてなのかもしれない。だから、二人とも動けずに居るのかもしれない。
兎も角、目の前も目の前。極限の距離まで接近した鋼性種の全体を視認。
正面から見ると、糸で作った十字架。白く発光する、十字架にしか見えない。
だけれど、その中心。十字に組み合わさっている、その十字の中心に、唯一白くは発光していない、けれど、白と黒の中間色である灰色のレンズ上の物体を確認。
それが瞳の、人間の瞳孔のように、けれど、生き物としての温かみなど一ミリも感じさせない様で稼動する瞬間まで、目を逸らさずに確認し尽す。
手を伸ばせば触れられそうな距離は、結界と言う壁に阻まれて、その次の瞬間―――鼓膜が破れなかったのが不思議なぐらいな衝撃音と、身体をゆするほどの衝撃によって愚鈍な時間は終わりを告げた。
視覚に写っていた風景も、周辺のざわめきも、全てがハイスピード、トップギアで再生されていく。
思わず耳を押さえるも、それも無意味。
耳を劈く衝撃音は鼓膜から響いてくるのではなく、文字通り"音"、"空気中を伝わってくる振動"として、全身から脳へと衝撃として叩き込まれる。
生き物の身体の大半は水分で構成されている。
水面に小石を投げ込めば波紋が水面を駆け巡るように、生き物の体の隅々まで行き渡っている水分はありがたくない事に、まともな衝撃を叩き込まれればその水分が十二分に全身へと衝撃を伝えてくれるんだ。
その所為で、全身がきしむような痛みが走っている。
その痛みを何とか押さえ込んで、顔を上方へ傾けた。
悠々と空を行く白黒の飛行物体。
未確認飛行物体のような動きではないにしろ、その動きの不可解さは未確認のソレ以上と断定しても構わない。
消えては現れ、現れては消えの断続的繰り返し。
法則的なものは一切なく、ただ、出現と消失を繰り返し続けながら、もう一度此方へ突貫する様子を計っているようにも見えなくはない。
勿論ソレは錯覚だ。
アレには、計るなどの定義を当て嵌めてはいけない。
そも、あれには人間の思考回路は当てはまらない。
常に先。私たち以上の考えを持っているか、もしくは、私たちでは想像する事さえもままならない、一切の考えと言うものを持たない存在なのか。
その思考を繰り返す真似はしない。
今のこの状況下でのんべんだらりと鋼性種と呼ばれる不確定生命体の定義について頭を捻らせているような余裕って言うものはない。
私は私に出来る事をしなくちゃいけないんだけど、生憎魔法は使えないし、精々出来ると言えば二人の体調を整えて上げられる程度の事なんだけれど、これもまた却下。
何故って、二人とも心底ケロリとしてらっしゃる。
あんな轟音なんて耳にも届いていないかのような飄々とした態度の鶺鴒さんに加え、その横には、あれほどの衝撃を加えられたと言うのに鉄壁の如くホライゾンを掲げたまま、勇壮な顔立ち――でも少し悲しげな眼差し――で佇み続ける嶺峰さんが在るまで。
遠目で、白黒が方向を変化させたのを確認。
正確には、方向を変更した時の姿は見えないからこちらを向いている程度の事しか解らない。
その加速が急激に変化する。
消失と出現を繰り返す移動。
ヴヴヴと言う振動音を響かせての消失と、爆撃じみた衝撃音を伴う出現。
現れるたびに空気の壁を貫通するものだから、その距離はまさにあっという間に縮まり、また衝撃を私たちへ叩きつけての離脱。
戦闘機のようなそんな戦い方。
でも、戦闘機ではない、直前での衝撃開放と言う方法を持って私たちへと、正確には私だけにダメージを蓄積させていってる。
狙いは確実に私たちであることは間違えない。そうでなければ、こうして何度も何度も特攻を仕掛けてくるような事はない。
でも、それは差ほどの問題なんかじゃない。
問題なのは手の打ち様がないということ。
あれほどの高速で空中を飛翔しているのを、一体如何なる方法を以って迎撃すればいいのか。
ホライゾンと言う楯も、ヴァーティカルと言う鎌も、あるいは、私の魔法でさえも仕留められるような光景が思い浮かばない。
そも、あんな高速で行動しているものに当てられる自身なんて言うのがない。
踵を返した白黒の加速が再開する。
もう一度あの衝撃を加えてくる気なのだろうけど、この結界がある限りは物理的なダメージはない。
いや、衝撃音で全身が震わされるのはとんでもなく痛いんだけど、それは致命傷にはなりえない。
あくまでも大気を伝わって全身へと浸透する波動系。
肉体へ損傷を与えるような攻撃でない限りは、如何に肉体へ蓄積するダメージとは言えど致命傷にはなりえない。
それを知って繰り返しているのか、それとも、気付かずに繰り返しているのかは判断できない。全ては相手の出方次第なんだけれど。
一直線に向かってくる白黒に妙な違和感を感じた。
さっきまでとは違う突撃。さっきまでは盛んに繰り返していた出現と消失が、今回は無い。
ただ、愚直なまでに一直線。
方向の制御も、姿勢の変換も行わずに真っ直ぐ。一心不乱と言っても過言ではない愚直さと加速を以って、楯へと突っ込んでくる。
その十字の外状を、ドリルのように高速回転させつつ。
相手は音速並みの速度で航行している物体だ。それを確認するまでも無く、あっという間に距離が縮まる。
まさに目前、直撃に最も適したであろう真正面からの突撃に、結界内の空気が激しくぶれる。
ガリガリという削岩機じみた掘削音をたてるも、結界は力場として展開されているエネルギー体、いわば非実体の存在でもある。
いかに鋼性種なる生命体が頑強な外殻で身を包んでいたとしても、実体と非実体ではステージが違う。
それでも、想像だに出来ないほどの加速と強固さの相対。壮絶な相克は発生し、火花を散らして目前まで迫っている。
胸元のレッケルが震えている。私も、きっと震えていたと思う。
薄皮一枚を上回る距離の近さで、ホライゾンの力場と鋼性種の回転が鎬を削っているんだ。
鋼鉄同士を溶接する時の様に火花を散らし、弾かれる。
弾かれたのは結界じゃなかったのがせめてもの救い。
両目を襲う火花の白光を保護していた手をどかして、弾かれた白黒を目で追う。
その脇。錘状に展開されていた結界に弾かれた白黒が向かったのは、ほぼ上方。星一つ無い空でありながら、一番初めに見つけた一番星だけが煌々と瞬く夜空に白黒が上昇していく。
そんな脇、激しく回転しているチェーンソー刃の鎌を限界まで振り絞った鶺鴒さんの残影が見える。
振りかぶった腕で、その顔は確認できない。ただ、鬼女の様に見開かれた双眸にはさっきまでの気軽さも何も合ったものじゃない。
見敵抹殺の意思のみを窺わせる阿修羅の目。
音速並みの速度で飛ぶ白黒のさらに上を行くという跳躍。
よく見れば、両肩にある鉄の塊であるアーマーに変化を視認。
ほぼ両肩にあたる位置の、丸みを帯びた大きめな部分から飛び出しているのは間違えなくホライゾンに内蔵されているのと酷似したブースター。
青白い光を断続的に放ちつつ、一瞬であの距離まで跳躍したのをサポートしたに窺わせるには十分なその状況。
鎌が落ちる。
限界まで振り絞った弓と矢のように。
筋肉と言う名の弦によって、鶺鴒さんの身体が独楽のように真横に、けど、真下から見上げている私から見れば縦に回転する。
鶺鴒さんの身長を大きく上回る大鎌が柄と刃の残像を残して奔る。
コンパスのように綺麗な円を描くだろう、一回転。
恐らく、上方に注意を払わず跳躍した相手が相手なら、一刀で両断するような無慈悲な一撃。
ましてや、相手は音速で航行しているのだ。避けれる筈がない。そう踏んだ。そう踏んだと言うのに、次の瞬間に頭上で起きた自体を理解できなかった。
限界まで振り絞って解き放たれた一撃を、消失と出現の繰り返しだけで、白黒は避けて見せた。
正確には、振り下ろされた一撃を先ず消失で避け、出現で左舷に出現。同時に巻き起こる衝撃音で、間近に居た鶺鴒さんの身体を吹き飛ばして上空へ。
わずか一瞬。
それは、度重なる衝撃で亀裂が入り、その亀裂から生じた小石が中に舞い上がって地面へ接地するまでの一瞬で起きた出来事だった。
吹き飛ばされた鶺鴒さんの身体が居直る。
空中で華麗な回転を決め、見事なまでに地面へと降り立ち、即座に鎌を構える。
白黒の姿はない。遥か上空へ行ったのか。それとも消えたままなのかは解らないけど、その姿形は既に視覚内には存在していない。
時折音が聞こえる。ヴヴヴと言う振動音だけが、夜の静寂に響いていた。

第十七話〜鶺鴒〜 / 第十九話〜浴槽〜


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