下の記事がとても興味深かった。
>ボカロ原理主義者と会話したんだが面白い
http://blog.livedoor.jp/goodluckhavefun/archives/37648653.html(元記事)http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1394649650/
私がボカロを好きになったのは前にも書いたが、一人が曲をつくってそれに絵を描いた人がいてMMDで動かした人がでてきて…っていう「みんなで作り上げている感」がすきなのです。セガの、2次元を3次元にした!っていうのも衝撃だったしね。
この話の共感するところは「キャラ愛」かな。
作曲する人がミクがすきでミクのための曲をつくっていた…って私はそう考えている。ホントの初期はしらないが「恋するVOC@LOID」とか「みっくみくに〜」とかはまさに歌詞がそんな感じだった。(パラメータいじりすぎないで、とか早くパソコンにいれてよとかね)
それがボカロを利用して歌を発表する場にシフトしてきたんだとおもう。
私はMEIKOの声がすきで、MEIKOの曲を探していたときに感じたことがある。
コメントに「MEIKOの伸びのある声がいいよね」「力強さがすき」とか「初代は癖がある、だがそれがいい」とかMEIKOに対してのコメントが多く見受けられた。
KAITOも似たところがあってにいさんの高音がすきとか、声に対するコメが多かったような気がする。(にいさんに関してはいらない子とか言われていたときがあるけど…)
MEIKOを使っている層がミクの層と違うのかもしれないが、ミクのは「曲に対して」や「PV」についてのコメントが多かったような気がする。
MEIKOとミクの発売時が違うので一緒くたには出来ないけどね。
この記事のひとは「歌い手はノイズ」としているけれど、私は歌い手も愛があればいいと思うよ。確かにはやっているから、難しいけど歌いこなして見たぜ!ってのもあるけれどね。それも私は許容範囲内。
問題はその人につくファンが一番厄介なんじゃないかなぁ。「原曲よりもすばらしい」とか言っちゃう人が多い。好き、にとどめておけばいいんじゃない。と思う。
ボカロ好きのなかでも紛争はあると思うんだよなぁ。
2012のミクパ(だったと思う)でKAITOの曲が2曲になって、MEIKOも歌った!って聞いて感想を探していたときに、「ミクの歌う時間が減るから出しゃばんな」って書かれていてしょんぼりした記憶がある。MEIKO、KAITOはミクの付属品みたいな書かれ方をみて、切なくなったりとか、いろいろある。
コミケみたいに大きくなりすぎたのかもね。大きくなるとどうしても問題がでてきちゃう。最後にはいい方向にいければいいんだけど、と願わずにはいられないのだった。